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酔って候:二段活用から五段活用へ


古語が現代語へと変化する過程で、二段活用の動詞は一段活用になった。たとえば「老ゆ」が「老いる」へと変化する類であるが、それは二段活用動詞の連用形に「る」がくっついた結果だった。だから現代語の一段活用動詞はみな、語尾が「る」で終わる。

ところが二段活用だった動詞のなかに、一段活用ではなく、五段活用に変化したものがある。「酔う」がそれである。

「酔う」は旧仮名遣いでは「ゑふ」と表記していた。発音も当初は「えふ」であった。だからそのとおりの発音がずっと変わらずにいたら、この動詞も他の二段活用動詞と同じく、「ゑひる」あるいは「えひる」という具合に一段活用になったはずだ。

ところが「ゑふ」は中世に生じた音韻変化によって「よう」と発音されるようになっていた。だが当初は終止形のみが「よう」で、ほかは従来のままの形を失わなかった。「ゑひず=えいず」、「ゑひて=えいて」のようにである。

そのうち、終止形のみならず連用形についても、「よう」の形の変化が採用されるようになる。「えいて」ではなく「よいて」といわれるようになり、それが更に音便作用により、「よって」といわれるようになったわけである。

そうすると、ほかの二段活用動詞と同じように、「よいる」へ変化する可能性もあったはずなのだが、なぜかそうはならなかった。そのかわりに五段活用へと全面的に変わってしまったのである。

おそらく歴史的には、二段活用から一段活用への変化が起こる以前に、「ゑふ」という動詞は「よう」の形に定着したのではないか。我々現代人がそれに気づかなかったのは、「ゑふ」という表記が依然として守られていたからかもしれない。また形の類似した動詞がほかになかったことも作用しただろう。

最初に生じた「よう」は、話し言葉のうえでは、四段活用をしていた可能性が高い。「よわず」、「よいて」、「よう」、「よう」、「よえ」の如くである。こうなれば他の四段活用動詞と同じく、五段活用へと変化するのは論理上の趨勢にかなっている。

こんなこともあって、筆者などは、「酔(ゑ)ひて候」という表現に接すると、思わず「酔って候」と読んでしまうのである。


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