日本語と日本文化 | ||
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色をあらわす言葉 |
英語をはじめヨーロッパ言語には、色に固有の名称を持っているものが多い。たとえば英語では、Red Blue Yellow のように、三原色といわれる基本的な色にはそれに固有の名詞を当てているし、Purple Green のような二次色、Black White のようなニュートラル・カラーにも固有の名詞を当てている。更に Brown Grey のような三次色まで固有の名詞を持っている。 漢語でも、原色とニュートラルカラーには固有の名詞を当てている。赤、青、黄、黒、白がそれである。これらの文字は無論色彩以外の事象に適用されることもあるが、原義はあくまでも色そのものである。 これに対して日本語は、色に固有の名詞を持たないといってよい。二次色や三次色を他の事象の名で代替させることは他の言語にもあるが、日本語の場合には原色やニュートラルカラーについても、色彩以外の事象の名辞で代替させている。 ではどんな事象が色彩の名となったのか。古い日本語には擬態語から派生したものが多いが、それは色の名についてもいえそうなのだ。 まず赤について。これは「あかあか」という擬態語から派生したものだ。「あかあか」とは、太陽が昇って空一面が赤く染まった状態をさす擬態語だ。そこから赤い色を「あか」というようになり、また赤に関連のあるさまざまな言葉を派生させた。「あかるし(あかるい)」は「あかあか」と日が昇って空が明るくなることである。その空が明るくなることを「明ける」、明るい空のように明白なことを「あきらか」などといった。「あけぼの」、「あけがた」なども「あかあか」から派生した言葉である。 「しろ」は「しらじら」から派生した。「しらじら」とは輪郭が定まらずにぼんやりしている状態をさす擬態語である。なにもかもぼやけて姿にならないという意味から、色のない状態を連想し、そこから「しろ」というようになった。「しらむ」は輪郭がぼやけて白くなる様子、「しれる」は頭の中が真っ白になる様子をあらわす派生語である。 「くろ」は「くろぐろ」あるいは「くらぐら」から派生したと思われる。闇をあらわすこの擬態語が暗黒を連想させ、そこから「くろ」という言葉が生じたのであろう。「くらやみ」、「くらがり」は暗黒をあらわす兄弟語である。また「くらい」は黒いことの状態をあらわし、「くれる」は黒くなることをあらわす。「くらむ」は頭の中が真っ黒になることである。 これらの擬態語から派生したものの他、自然の事象を転用したものが、当然のことながら多い。「き」は恐らく木肌の色から転化したのだろう。「くそ」の「く」が「き」に変わったのだとする説もあるが、この場合には「くそ」の色から連想したということになる。 「むらさき」、「だいだい」、「やまぶきいろ」、「ふじいろ」、「ちゃいろ」、「はいいろ」などはみな、植物その他からの転用である。 「あお」については、いまひとつよくわからない。仰ぎ見る空の青さが原義だとする説があるが、どうもあやしい。この場合には「あふぐ=あおぐ」が転じて「あお」になったと推論するのだが、「あふぐ」の「ふ」は古代においては唇音であり、それが「お」に転化することは考えられないからである。 「あお」にも、対応する擬態語として「あおあお」というのがあるが、これが古代から存在していたとは実証されていない。また「あか」や「しろ」に見られるような兄弟言葉がない。こんなことから名詞としての「あお」のほうが先に生まれた可能性が高いと思われる。(あゐ=藍が転じたという考え方もある) 日本語の青は、原色としての「あお」には正確に対応していない。日本人はこれまで、グリーンも青の領域に含めていたのである。そのグリーンを日本語では「みどり」というが、これの語源もやはりはっきりしない。 色の名ひとつとってみても、そこに日本語の特殊性を伺うことができるのは、興味深いことだ。 |
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