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小林英夫「日本軍政下のアジア」


小林英夫の著作「日本軍政下のアジア」(岩波新書)は、アジア太平洋戦争中における日本の占領地政策をテーマにしたものである。「軍政」という言葉が使われている通り、占領地に対する統治政策は現地日本軍による直接統治あるいはそれに近い形をとった。統治の範囲はきわめて広範囲にわたるが、この著作がカバーしているのは、「『大東亜共栄圏』と軍票」という副題にあるとおり、軍票を核にした経済政策が中心である。宗教・文化・教育の分野で遂行されたいわゆる「皇民化」政策は取り上げられていない。

対中戦争を通じて日本は、満州に続いて華北・華中・華南を占領し、そこですでに軍政を開始していたわけだが、対米戦争の開始に伴って、日本の占領地は、北はアリューシャン列島の西端、東はマーシャル諸島、南はインドネシア諸島、西はビルマにいたる広大な範囲をカバーした。その占領地に対して、日本は現地軍による軍政を施行したわけだが、その政策の基本は、軍事物資の現地調達主義と現地経済と日本経済のリンクであった。それは、従来の経済圏を全く無視した形で、日本の都合にあわせて経済を運営しようというもので、現地の経済的な安定を重視したものではなかった。それゆえ、日本による軍政が敷かれた地域では、経済システムの破壊とすさまじいインフレに見舞われた。日本はそれに対して、戦後賠償の中でもまともに補償することがなかった、というのが著者の基本的な見立てである。

軍政の鍵を握ったのは軍票の発行である。これは、たいした信用の裏づけなしに行われたので、実際には紙切れによる物資の調達という色彩を強く帯びた。つまり収奪あるいは強奪に異ならなかったわけである。日本は、占領地ごとに経済システムを完結し、矛盾をすべて域内に閉じ込めることによって、占領地でのインフレが日本に影響を及ぼすことを防いだ。何のことはない、物理的に収奪するかわりに、信用の裏づけのない紙切れを通じて収奪を行ったわけである。

地域によっては、日本軍発行の軍票ではなく、現地通貨を利用したところもあった。タイやベトナムの場合がそうである。また、傀儡政権に発行させた場合もある。汪兆銘政権によるいわゆる儲備券の発行である。それらの間で、通貨の形態は多少異なったが、日本による軍事物資調達と日本経済への従属という性格は共通してもっていた。要するに日本は、軍政を通じて巧妙な収奪システムを占領地に築いていったわけである。

日本軍には伝統的に輜重を軽んじる傾向が強かったという。それは短期決戦を前提とした考えで、戦争が長期にわたる場合には、勢い現地で調達することを迫られた。要するに、敵地の住民を収奪し、それをもとに敵と戦うという、山賊のような行為を当然としていたのである。そういう戦略は、戦争が日本にとってうまくいっているときにはある程度機能するが、敗色濃厚になってくると、補給線を断ち切られることを意味していた。アジア太平洋戦争で死んだ日本軍兵士の六割は餓死だったというが、それは、輜重を軽んじ現地調達に頼った戦略の必然的な結果であった。

日本の占領政策は、上述したように、(食料等々の)軍事物資の現地調達と日本経済に必要な資源の確保を二つの大きな柱としていた。そのため、従来から占領地相互に築かれていた経済関係がほとんど破壊され、現地の経済システムは崩壊した。そこに日本軍による過酷な物資調達が重なったので、現地の生存条件は大きく損なわれた。また、労働不足にともなう現地人の徴用によって、現地の人々は働き手を失い、生活に窮するケースが続出した。日本軍による占領は、災厄以外のものではなかったのである。

日本は、アジア太平洋の占領政策を「大東亜共栄圏」という言葉で美化したが、その内実は、アジア太平洋地域の各国を日本の利益のために利用することであった。日本では、この政策によって、アジア諸国の独立運動が促進されたとする見方もあり、事実ビルマやインドネシアでは独立が実現した。だがそれは、日本が進んでそれらの国の独立を応援したというよりも、占領政策の矛盾を糊塗する為の苦肉の策だったと著者は見ている。

日本による軍政は、アジア太平洋地域の各国に多大な損害をもたらしたため、戦後賠償が問題となった。その賠償の根拠となる国際条約〔サンフランシスコ条約〕に中国は参加しなかったし、香港やマレーシアなどは、宗主国の方針で賠償を放棄させられた。ビルマ、フィリピン、インドネシア、南ベトナムは、日本との間で個別の賠償交渉を行った。その結果、経済協力という包括的な形でまとめられ、個々の損害が個別に補償されることはなかった。また、膨大な軍票の発行責任も曖昧にされ、戦後まで軍票を持っていた人々は、なんらの補償もなく泣き寝入りすることを強いられた。

こんな具合で、日本は占領地域に軍政を施し、軍票という紙切れによって収奪しながら戦争を行い、敗れたあとは、損害についての責任を明確な形で果たすことがなかった、というのが著者の見立てである。

軍票という擬似貨幣を通じて、占領地の支配を図った日本の統治システムを研究した成果は、この本以前にはほとんど見られないようなので、貴重な業績というべきであろう。



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