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橋川文三の超国家主義論


橋川文三の日本ファシズム論は、丸山真男同様それを超国家主義の現われと見る。それ故日本ファシズム=超国家主義と位置づける立場といってよい。丸山の場合、その超国家主義を天皇制国家原理そのものの特質とすることで、「無限の古にさかのぼる伝統の権威を背後に負う」ということになってしまい、それがなぜ昭和のある特定の時代にファシズムという形をとったかについて、十分な説明になっていない、と橋川は批判する。丸山のいう超国家主義とは、せいぜい「玄洋社時代にさかのぼる日本右翼の標識であり、とくに日本の超国家主義をその時代との関連において特徴付けるものではない」というわけである。

そこで橋川は、昭和のあの戦争の時代に支配的となった超国家主義を、右翼運動一般の中に解消してしまうのではなく、それ特有のあり方においてとらえなおすことが肝要だと考える。だが、その特有のあり方について、橋川は明確な定義づけをしていない。というよりか、明確な定義づけは困難であるから、とりあえずは、超国家主義者といわれた人々の行動や思考について考察し、そこから超国家主義の本質と思われるものを、帰納的に明らかにしたいという姿勢をとっている。帰納のための材料として取り上げられるのは、昭和初期のテロリストたち、及び北一輝や大川周明といった理論家たちである。

大川周明が5.15事件の思想的な扇動者であり、北一輝が2.26事件の思想的扇動者であったことは、日本史における概ねの了解事項となっている。彼らの思想が、海軍の不穏分子をそそのかして5.15事件を引き起こし、陸軍の不穏分子をそそのかして2.26事件を引き起こしたという主張は、たいした間違いではないと思う。だが、そこから言えるのは、北や大川の思想が、軍の一部勢力を刺激してテロを生み出したということであって、北や大川の思想を核として日本ファシズム=超国家主義が生まれてきたとまではいえないだろう。日本ファシムズを担ったのは、軍の中枢権力であり、その権力がどれほど自覚的な思想を持っていたかは明確ではないし、ましてやその権力に対して北や大川の思想が大きな影響を及ぼしたともいえない。

その点では、日本のファシズムは、ドイツのナチズムやイタリアのファシズムとは違う。ドイツではヒトラーの思想がナチスという形で受肉され、現実の暴力となった。イタリアでも、ムッソリーニの思想が受肉してファシズムという暴力をもたらした。ところが日本の超国家主義には、そのような明確な対応関係は見られないといってよい。日本では、超国家主義は丸山のいうような古にさかのぼる右翼思想と未分化なところがあったわけだし、そうした思想を自覚的に追求することでファシズム的暴力を組織しようとする運動にはつながらなかった。日本の超国家主義を担ったのは、軍という形をとった権力そのものであり、その権力は自分に都合のよい思想をつまみ食いする形で利用したという外面的な関係しかなかった。つまり日本の超国家主義=日本ファシムズはかなりルースなところがあったわけである。

そんなわけであるから、橋川が北や大川の思想を検討しても、それがどのようなわけで、どのような経路を通って、日本ファシズムという現実の暴力をもたらしたか、については一向明らかにならないもどかしさがある。北の場合には日本のファシムズ権力と密接に結びついたどころか、権力によって、かなり強引な理屈付けで、抹殺されてしまうのだし、大川の場合にも日本のファシズム権力の担い手たちを思想的に誘導したというわけではない。ましてや、昭和の初期に暴走したテロリストたちは、思想的にはほとんど現実の影響力を持たなかったのではないか。精々テロを頻発させることで、時代の空気をファシズムに導いていく上での露払いみたいな役割を果たしただけではないか。

北を論じる橋川の姿勢は、北に対してかなり好意的に映る。橋川によれば、北は明治維新体制を社会民主主義的理念を盛り込んだものと評価したうえで、その後の権力者たちがその理念を矮小化してきたという自覚にたって、明治憲法に盛られた理念を完全に実現するのが自分の役目だと自覚していたということになる。その理念とは、国家を個人に優先させながらも、個人の価値を最大限認めようとするものであり、天皇さえも国家の一機関にすぎないとする、ある種の社会主義的国家観であった。その点では国家社会主義を標榜したナチスやファッショと似たところもあるが、その点については、橋川は言及しない。

2.26事件については、北の思想が陸軍の一部不穏分子を扇動したという事情はあるが、北が深くかかわったという事実はないと橋川はとらえている。この事件そのものも、日本の超国家主義を完遂する為の王道の出来事であったというのではなく、この事件を契機に、軍首脳が国家権力を掌握し、日本ファシズムを完成するための捨石に利用されたという理解をしている。そうだとすれば、北はファシズムの首謀者というよりは、軍部の権力掌握に利用されただけということになる。つまり、北を通じて日本ファシズムの成立を語るのは、的をはずれているということになるわけだ。

大川については、橋川は北に対してほど好意的ではなく、また感情移入もしていないので、ごくあっさりと言及するにとどめている。あっさりしすぎていて、何故ことさら大川を取り上げるのか、腑に落ちないところもあるくらいだ。



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