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山口昌男「挫折の昭和史」を読む


山口昌男氏の「挫折の昭和史」は、先日読んだ「敗者の精神史」とは姉妹篇のようなものらしい。前者が維新から明治にかけて生きた人々を取り上げているのに対して、こちらは昭和時代に生きた人間を取り上げている。時代的にはこちらが後だが、書かれた時期は先らしい。どちらも山口氏が深くかかわっていた雑誌「ヘルメス」に掲載された。

「敗者の精神史」で取り上げられていた人々は、その名の示す通り、維新動乱で敗者となった人々だった。それ故、東北諸藩など、徳川方についた勢力の出身者が多い。彼らは明治という時代にあって、表舞台からは離れたところで、それぞれ自分なりの生き方を選んで生きた。その生き様が、敗者なりに達観していて面白い。その面白い人々の人脈が交叉するところに、筆者が好きな依田学海がいたというので、筆者には非常にうれしかった。敗者に注ぐ山口氏の視線にも、暖かいものが感じられた。

こちらは「挫折の昭和史」とあるとおり、カバーする時代は昭和の前半だ。いわゆる戦中時代である。挫折とあるのは、この戦中時代がそのまま挫折していたという意味なのか、そこに生きた人々の生き様が挫折したということなのか、判然とはしないが、いずれにせよ挫折がテーマなのだから、あまり明るい話ではない。

冒頭にはいきなり甘粕正彦が出てくる。関東大震災のどさくさに紛れて大杉栄と伊藤野枝、そして係累の少年を虐殺した男だ。氏がこの甘粕になぜ注目したかと言えば、彼の思想やら生きざまに興味を覚えたというより、昭和と言う時代の網の目の一つに、この男が位置していたということのようなのだ。

甘粕がかかわった網の目とは、文化人たちが織り成していたものだった。甘粕は釈放後一時期のパリ生活を経て満映理事長になった。その立場から、当時満州に出入りしていた様々な芸術家たちとある種のネットワークを作り上げた。氏はそのネットワークに興味があるのだと言って、甘粕自身に興味があるとは言わないのだが、いずれにしても、甘粕のような人物に焦点を当てて、時代の精神を読み解こうなどと言う試みは、氏のような人でなければ思いつかないだろう。

どういうわけか、甘粕の張り巡らした網の目の先端に、石原莞爾が引っ掛かってきた。すると氏の注目は、俄然このユニークな軍人に釘付けになってしまうのである。「挫折の昭和史」の後半部分はもっぱら石原莞爾を中心にして展開する。

石原莞爾という軍人については、いまでも評価が定まらない。満州事変を引き起こした張本人であるが、陸軍内部ではどちらかいえば異端派で、それがもとで、昭和13年に事実上陸軍から追放されてしまう。しかしそれが却って幸いし、戦後東京裁判の追及の手から逃れることができた。石原は東条とは犬猿の仲にあり、彼の陸軍からの追放も東条の差し金だったわけだが、それが進駐軍の目には石原即反東条と映り、その結果石原を戦争責任の追及から外す理由になったわけなのである。

石原の人格は非常に変ったものであったらしい。山口氏もそうした石原のエクセントリックな面について、もっぱら注目している。なにしろ4章にもわたって、石原の行動やら思想についての分析・評価を行っているのである。

しかし正直言うと、筆者にはそんな分析はどうでもいいように感じられた。というのも筆者は山口氏のようには、石原莞爾という男に感情移入することができないからだ。

石原には確かに精神主義的なところがある。日蓮宗への帰依がそうさせたのであろう。石原がかかわった日蓮宗の運動体国柱会には一時記宮沢賢治も深くかかわったことがあった。宮沢顕治の場合には法華経信仰が作品に深い影をもたらしたわけだが、石原の場合にはどんな働きをしたのかよくはわからぬし、そんなに興味のある事とも思われぬ。「最終戦争論」や「五族協和論」などはその一端かもしれないが、底の浅いものである。五族協和論などは、侵略主義的な意図をつまらぬ理屈の影に隠すものでしかない。そう筆者は思っている。

そんなわけだから、筆者は山口氏が石原や甘粕と言った人物に同情の視線を送るのを見るとき、強い違和感を覚える。石原はともかくとして、甘粕などは思想すら持たないただの狂信的な右翼だ。ただひとりの人間として結構如才なかったらしいことは、氏の文章から伝わってくる。その如才のなさが、周囲に一定の文化人を招きよせたというに過ぎない。ただ招きよせたというだけで、彼等との間で知的な交渉が花開いたというわけでもない。

李香蘭を名乗った映画女優山口淑子は甘粕をたいそう尊敬していたようだが、そこに対したいわれがあるのでもないらしいことは、山口氏も認めている。そんな男に何故氏が心惹かれるのか、筆者にはどうもよくわからない。




  
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