日本語と日本文化


半藤一利「昭和史」を読む


半藤一利さんの「昭和史」を興味深く読んだ。この著作には半藤さんの歴史意識のようなものが込められている。

半藤さんによれば、日本の近代史はほぼ40年ごとに仕分けすることができる。最初の40年は1865年から1905年までで、日本はこの時期に一躍世界の一流国家になった。

次の40年間は、1905年から1945年までの間で、その後半が昭和の前期に当たっている。この時期に日本はそれこそ世界中を相手に戦争をし、ついには国を亡ぼすにいたった。

更に続く次の40年間は、戦後復興の時代で、日本は廃墟の跡に繁栄した社会を作り上げることに成功した。

この著作をしたためている時代は、ふたたび亡びに向かって進みつつある40年間になるのだろうか。そう半藤さんは自問している。時あたかも小泉構造改革のポピュリズムが日本中をひっかきまわし、日本が国の形を失う危機にあった時点だったから、そんな不安が半藤さんをとらえたのかもしれない。

昭和時代の前期にあたる滅びの40年間の後半で、日本は何故自滅していかざるを得なかったのか。そのことを深く学ばない限り、日本民族には明るい未来が開けない。歴史から正しく学ばないものは、未来を築いていく資格がない。そういう人間は再び同じ過ちを犯すに決まっているのだから。そう半藤さんは強く確信しているようだ。

半藤さんは、システマチックに語っているわけではないが、論述の随所で、日本人の陥った失敗の本質について、深い考察を加えている。

まず、当時の日本の指導者に外交感覚が欠けていたことだ。外交センスを全く持たなかったといってよい。

明治維新以降、列強に囲まれた日本にとって、国益を守るための外交の基軸は英米との協調であった。日本は特に日英同盟を基軸にして、外交活動を行い、その時々の国益にかなう決断をしてきた。日本が日露戦争を勝利のうちに収めることができたのも、イギリスやアメリカの時宜にかなった仲介があったからである。

ところが昭和になると、英米との協調は背後に退き、かわってドイツとの関係を親密にしようとする動きが強まる。ドイツとの関係強化がどれほど日本の国益にかなうか、まともに検討された形跡はない。日本人はただドイツ人が自分たちと似ているといった感情的な理由からドイツ人が好きになったのだ。ところがヒトラーの方は、日本人を猿の一種くらいにしか考えていない。

別に互いに相手を好きになる必要があるわけではなかろうが、ある相手との関係が他の相手との関係にいかなる影響を及ぼすのか、そこのところを見極めるのが外交センスというものだ。ところが日本の指導者はこのセンスを欠いていたために、それこそ世界中を相手に戦争せざるを得ない状況に自らを追い込んでしまった。

二つ目は、外国に対する思い上がりである。近衛文麿はシナ事変の後で、蒋介石を相手にせずといって、戦争終結のための努力をしなかったが、これは相手を見くびった思い上がりの典型である。しかし、国同士の関係は、思い上がりのあるところでは、うまく築かれることはない。

日本人は、ロシア人に対しても優越意識を持っていた。ロシア人などは臆病で無策であるから、勇敢な日本兵の前では戦わずして逃げるに違いない、こうした思い上がり、いや妄想がノモンハン事件を敗北に導いた。

妄想と云う言葉を使ったが、日本の指導者の現実認識は全く科学的な根拠に欠けたものばかりだった。相手に対する思い上がりもそうだが、日本軍は何事も自分に都合の良いように解釈する。その結果は、そうあって欲しいと願う事態が、そうに違いないとの断定に転化する。その結果、日本は現実認識ではなく妄想に従って行動するようになる。それでは戦争に勝てるわけはない。これが三つ目の問題だ。

四つ目に、指導者に責任能力がないことだ。ノモンハン事件を詳しく追えばすぐわかるとおり、軍中枢部と現場とが全く提携しておらず、現場のかってな判断で戦局がなし崩し的に拡大していくことは、満州事変やシナ事変の時にも見られたことだ。つまり、指導者が無責任で無能力であり、それが無謀なことを勝手にやる。日本軍は組織としては、全く機能していなかったのであり、それで戦争に勝てるわけがなかったのだ。

こうした指導者の無責任体質はノモンハン事件で典型的に現れたが、大東亜戦争と云われる昭和の大戦争は、このノモンハン事件を拡大したようなものだったといえる。無責任な連中が無謀なことを仕掛けてこの国を亡ぼした、というわけである。

その当時の日本の国の形を一言で表せば、巨大な軍国主義国家ということになろう。軍人たちが国の中枢に収まり、何もかもが戦争遂行の目的に従属せしめられた。中川紀元と云う人が「一軍、二軍、三も軍、ぐんぐん軍部で押し通す」といったそうだが、まさに軍がすべてに優先する異常な社会だったわけだ。

以上の結末が昭和20年8月15日の無条件降伏なのであった。この降伏に至るまでに、実に310万人の人々が、命を落とさねばならなかった。

半藤さんは著作の最後に、歴史から学ぶべき教訓として、以下の5点をあげている。

・国民的熱狂を作ってはいけない、時の勢いに駆り立てられてはいけない
・抽象的な観念論を慎み、具体的で理性的な方法論を検討すべき
・日本型タコツボ社会における小集団主義の弊害から脱却せよ
・国際的な常識をわきまえよ
・時間的空間的な広い意味での大局観をもて、その場しのぎの近視眼的な対応をやめよ

どれも指導者はいうに及ばず、我々日本人みなが心しなければならないことばかりだ。


    

  
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