日本語と日本文化


外交敗戦 孤立への道:NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」


今年は日米開戦から70年目の節目の年だ。そこでNHKが、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」と題して、日米開戦に至った歴史的経緯を改めて検証する番組を、4回に分けて放送することとした。

その背景には、一定の歴史的な時間の経過を経て、この戦争を一層冷めた目で検証する機運が熟したことを踏まえ、新たな研究が世界的な規模で行われるようになってきたこと、また、戦争を指導した人物たちの生の声を収めた資料が発見されるなど、これまで知られていなかった一級資料が、公開されてきたという事情もあったようだ。

切り口は、軍、メディア、リーダーそして外交である。この戦争が、いわれるように、軍部を中心にした軍国主義勢力だけでなく、日本国民全体の関与によって始まったということを、強調する狙いがあるようだ。

第一回目は、「外交敗戦 孤立への道」と題して、日本外交のちぐはぐさが、日本を世界的な孤立へと追いやり、その結果無謀な戦争をもたらした過程をあぶりだしていた。

まず冒頭に、木戸内大臣をはじめとした、戦争指導者たちの肉声が聞かされる。木戸内大臣はいう、「アメリカと戦うなど、無謀であることは、誰だってわかっていましたよ、それがどうしてああいうことになったのか、」まるで他人事のようである。

木戸に限らず、当時の日本の指導者たちは皆無責任だった、どうも番組はそう言いたいようである。

その政治的な無責任さが、日本の外交をめちゃくちゃなものにし、その結果日本を国際的な孤立状態へと追い込み、ついには無謀な戦争に走らせた、こういう筋書きになるようだ。

日本外交にとって分かれ目になったのは、1932年12月の国際連盟脱退だった。この時の全権大使は周知のとおり松岡だが、この男がどうも、日本の国益を十分に理解していたかどうか、はなはだ疑問であるところに、軍部が自分勝手な外交活動を展開したこともあって、日本の外交は祖国の安全という目的を十分果たせるような状態にはなっていなかった。

そもそも日本の国際連盟脱退は、1931年の満州事変に対する国際的な非難への対抗としてなされたものだ。だがこうした行為が、日本の国益にとってどういう意味を持つか、誰でもわかっていたはずだ。それが、もののはずみで実行されてしまう、そこのところに恐ろしさを感じる。

満州事変が軍部の独走によるものだとは、公然のことだ。その軍部も、いったん始めた戦争が、独自の論理で展開していくものであり、したがってそう簡単に制御できないことは、半分は分かっていたようだ。「戦は始めるとやめられない」という、当時の軍指導者の言葉にあるように、軍部は戦線を次々と拡大していく。

それでも外務省サイドは、英米との協調の道がないかどうか、吉田茂などがいろいろと探った形跡があるが、軍部の方は、自分の都合に基づいて、ナチスドイツに接近した。

防共外交とは、英米との協調の糸口を見つけるために外務省サイドが力説したことであったが、いつの間にか軍部に都合の良いように解釈され、1936年の日独防共協定、その翌年の日独伊防共協定締結のための理屈づけに転用された。

日独伊防共協定が、日本の国益上ほとんど意味をもたなかったことは、たしかなことだ。

こうして日本は、国際的な孤立を深め、ついには無謀な戦争へと突き進んでいく。その戦争を、国民もまた熱狂的に支持したのである。

ところで筆者は、この番組の中で展開される日本外交の幼稚さを見て、北条政権の外交姿勢を思い出したりしたものだ。いや、北条政権にはそもそも、外交という意識自体がなかったといってもよい。だからこそ元との間で、やらなくてもよい無謀な戦争をやるはめになった。

元との戦争の折には、幸い、神風が吹いて、日本は負けずに済んだが、日米戦争ではそうはいかなかった。日本は手痛い敗北を喫することとなった。その責任の一端が、そもそも責任というものを負う能力がなかった日本外交にもあった、番組はそういいたいのだろう。


    

  
.


検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本




HOME日本史覚書昭和史次へ




作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2012
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである