日本語と日本文化


司馬遼太郎の昭和史観


先日友人たちと談笑した際に、いわゆる司馬史観が話題に上った。司馬が明治を賛美して、昭和について殆ど語らないという話から始まって、司馬の史観をどう受け取るかについて、否定論と肯定論が拮抗した。否定論は、司馬の明治礼賛には問題がある、何故なら明治の精神そのものに昭和の破滅の原因があったのに司馬はそれを無視していると言い、肯定論は、明治は日本の近代化にとって歴史的な意義を持ったが、昭和の全体主義的な体制がそれを踏みにじって日本を破滅に導いたと言った。その議論を脇で聞いていた筆者は、いわゆる司馬史観について理解するところ少なかったので、その場では発言を差し控えた。だが、彼らの議論を聞いていると、司馬が現代の日本人の歴史認識にかなりな影響を及ぼしているらしいことが感じられた。そこで、自分も多少司馬を読んでみようという気になった。取り上げたのは「この国のかたち」である。以下、その読書の観想をいくつか述べてみたい。

「この国のかたち」は、司馬が雑誌「文芸春秋」に連載したエッセーの表題である。後に文春から分冊して刊行された。筆者が読んだのは文春文庫版である。その第一巻に、早速明治やら昭和の話が出てくる。それを読むと、司馬はどうも昭和を積極的に語りたがらない、という感じが伝わってくる。司馬は丸谷才一から、「司馬さんには、昭和の戦争時代が書けませんね」と言われて、うなづいたということだが、それは、ひとつには昭和について語るためには自分自身の中で十分に準備ができていないという自覚にも起因するようだが、それ以上に、世間の昭和に対する見方に違和感を覚えているという事情も働いているようだ。司馬は言う、「私は、日本史は第一級の歴史だと思っている。ところが、昭和十年から二十年までのきわめて非日本的な歴史を光源にして日本史全体を照射しがちなくせが世間にあるように思えてならない」。つまり昭和というきわめて特殊でしかも短い期間のことを基準にして、日本史を語りたくないというわけである。

とはいえ、司馬は司馬なりに昭和史理解の勘所を押さえている。ごく単純化して言うと、明治維新の英雄たちが作り上げた明治国家、それは立憲制国家といえるが、それを昭和の軍が破壊したということになる。軍と言っても、司馬が指弾するのは参謀本部の参謀たちのことだ。この連中が、統帥権という超憲法的な権力を振りかざして国家を私物化した。その結果日本は国家としての体をなさなくなった。つまり国家として合理的な行動が取れなくなった。そんな国家といえないものが破滅するのは当たり前のことであり、その当たり前のことが昭和という時代に起った。だが、繰り返して言うと、昭和の時代に起ったことは、日本の歴史においては特殊なことなのであり、それを基準にして日本史全体を語ろうとするのは自分の趣味に合わない、どうも司馬はそういう姿勢に立っているようである。司馬は、日露戦争の勝利から昭和の敗戦にいたる四十年間を、「異胎」と呼んでいるが、それはこの時代が本来の日本のあり方とは全く違った異質な時代だったということを含意しているわけであり、中でも昭和の初めの十数年間は最もグロテスクな時代だというのである。司馬にとって昭和は、日本史の鬼子のようなものらしい。

こういうわけであるから、昭和という時代に起ったことはすべて、日本史の長い歴史の上では、異常で例外的なことばかりだった。その異常で例外的なことがらを推進した主体は参謀本部の参謀たちであった。昭和という時代はだから、参謀たちの狂気によって駆られた時代ということになる。この参謀たちが日本という国の実質的な支配者となって、この国を破滅に導いていった。日本国民はこの連中の狂気の犠牲者と言える。悪いのは参謀本部の参謀たちで、国民は彼らによって破滅させられたのだ、ということになる。司馬の昭和史観を一言で特徴付ければ、そういうことになるのではないか。参謀本部諸悪一元論、それが司馬の昭和史観の本質であると。

こう整理してみれば、昭和史の相貌は非常にあっさりとして見えてくる。何しろ悪人としての参謀本部が権力を振りかざして国家に害を及ぼし、日本という国家とその国民が悪人たちの犠牲になったというわけだから、問題は極度に単純化される。参謀たちが何故権力を握るようになったか、その権力が何故無謀に行使されたか、国民は何故参謀たちによる被害に甘んじたか、そんなことは大した問題ではなくなる。狂気というものは論理的には説明しにくいものなのだ。論理的に説明できないことは、心情的に受け入れるか或は拒絶するか、それよりほか選択肢はない。

要するに司馬は、昭和はそれ以前の明治から断絶しているだけだはなく、日本史全体からも逸脱している、と考えているわけだ。それを司馬は「異胎」という言葉で表現した。「異胎」というのは、自分の子ではないという意味だ。司馬は、昭和という時代は日本自身が生んだ時代ではない、つまり昭和の歴史は日本の歴史とは関係がないと言っているわけである。

司馬が昭和に感じる違和感は、わからないではないが、しかしその違和感をこのように言ってしまっては、物事はそこで終わってしまう。それに対する理解は全く深まらない。




  
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