日本語と日本文化


歴史的勃興期としての1960年代:中村政則「戦後史」


1960年代の日本は世界史に例を見ないような高度経済成長を遂げた。その結果、戦後の焼け野原から再出発した日本は、短期間で世界第二位の経済大国に成長した。そんな1960年代を、日本近現代史学者の中村正則氏は、高度成長の立役者であった下村治の言葉を借りて、「歴史的勃興期」と呼んだ。まさに歴史を画するような異様な雰囲気に満ちた10年間だったといいたのだろう。(中村政則「戦後史」岩波新書)

この高度成長を可能にした条件として、氏は四ッつあげている。技術革新、資本蓄積、労働力、輸出がそれだが、中でも決定的な役割を果たしたのは技術革新だったと氏は言う。氏の計算によれば、高度成長期における成長率の60パーセントは技術革新によるものだったというのである。

しかし、何が高度な技術革新を生んだのだろうか。氏は詳細には分析していないが、戦後改革によって、戦前のシステムが破棄されたことが大きく影響しているとみているようである。つまり、戦前のしがらみから解放されて自由になった日本人に、創意工夫する余地が生まれた。そして、創意工夫を凝らすことによって、もてあましていたエネルギーを爆発させることができた。松下、ソニー、ホンダといった企業は、そうした自由な企業家精神から育ってきたのであって、もしも財閥などの戦前の経済システムがあいかわらず支配していたら、こうした新興企業は伸びなかっただろう。氏はそんな風に理解しているようである。

そうした理解の仕方には筆者も賛成だ。高度な経済発展には、既成の枠組みを超えた新しい枠組みを創出することが必要だ。日本の場合には、戦後改革を通じて、戦前の枠組みが破棄され、自由な競争のための活気ある空間が生まれていた。その空間を最大限に自由に動き回った企業家たちが、日本を経済大国へと導いていった。そういえるのではないか。

高度成長の要因としてもうひとつ、成長を可能にするような市場の条件が存在していたこともあげられよう。経済学の用語でいえば有効需要というやつだ。何しろ日本人は敗戦によってなにもかも失ったわけだから、ものへの需要はいくらでもあった。だから輸出に頼らなくても、作ったものは国内でいくらでも売れた。そういう条件のもとで、技術革新によって新しい製品が次々と生み出され、それがまたあらたな需要を呼び起こした。日本は理想的なプラスのスパイラルを登っていけたわけである。

こんなわけで、1960年代は、経済成長のメカニズムについて、色々なことを教えてくれる。




  
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