日本語と日本文化
HOME | ブログ本館東京を描く日本の美術日本文学万葉集プロフィール | 掲示板




山崎今朝弥「地震・憲兵・火事・巡査」


山崎今朝弥は正義派の硬骨弁護士として知られている。正義感が豊かなことでは日本の法曹史に屹立した存在だった。また人間性の豊かなことでも群を抜いていた。その豊かな人間性には諧謔趣味も含まれていた。その諧謔趣味が一風変わっている。日本国の公爵である山形有朋に対して自分を米国伯爵と自己紹介したが、無論米国に貴族制度があるはずはないから、それは諧謔を真面目くさった顔で披露したわけである。彼はまた放屁の常習犯だったらしいが、放屁の際にはさすがに真面目な顔が憚られたか、屁の音に合わせて罪のない笑い声をたてたようである。

山崎の文章を集めたものとしては、「地震・憲兵・火事・巡査」が岩波文庫から出ている。これは生前に刊行した二つの著作、「弁護士大安売り」と「地震憲兵火事巡査」からの抜粋である。前者は自伝的な記録が主で、後者は関東大震災中に起きた幾多の虐殺事件をテーマにしている。山崎がもっともこだわっているのは朝鮮人大量虐殺と憲兵隊による大杉栄の虐殺、いわゆる甘粕事件だ。

山崎の面白いところは、時の権力者に向かって正面から戦いを挑んでいることである。山崎は権力による弾圧にさらされた人間を弁護する立場から、そうした権力者に立ち向かったわけだが、相手は弾圧の直接当事者か大局的に弾圧とか虐殺を指導した人間たちだった。この本のなかで山崎が情熱をこめて立ち向かった権力者としては、大杉栄らアナキストや社会主義者の弾圧に辣腕を振るった正力松太郎とか、関東大震災における朝鮮人大虐殺について司法の最高責任者としてだんまりを決め込んだ平沼騏一郎があげられる。

正力松太郎に対しては、大杉栄に対する違法捜査を理由に告訴するという形をとっている。告訴事由は告訴状のなかで縷々述べられているが、それを読むと山崎が権力を恐れない大胆不敵な弁護士だということが伝わってくる。なお、正力松太郎といえば、戦後、左傾化した読売を「正常化」したことで有名だ。正力は警察仲間を呼び寄せ、読売を警察互助会のようなものにしたあげく、その論調も、警察目線から読者を訓導するようなものへ転換させた。そうした読売の体質はいまでも生き生きと受け継がれているようである。

平沼騏一郎に対しては、関東大震災時の司法大臣として、朝鮮人大虐殺を始め無法状態について責任を以てあたるべきところ、だんまりを決め込み、無法行為を助長させたというような批判をしている。朝鮮人大虐殺については、殺された朝鮮人の数はいまだに明確ではない。ましてや発生直後にはほとんどわかっていなかった。またその原因もいろいろ推測されたが、どうやら官憲が発する誤った情報に民衆が過激な反応をしたというように、山崎は考えているようだ。

朝鮮人が最も多く殺されたのは南葛だと言い、その数二千と言っている。ここで南葛というのは船橋のことである。船橋には海軍の信号所があったが、その信号所から朝鮮人の不届きな行為に関する悪意ある情報が発信・拡散され、それに踊らされた日本人が朝鮮人に襲い掛かったということらしい。船橋の行田公園付近にはそのおりの出来事を簡潔に記した碑文が立てられている(いまでもあると思う)。それを読むと、権力によって使嗾された現地土民が朝鮮人を殺害した様子が伝わってくる。

関東大震災の混乱に便乗する形で、憲兵隊による大杉栄と伊藤野枝、立花宗一少年虐殺事件が生じている。この事件について山崎は実行犯の甘粕にはあまり重きを置かず、もっと上層部の意向が反映しているのではないかと疑っているようである。甘粕はこの事件の責任を一人でとるような形で有罪判決を受けたのだが、すぐに出獄し、フランス留学をしたあとで満州の顔役に収まっている。大杉事件の責任を一人で背負ったことを評価されて、そのような待遇にあずかったのだろうと思われる。そこにはこの事件に軍の上層部もかかわっていたことを感じさせるものがあり、山崎の疑念にもある程度の理由がありそうだ。

山崎は殺された大杉たちとは個人的なつながりもあったらしく、生前の大杉との付き合いを回想する文章も書いている。

山崎はまた、亀戸事件についても触れているが、これは関東大震災の直後、平沢計七以下労働運動活動家九名が亀戸警察署に理由なく拘留されたあげくに、憲兵によって銃剣で刺殺されたというものだ。これについて官憲当局はひたすら隠そうとしたが、事実を知った山崎は徹底捜査するよう司法当局(平沼騏一郎)に要求した。そのあたりは人権弁護士としての山崎の戦う姿勢がひしひしと伝わってくるところだ。

題名に憲兵と巡査を入れたのは、この双子の官憲が日本を我が物顔に支配していることへの異議申し立てのつもりのようである。ちなみに官憲という言葉は、警察官と憲兵とを足して二で割ったものか。



HOME 日本史覚書 近代史







作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2020
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである