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歴史的時代としての近代日本


我々日本人は、自国の歴史について独特の時代区分の様式を持っている。小学校の高学年になると教えられることだが、古代から近代までの自国の歴史を、奈良時代以降、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土・桃山時代、江戸時代という具合に区分する。これは権力の所在地に従った言い方である。たとえば平安時代には平安京に権力の中心たる宮廷があり、江戸時代には江戸に権力の中心たる幕府があったということを含意している。

これとは別に、権力を握っている者、つまり権力の主体に従った言い方がなされる場合がある。これによれば、室町時代は足利時代と言い換えられ、以下、織豊時代、徳川時代という具合になる。

ところで、明治維新以降の時代については、以上のような時代区分に基づいた言い方は確立されておらず、明治・大正・昭和それぞれの元号で呼んでみたり、近代というようなざっくりとした言い方で済ませている。現代に生きる我々日本人にとって、これらの時代があまりにも身近に感じられるために、意識的に対象化されにくいという事情があるためだろう。だが、明治維新以降すでに百五十年近くの年月が経っていることを考えれば、遅かれ早かれ、この時代を歴史的な時代区分に繰り入れる要請が高まるだろうと思われる。

そこで、明治維新以降現在に至る時代をどのように呼ぶべきか、という興味をそそる問題が生じる。一番無難で、しかもわかりやすいのは、伝統的な様式に従って、権力の所在地に従った言い方を用いることだろう。この方法によれば、この時代の権力の中心地だった東京をもとにして「東京時代」ということになろう。東京は、地理的には江戸と異なるところはないが、東京と江戸では、言葉の歴史的・政治的含意が大いに異なる。東京という言葉によって、日本が開国・国際化したという大きな歴史の流れが表現されており、また、それとパラレルに、過去との基本的な断絶が読み取れるわけである。しかし、この言葉だと、明治以降現代に到る時代が、十把一絡げのように括られて、基本的には同質の時代だったと受け取られる可能性が大きくなる。実際には、昭和二十年の敗戦を挟んで、それ以前と以後では、全く違う時代と言ってもよいのである。

敗戦の前と後が全く違う時代だという理由は、それぞれの時代の権力の担い手が違うからである。普通は、敗戦前は天皇主権、敗戦後は国民主権と言う具合に考えられ、敗戦を挟んで、権力が天皇から国民に移ったというふうに思われている。この考え方を前提にすれば、敗戦前は天皇主権時代あるいは天皇制時代、敗戦後は国民主権時代あるいは民主制時代ということになろう。だがこの言い方は、あまり精巧を得ていないというべきである。

何故なら、明治憲法下の時代は、形式的には天皇主権ということにはなっていたが、実質的に権力を行使していたのは、薩長藩閥政府とその後裔だったからである。明治維新そのものが、徳川幕府から薩長藩閥勢力への権力の移行をもたらした政治的なクーデターだったと考えてよい。権力を握った薩長藩閥勢力は、天皇の名のもとに自分たちの政治的・経済的野心を追求したのであって、それは、足利幕府のもとで足利の藩屏が全国の守護職を独占し、徳川幕府のもとで徳川の譜代家臣団が全国の大名職を寡占していたのと基本的には同じ構図である。薩長藩閥勢力の場合には、近代日本に相応しく中央官庁の要職を占めるという形で、自分たちの権力欲を満足させたわけである。こうした事情を踏まえれば、明治維新以降昭和の敗戦に至る期間は、「薩長時代」というべきかもしれぬ。

では敗戦以降の時代は、どのように呼んだらよいか。筆者はこれを「対米従属時代」と読んだらよいのではないかと考えている。昭和二十年の敗戦は、基本的には対米敗戦であったわけで、戦後アメリカによる全面的な占領を経て、新憲法の制定始め、日本の政治制度はほぼ全面的にアメリカによって作られた路線を歩んでいる。その後、露骨な占領が終って、形の上では日本が独立を回復したということになっているが、実質的には、日本の対米従属は現在まで続いていると見るべきである。沖縄の基地問題などは、局所的な現象のように見えがちだが、実際には日本の対米従属の実態が最も先鋭に現れていると考えた方がよい。日本の歴代内閣総理大臣の中で、対米自立を試みた政治家がことごとく失脚している事実は、その実態をよく物語っている証拠の一部と考えられる。

日本のいわゆる保守勢力のおかしなところは、一方では愛国心の昂揚を言いながら、その実アメリカの言いなりになっているところである。安倍政権には特にその傾向が強い。沖縄の基地問題や、いわゆる集団的自衛権をめぐる安倍政権の対応を見ていると、いまやアメリカの利害を日本国民の命運に優先せしむるかの如き姿勢を感ずる。

安倍晋三の祖父岸信介も、一方では自主憲法の制定など日本の自主性の確保と言いながら、その実は、日米安保の深化を通じて、対米従属の度合いを深めたといってよい。祖父と孫と、この両者はことあるごとに、敗戦前の体制を賛美するかのごとき発言を繰り返すが、それは長州人として、かつての薩長藩閥の栄光を取り戻したい、と言っているように聞こえる。



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