日本語と日本文化


敗者たちの生き方:山口昌男「敗者の精神史」


山口昌男氏の「敗者の精神史」を繙いてみたところ、まず最初にあった記事は三越に関するものだった。国際博覧会とか見世物の系譜のなかに日本の近代的デパートを位置付けようとする論旨のようだが、三越がなぜ敗者と関係があるのかわからない。三越はむしろ維新の勝組ではないか。そんな風に思って読みとばし、ページを先に送ると、「敗者たちの生き方」と題して、面白そうな一文が目についた。

記事は、大槻盤渓、如電、文彦親子に始まり、東海散士と山本覚馬、それに根岸党などを話題にしている。これならたしかに敗者といえなくもない。大槻親子は仙台藩の出身で、幕末、維新では辛酸をなめた部類だし、東海散士と山本覚馬はどちらも会津藩士として塗炭の苦しみを舐めた人たちである。そして根岸党と呼ばれた人たちは、維新政府とは一線を画して、在野で息を吐いていた人々だ。なるほどこの顔ぶれなら、敗者を云々しても間違いではない。そう思って読み進んだところが、これがなかなか面白い。

大槻如電は父親の盤渓が国事犯の汚名をうけたことに対して、「なんぼ武断の世でもその無法さは驚くべしだ。本人を一回も尋問しないのだから」と憤り、父親の無罪を勝ち取るために半生をかけた。そして父親が死んだ12年後にやっと名誉回復を勝ち取ることができた。

如電は一時文部省に出仕したが、父親をひどい目にあわせた藩閥政府を許せず、明治8年30歳で家督を弟の文彦にゆずり、自分は隠居してしまった。そして86歳で死ぬまで在野の研究家として通した、かなりの意地っ張りである。弟の文彦がその間、日本初めての国語辞典「大言海」の編纂に一人心血を注いでいたことはいうまでもない。

東海散士は本名を柴四郎といった。「ある明治人の記録」を書いた会津人柴五郎のすぐ上の兄である。会津人が維新戦争で蒙った苦悩は柴五郎のいうとおりであるが、四郎も五郎に劣らぬ苦悩を味わった。彼は会津戦争の時には十六歳で、白虎隊に編入されていた。しかし城が敵に囲まれた時には熱病で動けない状態にあったので、戦闘には参加せず、九死に一生を得た。そのあたりは、柴五郎の著述の中で生き生きと記録されている。

柴四郎は東海散士の名で「佳人之奇遇」を出版した。みずからの体験を踏まえた政治小説というべきものだが、実際に執筆したのは高橋太華であったと山口氏はいう。太華は日本最初の少年雑誌「少年園」の編集人であり、根岸党につながる人である。

もう一人の会津人山本覚馬は、維新遷都後一旦は荒れかけた京都の町を、復興させようとして粉骨努力した人である。彼の事業の中でもっとも知られているのは、新島襄と協力して同志社を設立したことである。同志社にかぎらず、彼は京都に学校を誘致することに熱心だった。今日の京都が学問の都として栄えていることには、山本の努力があずかっていたと、と山口氏はいう。

その山本には八重子という妹があった。八重子は会津戦争に際して、女ながらに戦闘に参加し、男装して果敢に戦ったことで知られている。彼女は後に新島襄の妻になった。(彼女を主人公にした大河ドラマが、来年NHKで放送されるそうだ)

根岸党については、山下恒夫の次のような文章を、氏は紹介している。

「この根岸党の一団を結びつけたものは、やはり一種の江戸趣味だった。根岸党は、いわば"文人梁山泊"の観があり、しばしば酒宴や旅行の機会をつくっては、洒落た奇行を演じ、世人を煙に巻いていた」

この根岸党の面々がある時浅草から船を出して向島に向かっているとき、向うから一艘の船がやってきた。乗っているのは依田学海で、学海居士と背中合わせに若い女性が乗っていた。墨水別墅雑録に出てくる、学海先生の囲い女瑞香女史であろう。背中合わせに乗っていたのは、あるいは喧嘩をしたせいかもしれない。このふたりは良く喧嘩をしていたから。

彼らは互いに相手に気づくと、熊谷と敦盛があべこべになったようだな、などと冗談を交わしながら、結局は同行して梅若にお参りに行くことになった。

ここで、しかもこんな形で、学海先生と出会ったので、日頃から学海先生が贔屓の筆者などはすっかりうれしくなってしまった次第だ。

学海先生は徳川時代最後の文人といってもよい人だ。徳川時代末期に花開いた漢学の伝統を一身に担い、時代が明治にかわり、あたりが文明開化で包まれても、徳川時代の精神を忘れずに生きていた人だ。そんな先生と、根岸党の人々は価値観を分かち合っていたのだろう。

「根岸党の人々にとっては明治時代は敗残の時代であった」塩谷賛のこの言葉を引用したうえで、山口氏は次のように書く。「根岸党の韜晦趣味には、遊戯精神と反権力という、健康的とも病的ともいえる脱世間の感覚が働いている」

こうしてみれば、根岸党の人々を中心にしたこの部分は、「敗者の精神史」というこの本の表題を、もっとも強く表している部分だといえよう。




  
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