日本語と日本文化


教育勅語を読む


教育勅語は、国家神道及び明治憲法とともに明治の天皇制イデオロギーの支柱となったものといえる。この三者の関係について島薗進(「国家神道と日本人」)は、国家神道こそが明治絶対主義のイデオロギー的な中核をなし、明治憲法はその制度的な枠組みとなり、教育勅語は国民の意識にそれを植え付けるについて決定的な役割を果たしたとして、次のように言っている。

「国家神道とは何かを知る上で教育勅語がもつ意義は、いくら強調しても強調しすぎることはない。それは教育勅語が国家神道の内実を集約的に表現するものだったとともに、それが多くの国民に対して説かれ、国民自身によって読み上げられ、記憶され、身についた生き方になったからである」(島薗「国家神道と日本人」)

要するに、国家神道が明治の絶対主義を支えたとすれば、その絶対主義の精神ともいうべきものを国民が内面化し、国民自らが主体的に絶対主義的イデオロギーの推進者となっていったのが、日本の絶対主義の特徴であり、そうしたシステムを堅固に築きあげるについて、教育勅語が決定的な役割を果たしたと見るわけである。

そこで教育勅語の内容がどのようになっていたのか、それを見ることとしたい。全文は次のとおりである。

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛眾ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽」

おおまかに見て三つの部分からなる。第一の部分では、わが国が皇祖皇宗によって始められて以来その子孫たる天皇が支配してきた国であって、臣民は心を一にして皇祖皇宗の樹立した徳を尊ぶのがわが国体の精華であると述べられている。つまり国民に天皇への忠誠を求めるわけである。

第二の部分では、前段で儒教的な徳目をあげたあと、臣民は国憲を重んじ国法に従い、国に一旦非常事態が生じれば義勇公に奉じる、つまり国のために尽くすべきだと求める。そして第三の部分では、以上述べたことは臣民が従い尽くすべき義務である旨が述べられる。これを島薗は次のように要約している。

「教育勅語は真中に臣民が守るべき徳目を説き、始まりと終わりの部分で天皇と臣民との間の神聖な紐帯、その神的な由来、また臣民の側の神聖な義務について述べている。国家神道的な枠の中に、儒教の徳目に対応するような、ある程度の普遍性をもる道徳規範が述べられている、という構造になっている。内側に示される道徳的教えの部分は宗教性が薄いが、外側の枠の部分を『国体』論や天照大神信仰、皇祖皇宗への畏敬の念、そして濃厚な天皇崇拝が囲んでいるのだ」(同上)

島薗の見立てでは、教育勅語の主な狙いは普遍的な道徳を説くということよりも、皇祖皇宗への畏敬の念や天皇崇拝の信条を国民に植え付けることにあったということになる。そしてその狙いは大いに的中した。というのも日本人はこの教育勅語を数世代にわたって読み上げ続けてきた結果、そこに書かれていることを内面化し、天皇性の絶対主義的な権力を下から支えるようになったからだ。そうでなければ、あの無謀な戦争を国民全体が支えるというようなことは起らなかっただろう。

教育勅語とそれが説いた精神はもはや過去のものと一応はされているが、その復活を望む声は絶えない。とくに今の安部政権になってからは、明治憲法の精神を復活させようとする動きと並んで、教育勅語の精神を取り戻そうという動きも出てきている。さすがにその宗教的な側面をそのまま復活しようという意見は少数派だが、国民に対して義務を説き、個人の自由よりも公の都合を優先させようとする考えには根強いものがある。これもまた教育勅語の(国民教化という)遺産なのかもしれない。




  
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