日本語と日本文化


民俗信仰の抑圧と乞食の排除:安丸良夫「神々の明治維新」


明治維新前後の神仏分離・廃仏毀釈の動きは、民俗信仰や芸能を含めた習俗行事の抑圧をもたらしたと安丸良夫は指摘する(「神々の明治維新」)。国体神学を通じて国民の精神的な統一を図ろうとする意図にとって、民俗信仰は迷信の巣窟として国家による国民教導を妨げるものであったし、習俗行事の多くは国民を怠惰にさせ、国家秩序を乱すものとして捉えられたというのである。

民俗信仰的なものへの国家規模の抑圧としては、「六十六部の禁止(四年十月)、普化宗の廃止(同上)、修験宗の廃止(五年九月)、僧侶の托鉢禁止(同十一月)、梓巫・市子・憑祈祷・狐下げなどの禁止(六年一月)、祈祷・禁圧をもって医療を妨ぐる者の取締り(七年六月)などが重要な画期であり、これらの禁令は、それぞれの地域で、地方官の啓蒙的改革への情熱にもとづいて実施されていった」。そうした地方的な動きの例として安丸は、いくつかの例をあげている。

山梨県では、明治五年に、正月の門松、立春の追難、厄攘、節季候などが禁止され、六年には「今日の風化に背くもの」として次の事柄が禁止された。
 ① 神仏に託した種々の講
 ② 神仏の縁日、日待・月待・厄日待・洗垢離
 ③ いわれのない勧化勧物、乞食への施し
 ④ 淫祠の堂宇の建立
 ⑤ 浄瑠璃・三味線などを学んで業を怠ること
 ⑥ たびたび小祭をなし群飲浪費すること
 ⑦ 婚姻・喪祭・出産・宮参りなどの饗応が分にすぎること

滋賀県では、明治三年に若者仲間が禁止され、五年には地蔵祭と左義長が禁止された。また、死者を納めた棺に六道銭を入れることを禁じたり、神饌に獣肉を供えよと命じたりした。

こうした抑圧を安丸は、啓蒙的抑圧とか開明的専制主義とか呼んでいるが、こうした抑圧が最も強く現われたのは乞食に対するものであったという。「乞食の取締りには、こうした啓蒙的抑圧の原理が、ある極限において表現されているともいえよう。乞食は、遍路や六十六部のような下級の宗教者、また角付の芸人などに近い性格をもち、それ自体何物も生産しないがゆえに、怠惰と社会的浪費を集約的に表現するものとされた。もちろん、乞食の中には、疾病・不具などによってやむをえず乞食に落ちた者もいた。しかし、乞食という存在のなかに、新時代にふさわしくない怠惰と愚昧をみて、それを生業につけるか、そうでなくとも彼らを追い払って、一般民衆から彼らを隔離しようとするのが、明治五年ごろの政策であった」

こうした乞食に対する抑圧の一例として、安丸は大阪府の禁制を上げている。
 一、 橋上・橋下において起臥いたし候乞食有之候ハバ、橋掛町々に於て心を附、速ニ可追払事
 一、 先般、非人之唄被廃候上ハ、辻芸・門芝居等賎敷遊業を以渡世いたすべからざる筈ニ付、以来町村に於て厳重停止可致事
 一、 社寺之境内ニ乞食起臥いたし候ハバ、厳重取締、悉く追払ふべし。若等閑にいたし置に於てハ、其社寺へ可引渡候

大阪府は、乞食取締りの言訳として、次のように言明する。すなわち、「廃疾等によりやむをえず乞食になったのは全体の十分の一で、それ以外は『無頼放蕩にして我職分を勉むる事を不好』がゆえに、脱籍して乞食の仲間にはいったのだ」と。それゆえ、そうした境遇の責任は、基本的には本人にあるとされた。彼らは、厳しく取り締まられても、文句をいえる筋合いではないというわけである。

こうした乞食観は、現代日本の文明社会でもまだ生きている。先年も、某東京都知事が、ホームレス取締り強化の口実として、次のように言った。ホームレス(乞食の現代版だ)たちはみな、自分の意思で(好き勝手で)そうした生活を送り、その結果社会に迷惑をかけているのだから、なにも手厚く面倒を見てやる必要はない。彼らは強制的に排除されて当然だ、と。

たしかに、ホームレスの中には、自分の意思でそうした生活スタイルを選んだもののいることは間違いない。問題なのは、明治維新以前の乞食たち(ホームレスの先輩たち)が、角付や説教語りなど、さまざまな芸を身につけて、それなりに渡世をしのいでいたものが多かったのに対して、現代の乞食たるホームレスには、渡世に役立つような芸がないということだろう。だから彼らは、公園や河川敷の一隅で、ひっそりと暮らすほかはないわけである。

日本には、乞食のようなものでも、社会から排除してしまうのではなく、彼らにそれなりの居場所を与えてやろうという、大らかな社会的寛容の歴史があった。それが明治維新の際に徹底的に抑圧され、そのことで社会の非寛容が日本の特色の一つになってしまったように見えるのだが、それは日本の長い歴史のうえでの、つい最近のことであるに過ぎない。明治の絶対主義権力が、国民の精神的な統一と、権力への服従を担保するために行った、いわば全体主義的な政策の効果の一つとして、乞食に対する不寛容が醸成されたといってよい。

もっとも、そういうことで、もう一度昔のような、乞食に対して寛容な社会に戻れ、と主張しているわけではない。乞食に対して、そんなに寛容になる必要はないのかもしれない。だが、特に弱い立場の人間に対する、ある程度の寛容さというものは、どんな社会にも必要なことではないか。




  
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