日本語と日本文化


村上重良「国家神道」


村上重良の「国家神道」は、国家神道研究の古典といってよいだろう。国家神道は、歴史的ないきさつもあって、客観的な視点からの分析がなかなか徹底されなかったきらいがあるようだが、村上のこの本は、国家神道の意義とその歴史的に果たした役割を、なるべく客観的に跡付けようとする姿勢に貫かれているといってよい。最近、島薗進の「国家神道と日本人」という本が出たが、島薗も村上のこの研究を、国家神道研究の足がかりとして、大いに評価していた。

村上は国家神道を次のように定義している。「国家神道は、近代天皇制がつくりだした国家宗教であり、明治維新から太平洋戦争の敗戦にいたる約八〇年間にわたって、日本人を精神的に支配した」。

この定義によれば、国家神道は、①近代天皇制がつくりだした政治的な産物であったこと、②日本の近代史の一時期(明治維新から太平洋戦争の敗戦までの80年間)における現象であったこと、③その日本の歴史の一時期に、日本人を精神的に支配したこと、が主張されている。つまり国家神道は、一部のものが主張するような、日本の歴史に根ざした太古からの伝統などではなく、明治維新以降人為的に作られたものであり、しかもきわめて政治的な色彩の濃いものだったと主張しているわけである。

このように、国家神道を明治維新以降権力によってつくりだされた人為的・政治的産物だったとする見方は、島薗の研究にも貫かれている。また、その内実についての見方も、村上のそれが規範的な作用を及ぼしている。村上は国家神道の内実を、「神社神道と皇室神道を結合し、宮中祭祀を基準に、神宮・神社の祭祀を組み立てることによって成立した」と言っているが、この見方は概ね島薗にも引き継がれている。

島薗は、国家神道における宮中祭祀の重みを非常に重視し、村上がこの面を過小評価していることを批判していたが、たしかに村上には、国家神道を神社神道と皇室神道とが結合したものだとしながらも、皇室神道、とりわけ宮中祭祀の意義についてはあまり強調しないところがある。村上はどちらかというと、神社神道の動きのほうに注目し、神社神道が皇室神道を抱きこむような形で国家神道をつくりあげていったというような見方をしている。

これは瑣末な相違に見えないこともないが、島薗に言わせれば、宮中祭祀こそ国家神道の最重要部分であり、これを軽視することは、国家神道をゆがんで理解することにもなるし、また未来に向かって、国家神道の復活を阻止できないことにもつながる、というような見方をしている。

村上は、べつに宮中祭祀と皇室神道を軽視したつもりではないのだろうが、神社神道の動きに力点を置いた結果、相対的にそのような印象をもたらしたきらいがないわけではない。逆の見方をすれば、島薗が宮中祭祀の重要性を強調するあまり、神社神道の動きについては軽く見ている結果になっているのと、相補的な様相を呈しているわけである。

島薗の見方に従うと、国家神道というのは、皇室の宮中祭祀を中心にして体系化されたものであり、その宮中祭祀そのものが、明治維新以降に作られた新たな祭祀体系(作られた伝統)だったとすることで、国家神道があたかも明治維新以降突然現れたものだというような印象を与える。ところが村上のように、神社神道の動きに注目すれば、国家神道の基礎が徳川時代において用意され、明治維新以降新しく日本の支配権力を担った勢力が、それを政治的に利用する形で国家神道が成立していったという歴史の流れがよりよく見えてくる。

以上は、国家神道の成立をめぐる村上と島薗の相違に言及したものだが、国家神道が歴史的・政治的に果たした役割については、村上も島薗もほぼ同じような見方をしている。それは一言で言えば、国家神道を天皇性イデオロギーの核心として、明治の絶対主義権力が利用したということだ。国家神道によって天皇は現人神として国民の崇拝の対象となり、国民を精神的・政治的に支配したというわけである。このプロセスにおいて、国家神道そのものを宗教として確立しようとする動きもあったが、国家神道そのものには、人間の内心に訴えかけるような宗教的な実質がなかった。それゆえ、国家神道を一般の宗教とは次元の異なるものとして、宗教を包摂する高い次元の権威として祭り上げることにより、擬似祭政一致の体系を確立していった。この体系の中では、国家神道は国家の枠組を決めるものであって、その枠組みの中で個々の宗教が存続できるという関係になった、という見方をするわけである。

個々の宗教が存続できるのは、国家神道に体現された天皇性イデオロギーを尊重する範囲内でのことであって、その範囲を逸脱したものには厳しい弾圧が加えられた。村上は、天理教やひとのみち教団を初めとした神道系の新宗教に対して明治の国家権力が呵責のない弾圧を加えた経緯を丁寧に追っているが、それは擬似祭政一致体系としての明治の国家権力が、その根底に、強烈なイデオロギー性を持っていたことを物語る範例として言及しているのだと思われる。



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