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山川菊栄「幕末の水戸藩」


山川菊栄は「武家の女性」の中で、幕末における水戸藩士の生態にも触れていたが、この「幕末の水戸藩」は、文字通り幕末期における水戸藩士の生き方に焦点を当てて、くわしく紹介したものである。菊栄自身は明治三年の生まれであり、幕末期の水戸藩の状況を身を以て体験したわけではないが、母方の祖父が水戸弘道館の教授であり、水戸藩の精神的な指導者の一人であったこともあり、また母親の回想を身近に聞いていたこともあって、幕末期の水戸藩の状況を、半ばは当事者として、半ばは第三者として、複合的に見る目を養ったと言える。だから彼女による幕末の水戸藩の紹介は、独特の雰囲気を帯びている。

水戸藩が、徳川御三家の一つでありながら、勤皇主義を奉じていたことはよく知られている。幕末の尊攘運動は、水戸藩が震源地になった。水戸の尊攘思想が、長州藩はじめ各地の尊攘運動のイデオロギーの役割を果たし、それが維新のエネルギーとなっていった。皮肉なのは、尊攘の旗頭をつとめた水戸藩が、内部抗争に明け暮れて人材を枯渇させ、そのために維新の功業の果実にあずかれず、それを薩長の連中に奪われたことである。

なぜそんなことになったか、菊栄はその理由を武家階級の貧困に求めている。武家の貧困はどの藩でも同じようなものだったが、水戸藩はとくにひどかったようだ。一部の特権的な家柄は別にして、武家のほとんどは家禄だけでは食えず、役職について手当をもらうか、内職で補わなければならなかった。奈良本達也がいうとおり、役職にありついたものはウナギを食うことができ、ありつけなかったものはウナギの串を作る内職に励まなければならなかった。こんなわけだから、武家は誰でも役職に就くことを求めた。それが水戸藩における内部抗争の大きな要因になったと菊栄は考えている。武家たちは、派閥を組み、派閥の力を借りて役職にありつこうとした。派閥は役職を獲得する戦いのエンジンとなったわけだ。

その派閥争いを激化させた最大の要因は、水戸の尊攘思想だった。幕末期の水戸には、藤田幽谷とかその子の東湖だとかいったイデオローグが出現した。そのイデオローグに藩主の斉昭が感染した。藤田派は有名な天狗党の淵源となったが、その天狗党が藩主を担いで水戸の政治を動かすようになる。一方これに対立して、佐幕を党是とする派閥諸生党が形成され、この両者が対立する。それに加えて天狗党が分裂し、三つ巴のいがみ合いに発展する。そのいがみ合いは殺し合いとなって、おびただしい数の人々が命を失った。菊栄によれば、この抗争で水戸の有能な人材のほとんどが死滅したようである。

そんなこともあって、この書物のほとんどは派閥間の抗争の叙述にあてられているのだが、菊栄はその抗争を、一人の水戸藩士の末裔として、強い憤りを以て描いている。つまり文章に情念がこもっているわけで、その情念が読むものをして深い感慨を抱かしめるのである。

菊栄は、母方の祖父である青山延寿の残した文章を主な典拠としてこの文章を書いた。延寿は弘道館の教授であり、また水戸藩の積年の事業である大日本史の編纂にも携わっていた。思想的には天狗党に親近感を持っていたらしいが、水戸の内部抗争が激化すると、天狗党も諸生党もなく、両方から命を狙われるような目にもあったらしい。この両者は、時代の流れにも翻弄されながら、相互に権力についたが、そのたびに政敵を殺し尽くした。とくに子年の御騒ぎといわれた元治元年の天狗党の騒乱のさいには、諸生党の連中が血祭りにあげられ、その天狗党が幕府方によって粉砕されると今度は彼らが諸生党によって血祭りにあげられた。そして維新によって天狗党が復活すると諸生党が殺し尽くされるといった具合で、血で血を洗う事態が続いた。そのため、家の当主ばかりかその家族までもが犠牲となり、水戸の人材は枯渇したというわけなのだ。

このように見てくると、水戸の内乱は、武家階級の物質的な窮状と、水戸家創設以来のイデオロギーが結びついた結果起こったものと菊栄は考えているようだ。菊栄の祖父が天狗党のシンパだったこともあり、菊栄は天狗党を強く非難していない。かといって諸生党を強く非難するわけでもない。こんなバカげた事態を引き起こしたのは、人間の弱さなのだといった、諦念のような気持ちが彼女の文章からは伝わってくる。

なお、慶應四年に将軍慶喜が水戸に謹慎して朝廷に恭順の意を表した際のことには、ほとんど触れていない。慶喜が水戸の内政に全く影響力を持っていなかったことがその理由と思われる。慶喜自身も、弘道館にこもって謹慎し、水戸の内政に関わろうとする意志は持たなかったようだ。

ともあれこの幕末の水戸史は、天狗党の領袖はじめ様々な人物について、彼らの生き方や人間的な面を重層的に描きだしており、単なる歴史書というにとどまらず、読み物としても面白い。



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