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天児慧「日中対立」


天児慧は現代中国問題の専門家を自負しており、そうした観点から「中華人民共和国史」(岩波新書)を書いたりもした。その基本的な視点は、中国の体制(国家資本主義とか中国型社会主義とかいわれる)を、世界史の流れから逸脱したものであって、持続可能なものではないと見ることである。中国が今後も持続可能な成長を遂げるためには、資本主義的な要素を大胆にとりいれ、できれば日本のような資本主義社会になるべきだというわけである。天児には、日本を中国の手本として、中国は日本に習うべきだとの、かなり夜郎自大な、上から目線で中国を見下ろすところがある。

「日中対立」(文春新書)は、「中華人民共和国史」とほぼ同じ時期に執筆したものだが、すでにGDPで日本を上回り、強大な国力を誇示するようになった中国に直面して、対中警戒の姿勢を強く感じさせるものになっている。天児はこの本の中で、異常に緊張度を高めている日中両国が、何らかの事情で戦争状態になることも十分に予想されるとして、そうなった場合、日本は中国を相手にどう戦うべきか、そのシミュレーションまで披露している。つまり中国は日本にとって、いつかは戦争をするべく定められた敵国としての位置づけなのである。

そんな天児でも、日本が単独で中国に勝てるとは思っていないらしい。日本が中国相手に戦うためには、最低アメリカの参戦が前提になる。しかしアメリカが、自分自身の利益にならない戦争を、中国という強大な国を相手にする可能性は極度に低い。日中戦争の考えられる唯一の原因は尖閣にあるとしたうえで、その尖閣が、もしも中国によって実効支配されるようなことにでもなれば、アメリカがそれを取り戻すために、日本とともに中國相手に戦う可能性は非常に低い。そうした認識に立てば、日本が中国相手に戦争することには、かなりなリスクが伴う。できたら戦争をしないで済ませたい。それにはどうしたらよいか。

天児は、日中の政府間レベルではなかなかうまくいかないだろうから、民間が前面に立って日中の絆を一層深いものにし、両国の結びつきを強化すべきだと言っているが、いかにの付焼刃的な提言に見える。

天児がこの本を書いた時点では、日中対立の最大の要因は尖閣問題だった。今後もそれは基本的には変わらないと思う。いわゆる歴史問題をめぐる対立はあるが、それは戦争につながるようなイシューではない。尖閣問題をうまく処理出来たら、日中の戦争は避けられる。逆にいえば、尖閣問題の処理を誤れば、日中戦争の可能性は非常に高まる。

その尖閣問題については、日中双方にそれぞれ言い分がある。しかしお互いが自分の言い分を叫び続けるだけでは、問題は解決しないだろう。もし日本が、これまでのように尖閣をめぐる領土問題は存在しないというスタンスを続け、中國との間に問題解決のための場を設けないならば、いつまでも解決しないであろう。天児自身は、日本は自分の言い分を主張し続け、中國に妥協する必要はないというスタンスのようである。しかしそれでは、日中対立はいつまでも解消せず、日中戦争の可能性も消えないので、その時に備えて、勝利のための備えを提言しているのであろう。

尖閣をめぐっては、法的・歴史的な背景があって、日中それぞれが自分の言い分の正しさを主張しあっている。天児自身は、過去の歴史的な背景には深く立ち入らず、日本による実効支配を前提として、日中が相互に納得できる解決策はないかと思案しているようである。だが、そういう解決策はおそらく見つからないだろう。だからこそ天児も、日中戦争の可能性を真剣に考えているのだと思う。

天児は、中國にとって尖閣問題は、海底資源をめぐる利権のための争いと位置づけているようだが、そうした認識では、尖閣問題を解決することはできないだろう。尖閣は中国にとって、単なる領土問題ではなく、歴史問題なのである。つまり尖閣の日本による領有を、中國への侵略の一環としてとらえているわけだ。だから、そういう中国側の本意を無視すると、問題の解決からは遠のく。外交によって問題を解決しようとするならば、互いにゆずりあう姿勢が必要だ。ところが天児には、そういう姿勢がない。尖閣をめぐる日本の現在の状況を絶対的な所与として、中國はそれを認めよ、というかなり一方的な立場に立っている。それでは、大人の話し合いはできない。天児自身そうした(一方的な)立場から中国人と尖閣問題を論じることがあり、その際には大論争になったりすると言っているが、おそらくその論争は、犬の喧嘩に等しいものなのだろう。要するに、互いに自分の言いたいことを吠えたてているだけだ。

小生は、天児に付き合うつもりはないが、日中対立はやはり避けるべきだと思う。その際に尖閣をどのように扱うかがポイントになる。日本にとって尖閣が国家存亡に直結するような最重要課題だという認識に立つなら、国の存亡をかけて中國と戦うべきだとの結論となろう。しかしどうもそうは思えない。たとえば、領土問題を棚あげしたうえで、日中で共同開発をするといった選択肢もあるのではないか。天児もそういう選択肢に言及しないわけではないが、それは日本が中心になった計画に中国も参加させてやるといった、かなり日本のメンツにこだわった言い方になっている。そういう言い方を聞かされると、天児は基本的には国家主義者だとの印象を受ける。

天児は、とくに尖閣問題をめぐって中国との緊張が高まっていることに憂慮を示しながら、他方では、中國が日本にとって、さまざまな意味で切り離せない関係にあることも認めている。中國との全面的なデカップリングは、これからの日本にとって最悪の選択だ、ということがわかっているようなのだ。それでいて、日中戦争のシミュレーションをするほどに、対中関係を硬直的に考えるところもある。そうした天児の姿勢は、多くの日本人に共通するものだ。そうした日本人は、過去に日本が中国に対して行ったことを意図的に忘却し、夜郎自大的な大国意識を振りかざして、中國を日本のいいなりにしたがる。その中國が日本のいいなりにならないと見るや、パニックになったように、中國の非礼をとがめだてるのである。

小生は別に中國に肩入れするつもりはないが、隣人相手に仲良くしようとするなら、相手のことを理解しようとする姿勢が必要ではないか。そうした姿勢は想像力から生まれる。いまの日本に必要なのはその想像力なのだ。天児を含めて多くの日本人にはそれが欠けている。



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