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民主と愛国:小熊英二の戦後日本思想論


小熊英二の大著「民主と愛国」は、日本の戦後思想を俯瞰したものだ。副題に「戦後日本のナショナリズムと公共性」とあるように、小熊は戦後思想の特徴をナショナリズムと公をめぐる議論に見ている。ということは、戦後日本思想がきわめて政治的な性格を帯びていたと見ているわけだ。それは日本という国をもっぱら政治的な関心から論じるということにつながるから、勢い論争的な色彩を強く帯びる。その論争はナショナリズムと公共性を軸に展開してゆくわけだが、ある時はいわゆる進歩派がナショナリズムを強く主張するかと思えば、ある時は保守的な勢力がナショナリズムを取り込むという形になる。こうした論争はある程度共通の地盤を前提にしている。そこから議論の連続性ということが生まれる。つまり議論の蓄積が行われるということだ。後から議論に参加するものは、先駆者たちの議論を批判することから自分の言説を展開するのである。これは丸山真男が指摘した日本思想の特質とは随分と異なっている。丸山は日本には固有の思想はなく、外国から脈絡もなく新しいとされる思想が輸入され、したがって思想の内容よりは、その新しさだけが評価の基準になるような倒錯した状況が続いてきたと言ったわけだが、ことナショナリズムを巡る議論の場合には、そういう指摘は当てはまらず、議論は一応共通の地盤の上で連続的に展開されるということになる。

その丸山が戦後日本思想の開始を告げるキーパーソンとして位置づけられる。日本の戦後思想は戦争体験を思想化する営みとしての色彩を強く持つのだが、丸山はそれを戦争を遂行した勢力の無責任を批判するという形で始めた。丸山等の世代は、戦争が始まった時にはすでに成人しており、多かれ少なかれ戦争を相対的に見る目を持っていた。その目を通じて、この戦争が無責任な連中によって遂行されたために、国民の多くは戦争に嫌気を感じ、民族としての一体感を持てなかった。そのために、戦争を最後まで遂行することができなかったと見ていた。つまり正当なナショナリズムが欠けていたために戦争に敗れたというような見方をしたわけだ。これに対して、丸山より下の世代は、戦争を所与の現実として受け止め、したがってそれを相対化する目を持てなかった。そういう目で見ると丸山等の戦争批判は受け入れがたいものとして映った。こうして丸山等が唱えた戦後民主主義を批判する動きが出てくるとともに、民主主義そのものへの懐疑的な見方も強まった。それと平行してかつての民主主義とナショナリズムとが強く結びついていたあり方から、両者が分離し、ナショナリズムが専ら保守派によって唱道されるといった転換も起こった。

この本はそうした戦後日本の思想状況を俯瞰するものである。小熊は日本の戦後思想の特徴を、先にも触れたように、戦争体験を思想化したものだと捉える。戦争体験を思想化する中で、ナショナリズムや公の問題を考えるというのが、戦後思想の基本的な特徴だとする。この戦争体験というのは、すべての日本人によって共有されていたために、議論の共通の地盤を提供した。丸山を始め戦後思想をリードした人々は、この共通の戦争体験をいかに言語化するかということに力を注いだ。それに成功した者が、その時代を代表する思想家として、同時代の人々にも評価され、歴史にも残ると小熊は見るわけだ。そのことを小熊は次のように表現する。

「著名な思想家とは、ユニークな思想を唱えた者のことではない。同時代の人々が共有できないほど『独自』な思想の持主は、後生において再発見されることはあっても、その時代に著名な思想家となることは困難である。その意味では著名な思想家とは、『独創的』な思想家であるよりも、同時代の人々に共有されている心情を、もっとも巧みに表現した者である場合が多い」

ところで、一口に戦争体験と言っても、さきほどもちょっと触れたように、世代による相違がある。戦後いち早く論壇をリードした丸山等の世代は、戦争が始まった時には既に成人しており、戦争を相対化する目をもっていた。しかし丸山より一世代あとの、敗戦時に二十歳前後だった世代は、少年期から青年期を通じて戦争を所与のものとして受け止め、戦争時代の価値観を内面したものが多かったので、敗戦は自分の内面化していた価値観の崩壊として映った。そこから彼らの戦争体験の語り方はかなり屈折したものになりがちだった。この世代を代表するのは吉本隆明だと小熊は見ているが、吉本は戦争を非難して民主主義を唱えた丸山の議論を欺瞞だとし、戦争遂行のための価値観を含めてあらゆる公の価値観を拒否するある種無政府主義的な主張を唱えるに至った。また吉本等より更に下の世代は、敗戦時にまだ少年であって、戦争の意味を考える能力をもっていなかった。したがって彼らは彼らなりに体験した戦争のイメージをもとに、個人的な戦争観を語るようになった。江藤潤がその世代を一方で代表する人物だと小熊は見ている。

このように世代の相違に応じて、戦争体験とそれの思想化は様相を異にするのだが、戦争体験を語るという姿勢はすべてに共通している。この共通性があったために、戦後の日本思想はある程度の共通地盤に立った建設的な議論を展開することができた。と言うことは、戦争体験を共有できない者にとっては、そうした議論が現実味を帯びることがないということだ。したがって時代が進み、戦争を知らない世代が大多数を占めるようになると、戦後思想という問題意識そのものが霧散してしまう。それは日本の思想が抱えている脆弱性のようなものだと小熊は考えているようである。

とはいっても小熊は、戦後思想とそれを支える戦後的な状況そのものが無くなったわけではないとも言う。小熊は戦後思想の時代区分を、1955年までの第一次戦後とそれ以降の第二次戦後とにわけ、両方を合わせた戦後そのものは1990年代に終わったとしているが、そのことで戦後的な状況が完全になくなったわけではなく、1990年代以降は第三次戦後ともいうべき状況になっていると主張する。この第三次戦後に顕著になった現象とは、冷戦の終焉に伴って、一方では戦争の加害責任論が前面に出てくるとともに、戦後民主主義と言われるものを全面的に否定しようとする動きが右派の間で強まったことだと小熊は言う。いずれにしても日本は、基本的にはいまだに戦後から脱却できていないということになる。

ともあれ日本の戦後思想を戦争体験との関連で統一的に説明しようとした小熊のこの試みはなかなか示唆に富んだものだ。戦争体験一般というものを縦軸に据え、さまざまな世代の代表者の個人的な体験を横軸にして、戦後日本の思想状況を俯瞰的に見てゆく試みは、思想の変遷を理解する上で非常に有益な方法だと言える。これによって、従来バラバラに見えていた個々の思化家の思想が、壮大な配置図のなかで位置づけられることとなり、それぞれの思想を互いに比較するについての統一した視点も得られることとなる。

冒頭にこの本を大著だと言ったが、たしかに分量は大きい。本文だけで800ページを越え、注などをあわせると1000ページに近い。その割に読み安いのは、章ごとに読み切りのような体裁になっていて、読者はどの部分から読んでも差し支えないような構成になっているからである。


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