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禅問答:鈴木大拙「禅の思想」


禅問答といえば、頓珍漢で訳の分からぬ言葉のやりとりだと、だいたいは思われている。それには理由があるので、禅者自身が禅問答とはそんなものだと認めているフシがある。禅問答は、禅の体験を語るものだが、その体験というのが、「禅行為」のところで述べたように、無分別の分別、無作の作といったもので、要するに普通の言葉ではなかなか説明できないものなのである。その説明できないものをあえて説明しようとするから、わけの分からぬ言い方になる。でもそれはそれでよいのだと、禅者自身は言っている。禅の体験は、言葉による合理的な説明にはなじまない。というか、言葉による説明で伝えられるようなものではない。実際に禅の境地を体験したものでなければ、どんなに言葉をつくしても、それが何であるかを理解することはできない。それは、生まれてから一度も石というものを見たことのない人に、いくら言葉を尽くして説明しても、石についての明瞭な観念を持てないのと同じことである。石を見たことのある人なら、簡単な言葉、たとえば岩のかけらだとか、砂よりも大きいものだとかいうことができる。だが、石や岩や砂を、一度も見たことのない人に、そんな説明をしても無駄である。禅問答も同じである、禅の体験をしたことのない人に、それが何かについて、いくら言葉で説明しても、明確な観念は持てない。ところが、実際に禅を体験した人にとっては、ちょっとした言葉がきっかけで、それが何かについて、それなりの観念を持つことができる。禅問答というのは、そうした禅体験をしたもの同士のコミュニケーションなのである。それが日常のコミュニケーションと異なるのは、禅体験そのものが、日常を超越しているからである。

禅問答についてのその辺の呼吸を、大拙は次のように述べている。「禅は概念を通して経験を云々しようとはしないで、経験に即せんことを企図する、経験そのままを単伝せんことを企図する。禅は霊をしてその自覚のままを赤裸々に表現せしめんと努めるのである。それ故、自ら言語文字即ち概念を媒介として霊の自覚を浮き上がらせんとするものと、自らその選を異にせざるを得ないのである」

こんなわけだから、禅問答は禅者の体験を、概念を媒介にせずにストレートに表現する。概念を用いないのであるから、それは論理を無視したものとなりやすい。そこが禅問答の一見荒唐無稽に聞こえる所以である。だが、概念を媒介せずに、つまり論理的な言葉の力によらずに、経験したことを他人に伝達できるのだろうか。通常の感覚では、コミュニケーションというものは、言葉を通じてなされる。言葉は人間の社会関係の土台であるから、人間同士のコミュニケーションにとっては重宝なものである。言葉を用いれば、個人の経験のほとんどは他人に伝達できる。しかし、禅の経験というものは言葉では説明しきれないものであるから、通常の仕方では伝えられない。だが絶対に伝えられないものでもない。禅の体験をしたもの同士であれば、ある種阿吽の呼吸で伝えることができる。阿吽の呼吸は、一応言葉に乗せて伝わる。禅は身振りなどの身体言語にはあまり重きを置かない。伝達はあくまでも言葉を通じてなされる。その伝達すべき内容が、普通の言葉の使い方では説明できないゆえに、勢い頓珍漢なものになるわけである。

「禅問答なるものは、門外の人々にとりては,何と云っても、縹緲として見難く親しみ易からざるものなのである」と大拙は言う。それは、禅の体験をしたことのないものには、ほとんど意味をなさないものが、禅を体験した者同士の間では意味をなす、ということを言っているわけである。大拙は、禅問答のさまざまな事例を引用することで、それらの問答を通じて、禅者の間にどのような了解が生じたかを明かにしようと努めている。

禅問答は、基本的には一問一答である。それもきわめて短い言い回しで、あれこれとこまかいことは言わない。しかも、通常の言葉のセンスから言えば、ナンセンスとしかいいようのない表現をやりとりする。常人にはとても理解できないそうしたやりとりを経て、禅者の間には一定の了解が成立すると大拙は言うのである。それは、禅の体験を共有しているからだというのであるが、その体験の内容がいかなるものかは、当事者にしかわからぬし、また、他人に容易に分かってもらえるものでもない。だが、それでいいではないか。体験を共有し、しかもその体験が、さとりの境地につながるものであれば、そこに禅者同士の有意義な交流が成立する。禅はよく「教外別伝」ということをいうが、それは、禅の体験は、言葉によって広範な人々に伝えられるものではなく、一対一の関係の中で、ある人間から他の人間へと伝わっていくものだという意味なのである。

そんな禅問答の典型例として、大拙は雪峰と鏡清との間の禅問答を取り上げている。この両者は、普通の人にとってはナンセンスとしか言えない問答を通じて、一定の相互了解に達した。つまり二人とも何物かを見つけて、それを共有したのである。だがそれは言葉では表現できない。だから、わけのわからぬ言い回しで、互いにさぐりあうような仕草を見せる。大拙はそれを次のように言い表す。「雪峰と鏡清とは、あるいは既に何物かを見付けたとして、両者はそれについて何かを語らんとして、語り得ないのか。そんなら何故にそうとは云わずに、お互いに隠語めいた言葉遣いをして、様子の探り合いをするのか。あるいはそんな言葉を遣うことによりて、還って両者の何物に対する了解を確かめ得るのであるか、即ち分別的に云うと、何物をよりよく定義し能うと云うのか。とに角、両人はそれで満足したのである。それから彼等の以後の諸禅者もまた、彼等がついて話合って居るところのものの何であるかを会得するのである」

この独特の相互了解の境地を大拙は「不可得の可得底」と呼んでいる。そこまでして、相互了解にこだわるのは、禅が単なる宗教というには、余りにも知性的傾向を帯びているからだと大拙は云うのである。語り得ないものをあえて語る、そこに禅の独特の姿勢を見ることができるというわけであろう。禅が国際的な広がりを持つことができたことには、禅のもつそうした知性的傾向が働いていると言えそうである。


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