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鈴木大拙の仏教思想


鈴木大拙は、僧侶としてではなく、一研究者として仏教思想を普及した最初の日本人である。しかも大拙は、多くの書物を英文で書き、欧米人つまりキリスト教徒を相手に仏教思想のいかなるものかについて説いた。近代の欧米社会で仏教への関心が高まったことについては、大拙も大きな役割を果たしているのである。

大拙の仏教へのかかわりは古い。少年時代から禅に関心をもっていたようだ。21歳の時には、鎌倉の円覚寺で今北洪川師のもとで参禅している。その洪川がすぐに死んだあとは、洪川の後継者である釈宗演師のもとで参禅を続けた。漱石が円覚寺に参禅して大拙らしい人物とあったのは、その頃のことである。

大拙がいつ頃得悟したのかはよくわからない。僧侶にならなかったので、かならずしも得悟する必要もないのだが、しかし生涯禅を語ってやまず、しかもその内容が悟りに関することであるのを踏まえれば、何らかのかたちで得悟したのにちがいない。

かれが最初に仏教についての本格的書物(「大乗仏教概論 」英文 Outlines of Mahayana Buddhism)を書いたのは、36歳のとき(1907年)、アメリカ滞在中のことであった。このアメリカ滞在は、釈宗演師の計らいによるものである。その宗演師は、1919年になくなった。大拙ははそれをくぎりに円覚寺での参禅をやめ、また、学習院の教授もやめて、京都の大谷大学(浄土真宗)の教授に就任した。

仏教についての大拙の業績は、生涯の前半においては禅とくに臨済禅の研究に集中し、後半では禅と並んで真宗への関心が強まってくる。また、大乗仏教全般への関心も広がり、その大乗仏教を世界の諸宗教と比較するような見方も確立する。大拙は、生涯仏教を研究しながら、仏教を世界の宗教のなかに正当に位置づけようと努力したといえる。

大拙の考えた仏教の思想は、日本人の思想的なバックボーンとなるようなものであった。日本人は仏教を通じて、あるいは仏教に支えられて、はじめてまともな人間として生きることができる。そう大拙は考えたのであるが、その考えの背後には、当時勃興しつつあった日本の国力への誇りがあったのだと思う。日本人はただに物質的に成功したのみならず、精神的な面でも強いバックボーンを持っている。仏教はそのバックボーンの中枢だというのが大拙の言い分である。その言い分を大拙は、欧米人に向かって誇らかに語りかけたのである。そうしたことから、大拙の著作には論争的なところがある。とくに「大乗仏教概論」は、キリスト教にたいして仏教の優位を主張した論争的な書物だといってよい。

だが、日本はあの大戦争に負けて、焦土と化した。それは大拙にとってあまりにもショッキングなことだったようだ。大拙の仏教思想は、日本人の国民的な意識を前提としたものだったから、その日本人が戦争に大敗して自信を失うということは、仏教にとっても試練となる事態であった。しかし大拙は、基本的には、仏教についてペシミスティックにはならなかった。戦争に負けたいまこそ、日本人は精神的に強くならねばならぬ。その精神的な強さを、仏教が与えてくれる、というふうに考えた。大拙は、95歳で死ぬまで、旺盛な著作活動を続けたが、その大部分は、仏教を通じて誇りを取り戻せと日本人を叱咤激励するものだったといえる。

大拙の著作活動は、大別して三つの分野にわたる。一つ目は大乗仏教全般にかかわるもので、これは多く欧米人向けに書かれた。いわば大拙による仏教入門というべきものである。それには、「華厳の研究」のような、大拙流の経典解釈も含まれる。

二つ目は、禅とりわけ臨済禅にかかわるものである。大拙は円覚寺で参禅したことからして、臨済禅をもとにして禅の修行とか悟りといったものを考えている。大拙は、禅の目的は悟りを得ることだと考えていたが、その悟りの内実がいかなるものかについては、明確には語らなかった。ただ悟りの世界とは「華厳経」の説く世界のようなものだというばかりである。華厳経はそれを神秘的な言葉で説いているのだが、悟りというものは本来、論理的な言葉では説明できない、というか言葉による説明を拒否するのである。それを道元は「不立文字」といったわけだが、その道元のいうことを大拙も大事に思い、己が悟りについては、おいそれと語ることはなかった。ただ、自分と同じような悟りの体験をしたものには、その内実が以心伝心でわかるにちがないというのである。

三つ目は浄土真宗にかかわるものである。もともと禅者である大拙がなぜ浄土真宗に傾いていったか。大谷派にまねかれて真宗の研究に取り組んだという外的事情も無論あっただろうが、どうも大拙は、禅のいう悟りの境地と、真宗のいう成仏とが、根本的には異なるものではないと考えたようである。ふつうの見方によれば。禅は自力の最たるものであり、真宗は他力の最たるものであって、両者は水と油のようにあいなじまないものだといわれるのであるが、実は、自力と他力とはアプローチの違いであって、めざすところは同じだと大拙は割り切って考えたのではないか。その同じ悟りの世界を、禅では涅槃といい、真宗では浄土という。涅槃も浄土も基本的には異なるものではないのだ。

大拙の著作にはほかに文明論的なものもある。とりわけ重要なのは、「日本的霊性」をはじめとする日本文化論である。その日本文化論の文脈の中で、禅を武士道と関連付けたりしている。大拙自身は医者の家計に生まれ、武士のエートスをもっていたとはいえないようだが、禅とりわけ臨済禅が武士社会に浸透したのはたしかなことなので、おのずから禅を武士道と結びつける発想が出てきたのだと思う。禅はある種ニヒリズムである。武士道の精神も根本的にはニヒリズムに通じるものがある。両者は基底で通じ合っているといえるのである。

なお、大拙の仏教思想の具体的な内容については、個別のテーマを論じた以下の小文を参照されたい。


鈴木大拙「大乗仏教概論」を読む

鈴木大拙の大乗仏教論

鈴木大拙の涅槃観

鈴木大拙「禅とは何か」を読む

鈴木大拙の日本的霊性論

即非の論理:鈴木大拙の思想


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