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思はぬかたにとまりする少將(二):堤中納言物語


かやうにて明し暮し給ふに、中の君の御乳母なりし人はうせにしが、むすめ一人あるは、右大臣の少將の御乳母子の左衞門の尉といふが妻なり。たぐひなくおはするよしを語りけるを、かの左衞門の尉、少將に、 「しかじかなむおはする」 と語り聞えければ、按察の大納言の御許には心留め給はず、あくがれありき給ふ君なれば、御文などねんごろに聞えたまひけれど、つゆあるべき事とも思したらぬを、姫君も聞き給ひて、 「思ひの外にあはあはしき身の有樣をだに、心憂く思ふ事にて侍れば、まことに強きよすがおはする人を」 など宣ふも哀れなり。

さるは幾程のこのかみにもおはせず、姫君は、二十に一つなどや餘りたまふらむ。中の君は、今三つばかりや劣り給ふらむ。いとたのもしげなき御さまどもなり。

左衞門、あながちに責めければ、太秦に籠り給へる折を、いとよく告げ聞えてければ、何のつゝましき御さまなれば、ゆゑもなく入り給ひにけり。姉君も聞き給ひて、 「我が身こそあらめ、いかでこの君をだに、人々しうもてなし聞えむ、と思へるを、さまざまにさすらふも、世の人聞き思ふらむ事も心憂く、亡きかげにもいかに見給ふらむ」 と、はづかしう、契り口惜しう思さるれど、今はいふかひなき事なれば、いかゞはせむにて見給ふ。

これもいとおろかならず思さるれど、按察の大納言、聞き給はむ所をぞ、父殿いと急に諫め給へば、今一方よりはいと待遠に見え給ふ。

この右大臣殿の少將は、右大将の北の方の御せうとにものし給へば、少將たちもいと親しくおはする。互にこのしのび人も知りたまへり。右大臣の少將をば、權少將とぞ聞ゆる。按察の大納言の御許に、此の三年ばかりおはしたりしかども、心留め給はず、世と共にあくがれ給ふ。この忍び給ふ御事をも、大將殿におはするなど思はせ給へり。いづれも、いとをかしき御振舞も、あながち制し聞え給へば、いといたく忍びて、大將殿へ迎へ給ふをりもあるを、いとゞかるがるしうつゝましき心地のし給へど、 「今は宣はむ事を違へむもあいなき事なり。あるまじき所へおはするにてもなし」 など、さかしだち、進め奉る人々多かれば、我にもあらず時々おはする折もありけり。

(文の現代語訳)

このように明け暮れされておられたところ、妹君の御乳母だった人は死んでいたのでしたが、その娘が一人いて、右大臣家の御曹司である少将の御乳母子左衞門の尉の妻になっていました。それが夫の左衞門の尉に、妹君の類なき様子を話しましたところ、左衞門の尉は少将に、「これこれこう」と言って語って聞かせたのでした。少将は、北の方のいる大納言の御許には心を留めず、ふらふらと歩き回る方なので、妹君に興味を感じ、恋文を寄せなどされましたが、妹君の方は、あるべきこととは受けとらなかったのでした。姉君もそのことをお聞きになって、「思いがけず軽々しいことをした自分の身でさえ残念に思われますのに、ましてや北の方のおられる人を相手にするなど」というのでしたが、それがいかにも哀れに見えます。

といっても、姉君は妹君よりそんなに年長ではありません。姉君は二十一歳ほどでしょう、妹君はそれより三歳下のようです。たいそう心細いことではあります。

左衛門の尉は、少将がしつこく責めるので、姉君が太秦に参篭して不在なことを聞きつけそれを少将に報告しました。少将は遠慮のないお方なので、わけもなく妹君の部屋に入ってゆかれたのでした。姉君は、あとでそのことを聞いて、「自分はともかく、どうかしてこの子だけでも、人並みに嫁がせたいと思っていましたのに、このように二人とも身が落ち着かないのでは、世間の人の噂も気にかかり、亡き父母もどのように思われるかと気になります」と、恥ずかしくまた自分らの運命が悔しく思われるのですが、今は言っても仕方のない事とて、どうしようもなく思われるのでした。

右大臣の少将も、妹君をおろかならず思っておられましたが、按察の大納言がそれをお聞きになって少将の父君に告げ口されたので、父君が息子の少将をきつく諌められました。そのため通うことがままならず、姉君に比べて妹君のほうが、相手の訪問を待遠しく思うようになられたのでした。

この右大臣殿の少將は、父君の右大臣が右大将の北の方の兄弟なので、二人の少将たちはたいそう親しくされていました。そして互いに、自分たちが通っている姉妹のことも知っておられました。右大臣の少將のことを、正しくは權少將と言いました。按察の大納言の姫君のもとへ、この三年ばかり通っておられましたが、姫が気に入らず、いつも浮ついた心でおられました。妹君のところを訪れるのも、右大将のところへ行くのだと偽っておられたのでした。どちらの少将も、雅な遊びまで親が無理に止めるので、たいそう内緒に行動し、時には姫君たちを大将殿の邸に迎えられることもありました。姫君たちは、それがたいそう軽率に思われたのでしたが、「今は、先方のおっしゃることに反するのも不調法です、行ってはいけないところへ行くわけでもありませんから」などと言って、利口ぶってすすめる女房もいるので、時々は我にもなくお出かけになることもありました。

(解説と鑑賞)

この部分は、右大臣の少将(権少将)が妹君と結ばれるいきさつを語っている。権少将は按察の大納言の娘を正妻にしているのだが、その妻が気に入らず、浮気ばかり考えている。そこへ、妹君のことを聞きつけ、誘惑しようとするが、姉君が心配して逢わせないので、なかなか思うようにいかない。そこで、姉君が所要で不在の折を狙ってやってくると、無理やり妹君と結ばれてしまう。そのことを後で知った姉君は、私も不如意な境遇になってしまったが、あなたは正妻のある男と契ってしまい、それ以上に不如意なさまになってしまったといって嘆く。しかし、人間の惰性と言うのは恐ろしいもので、二人とも男との逢瀬を待ち遠しく思うようになる。


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