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かひあはせ(三):堤中納言物語


いとほそき聲にて、
  かひなしとなに歎くらむしら浪も君がかたには心寄せてむ
といひたるを、さすがに耳疾く聞きつけて、 「今かたへに聞き給ひつや」 「これは、誰がいふにぞ」 「觀音の出で給ひたるなり」 「嬉しのわざや。姫君の御前に聞えむ」 と言ひて、さ言ひがてら、恐ろしくやありけむ、連れて走り入りぬ。

「よしなき事を言ひて、このわたりをや見顯はさむ」 と、胸つぶれてさすがに思ひ居たれど、唯いと慌しく、 「かうかう念じつれば、佛の宣ひつる」 と語れば、「いと嬉し」と思ひたる聲にて、 「實かはとよ。恐ろしきまでこそ覺ゆれ」 とて、頬杖つきやみて打ち赤みたるまみ、いみじく美しげなり。 「いかにぞ、この組入の上よりふと物の落ちたらば、實の佛の御功徳とこそは思はめ」 など言ひあへるは、をかし。

「疾く歸りて、いかでこれを勝たせばや」 と思へど、晝は出づべき方もなければ、すゞろに能く見暮して、夕霧に立ち隱れて紛れ出でてぞ、えならぬ洲濱の三まがりなるを、うつぼに作りて、いみじき小箱をすゑて、いろいろの貝をいみじく多く入れて、上には白銀の蛤、虚貝などを隙なく蒔かせて、手はいと小さくて、
  しら浪に心を寄せて立ちよらばかひなきならぬ心寄せなむ
とて、ひき結びつけて、例の隨身に持たせて、まだ曉に、門のわたりを佇めば、昨日の子しも走る。うれしくて、 「かうぞ、はかり聞えぬよ」 とて、懷よりをかしき小箱を取らせて、 「誰がともなくてさし置かせて來給へよ。さて今日のあり樣を見せ給へよ。さらば又々も」 と言へば、いみじく喜びて、 「唯ありし戸口、そこはまして今日は人もやあらじ」 とて入りぬ。

洲濱、南の高欄に置かせてはひりぬ。やをら見通したまへば、唯同じ程なる若き人ども、二十人ばかりにさうぞきて、格子あげそゝくめり。この洲濱を見つけて、 「あやしく」、「誰がしたるぞ、誰がしたるぞ」 といへば、 「さるべき人こそなけれ。おもひ得つ。この昨日の佛のし給へるなめり。あはれにおはしけるかな」 と、喜び騷ぐさまの、いと物狂ほしければ、いとをかしくて、見ゐたまへりとや。

(文の現代語訳)

少将がか細い声で、
  甲斐がないとなぜ嘆くのでしょうか、白波もあなたの御味方をしておりますよ
と歌っていると、人々が耳はやく聞きつけて、「今の、お聞きになりましたか」、「これは誰が歌ったのでしょう」、「観音さまが現れたのです」、「うれしいことです、姫君に申しあげましょう」などと言っていたが、そのうち恐ろしくなったのだろうか、連れだって中へ走っていったのだった。

少将は、「つまらぬことを言って、隠れているのがばれてしまうかもしれぬ」と胸がつぶれてさすがに心配になったが、女の童たちはあわただしく、「このようにお祈りしましたので、仏様がおっしゃいましたのです」と報告する。それを聞いた姫君は、「とてもうれしい」と思っているようなはずんだ声で、「本当ですか、うれしすぎてかえって怖いわ」と言いながら、頬杖をつくのをやめて目元を赤らめたさまがたいそう美しい。また童たちが、「どうでしょう、天井からふと貝が落ちてきたら、まことの仏の功徳と思いましょうよ」などと言いあっている様もかわいらしいのだった。

少将は、「早く帰って、どうにかしてこちらを勝たせる準備をしたいものだ」と思ったものの、昼の間は出て行くこともままならず、なんとなく邸のあたりを眺め暮し、夕闇に紛れて立ち去ったのだった。そして家に戻ると、見事な砂浜の細工を作った。それは三つに湾曲していて、中はうつろになっている。そのうつろに小箱を据え、箱の中には色々の貝を沢山入れ、細工の上には白銀の蛤や虚貝の蒔絵を隙間がないほどに描かせ、そこに小さな文字で書いた次のような歌の文を結びつけた。
  白波に心を寄せて立ち寄ってくれたら、甲斐のある心をお寄せしましょう
その細工を随人に持たせ、まだ暁の内に門のあたりに佇んでいると、昨日の女の子が走り寄ってきた。少将はうれしくなって、「ほら、だましたりはしないぞ」と言いながら、懐から見事な小箱を出してとらせ、「誰がしたともわからぬように置いてきなさい。そして今日の貝合わせの様子を見せておくれ。ではまた」と言ったところ、女の子はたいそう喜んで、「隠れるならあの戸口がいいでしょう、今日はいっそう人が寄ってこないでしょうから」と言って、中に入っていったのだった。

少将は、砂浜の細工を南の高欄に置かせて中に入った。そっとあたりを見渡すと、同じくらいの年代の若い人々が二十人ばかり、着飾って格子を上げ騒いでいる。そしてこの細工を見つけて、「へんだね」、「誰がしたの、誰がしたの」と言う。「それらしい人がいないわ。わかった。昨日の仏様がなさったようね。慈悲深いことです」と彼女らの喜び騒いでいる様子が、たいそうかわいらしいので、少将は、すっかりうれしくなって、ずっと見ていたということである。

(解説と鑑賞)

姫君の境遇にすっかり同情した少将は、姫君を励まそうとして歌を読んだりする。その声を不審に思う女の子たちに向って、少将を手引きした童は、これは観音様のお声ですなどと言い訳をする。そのあたりのやり取りが、なんとも微笑ましい。

自邸に戻った少将は、早速姫君のために立派な買いを集め、また、それを収めるための砂浜の細工まで作って、姫君を勝たせようとする。物語は、貝合わせの様子が始まる前に終わってしまうのだが、姫君を勝たせたいという少将の思いが十分に伝わって来るようになっている。


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