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ほどほどの懸想(二):堤中納言物語


この童來つゝ見る毎に、頼もしげなく、宮の内も寂しく凄げなる氣色を見て、かたらふ、 「まろが君を、この宮に通はし奉らばや。まだ定めたる方もなくておはしますに、いかによからむ。程遙かになれば、思ふ儘にも參らねば、おろかなりとも思すらむ。又、如何にと、後めたき心地も添へて、さまざま安げなきを」 といへば、 「更に今はさやうの事も思し宣はせず、とこそ聞け」 といふ。 「御容貌めでたくおはしますらむや。いみじき御子たちなりとも、飽かぬ所おはしまさむは、いと口惜しからむ。」 といへば、 「あな、あさまし。いかでか見奉らむ。人々宣ふは、萬むつかしきも、御前にだにまゐれば、慰みぬべしとこそ宣へ」 と語らひて、明けぬれば往ぬ。

かくといふほどに年も返りにけり。君の御方に若くて候ふ男、好ましきにやあらむ、定めたる所もなくて、この童にいふ、 「その通ふらむ所は何處いづくぞ。さりぬべからむや」 といへば、 「八條の宮になむ。知りたる者候ふめれども、殊に若人數多候ふまじ。唯、中將・侍從の君などいふなむ、容貌も好げなりと聞き侍る」 といふ。

「さらば、そのしるべして傳へさせてよ。」 とて、文とらすれば、 「儚なの御懸想かな」 と言ひて、持て往きて取らすれば、 「あやしの事や」 と言ひて、もて上りて、 「しかじかの人」 とて見す。手も清げなり。柳につけて、
  したにのみ思ひ亂るゝ青柳のかたよる風はほのめかさずや
知らずはいかに、とあり。

(文の現代語訳)

この童は、女の童を訪ねて姫君の邸に来るたびに、頼りない様子で、家の中もさびしく荒れた有様なのを見て、こういうのだった。「私の御主人を、この姫君に引きあわせてさしあげたいものだ。まだ定まった北の方もいらっしゃらないので、どれほどよいことか。私も、ここまで距離が遠くて、思うように来ることができないので、お前も不満だろう。私もお前がどうしているだろうと、心配で、気が気でないよ」。すると女の童は、「姫君は、いまはさらさらに、そのようなお考えはないと聞いてますよ」と答えた。童が、「御容貌はすぐれていられるのか。高貴な姫君といえど、器量がよくなくては、たいそう興ざめだろうから」というと、女の童は、「おお、あさましいこと。私も姫君を拝見したわけではないけれど、人々のお話では、色々むしゃくしゃすることがあっても、姫君の前へ出れば、心が慰められるということです」と答えたが、そのうち夜が明けたので、童は去って行った。

そうこうするうち年が改まった。童の主人に仕えている若い男が、女好きなのだろう、決まった妻もなくて、この童に向っていうには、「お前が通っているというところは何処にあるのだ。それなりにいい女がいるか」。それに対して童は、「八条の宮です。そこには、私の女の知り合いの童のような者もいるようですが、若い女はそう多くないようです。ただ、中將・侍從の君などという女房は、器量がよいと聞いています」と答えた。

「では、その女の童の手引きで文を言づけてくれ」といって、手紙を童に渡すと、童は「頼りない懸想ぶりですね」と言いながら、その手紙を持って行って女の童に渡した。女の童は「変ね」と言いつつそれを奥に持って行って、「しかじかの人からです」と言って女房に見せた。手紙の筆跡はなかなかのものだった。それを柳の枝に結んで、次のような歌を読みいれた。
  おなたを思い乱れている私のことを、青柳に吹き寄せる風が仄めかさないでいるでしょうか
更に、その私のことを知らないというのは、辛いことです、と書き添えてあった。

(解説と鑑賞)

この段は、童が女の童のもとへ通っていくところから始まっている。こんなに身分の低いもの同士でも、男が女のもとに通うというところが面白い。男は、女のすんでいるところが余りに遠いので、それを軽減するための、何とかいい知恵はないかと思案する。一番いいのは、自分の主人が個々の家の姫君のもとへ通うようになることだ。そうすれば自分も主人に着き従って、しょっちゅう女の童を訪ねることができるというわけだ。

童の希望は、後に実現されるのだが、その前に中間のステップが入る。とりあえず自分より目上の男が間に入って、その男に相応しい身分の女に渡りをつけるのだ。主人は後に、この家来を通じて、相手の姫君にアタックするわけである。

この段の後半は、その家来が、まだ見たこともない女にあてて、誘惑の手紙を書くところを描いている。


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