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花櫻折る中將(三):堤中納言物語


夕さり、かの童は、ものいと能くいふものにて、事よくかたらふ。 「大將殿の常に煩はしく聞え給へば、人の御文傳ふる事だに、伯母上いみじく宣ふものを」 と、同じ心にて、めでたからむ事など宣ふ頃、殊に責むれば、若き人の思ひ遣り少きにや、 「よき折あらば、今」 といふ。御文は殊更に、氣色見せじとて傳へず。光遠參りて、 「言ひ趣けて侍る。今宵ぞよく侍るべき。」 と申せば、喜び給ひて、少し夜更けておはす。

光遠が車にておはしぬ。わらは、けしき見ありきて入れ奉りつ。火は物の後へ取りやりたれば、ほのかなるに、母屋にいとちひさやかにてうつ臥し給へるを、かき抱きて乘せ奉り給ひて、車を急ぎて遣るに、 「こは誰ぞ、こは誰ぞ」 とて、心得ず、あさましう思さる。

中將の乳母聞き給ひて、 「伯母上の後めたがり給ひて、臥したまへるになむ。もとより小さくおはしけるを、老い給ひて、法師にさへなり給へば、頭寒くて、御衣を引き被きて臥し給へるなむ、それと覺えけるも道理なり」 と。車寄するほどに、古びたる聲にて、 「いなや、こはたれぞ」 と宣ふ。 その後いかが。をこがましうこそ。御容貌はかぎりなかりけれど。

(文の現代語訳)

夕方になった。あの白装束の女童は、光遠とは親しい間柄だったので、都合よく話しあえた。女童は光遠に、「御叔父の大將さまが、いつもうるさく言われるので、人の手紙をお伝えすることさえできません、伯母上もやかましく言ってお止めになります、とてもできません」と言う。光遠が更に女童を攻め立てると、これは若くて分別が足りないものと見え、「いい機会があったら、引きあわせをいたしましょう」と答える。その女童は、預かった中将殿からの手紙を、ことさらに怪しまれないようにと、伝えなかったのだったが、光遠は中将のもとに参上して、「よく言い聞かせましたので、今宵お出でになるのがよいでしょう」と申し上げた。そこで中将はお喜びになって、少し夜が更けてから、件の家にお出でになったのだった。

光遠の車に乗ってお出でましになった。女童が、その様子を見て内へ引きいれてさしあげた。部屋の中に入ると、火はなにかの影に置いてあったので、明かりも仄かであった。中将は、部屋の中で小さくなって臥していたお方をかき抱いて、車の中にお乗せした。そして車を急がせて去ったのだったが、連れ去られた当の人は、「これは誰ですか、これは誰の仕業ですか」と言って、心得ずもあさましい気持ちになったのだった。

後に、中將の乳母がそのことをお聞きになって、おっしゃるには、「姫の伯母上が、不安な気持ちから、姫に代って寝床に臥しておられたところを、もともと小さいお方だし、そのうえ年をおとりになって、尼さんにさえなられていたので、頭が寒くて、布団をかぶって寝ておいでだったのでしょう。それを中将が姫と勘違いなさったのは、もっともなことです」。一方当の老女は、古びた声で、「いやはや、これは誰の仕業でしょう」と、おっしゃったということだ。その後どうなったか、言うもおこがましいことである。この方のご容貌は、このうえなく美しかったのだが、なにしろ年が年であるから。

(解説と鑑賞)
光遠が、姫君に仕えている女童と語り合って、中将を姫君に会えるべく手引きするようにと依頼する。童ははっきりした返事を言わないが、光遠は今にも姫君と会えるようなことを中将に報告する。喜んだ中将は早速姫君の邸に駆け付け、臥所に寝ていた姫君をかっさらって去る。ところが・・・というのが、この話の落ちになっている。

その落し方が面白い。出来事をありのままに書くのではなく、第三者、ここでは中将の乳母の口を借りて、事の顛末を振りかえるという方法を取っている。

中将が姫だと思ってさらってきたのは、姫ではなく叔母だったわけだが、中将がその叔母を若い姫だと勘違いしたのも無理はない、そういう話し方で中将のしくじりを説明する。その説明の仕方が、なんとも中将のマヌケぶりをあぶりだしているようで、非常に効果的なのである。

この頃は、女の出産年齢は非常に若かったから、叔母と姪との間で、そんなに年が離れていないこともあっただろう。


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