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花櫻折る中将(二):堤中納言物語


日、さしあがるほどに起き給ひて、昨夜の所に文書き給ふ。 「いみじう深う侍りつるも、ことわりなるべき御氣色に出で侍りぬるは、辛さも如何ばかり」 など、青き薄樣に、柳につけて、
  さらざりし古よりも青柳のいとゞぞ今朝はおもひみだるゝ
とて遣り給へり。 返り事めやすく見ゆ。
  かけざりしかたにぞはひし絲なれば解くと見し間にまた亂れつゝ
とあるを見給ふほどに、源中將・兵衞佐、小弓持たせておはしたり。

「よべはいづくに隱れ給へりしぞ。内裏に御遊びありて召ししかども、見つけ奉らでこそ。」 と宣へば、 「此所にこそ侍りしか。怪しかりけることかな」 と宣ふ。花の木どもの咲き亂れたる、いと多く散るを見て、
  飽かで散る花見る折はひたみちに
とあれば、佐、
  我が身もかつはよわりにしかな
とのたまふ。中將の君、 「さらば甲斐なくや」 とて、
  散る花を惜しみ留めても君なくば誰にか見せむ宿の櫻を
とのたまひ、たはぶれつゝ諸共に出づ。「かの見つる處尋ねばや」とおぼす。

夕方、殿にまうで給ひて、暮れ行くほどの空、いたう霞みこめて、花のいとおもしろく散り亂るゝ夕ばえを、御簾捲き上げて眺め出で給へる御容貌、言はむかたなく光滿ちて、花の匂ひも無下にけおさるゝ心地ぞする。琵琶を黄鐘調に調べて、いとのどやかに、をかしく彈き給ふ御手つきなど、限りなき女も斯くはえあらじと見ゆ。この方の人々召し出でて、さまざまうち合せつゝ遊び給ふ。

光遠、 「いかゞ女のめで奉らざらむ。近衞の御門わたりにてこそ、めでたくひく人あれ、何事にもいとゆゑづきてぞ見ゆる。」 と、おのがどち言ふを聞き給ひて、 「いづれ、この櫻多くて荒れたる宿、わらはいかでか見し。我に聞かせよ。」 と宣へば、 「猶、便りありて罷りたりしになむ。」 と申せば、 「さる所は見しぞ。細かに語れ」 とのたまふ。かの、見し童に物いふなりけり。 「故源中納言の女になむ。實にをかしげにぞ侍るなる。かの御伯父の大將なむ、『迎へて内裏に奉らむ』と申すなる。」 と申せば、 「さらば、さらぬ先に。猶たばかれ。」 と宣ふ。 「さ思ひはんべれど、いかでか」 とて立ちぬ。

(文の現代語訳)
中将は、朝日が昇る頃お起きになって、昨夜の女の所に後朝の文を書かれた。「たいそう夜も深く、あなたを思う私の心も深かったのですが、もう別れるのが当然だというようにお見受けしましたので、お暇しましたが、その辛さと言ったら申し上げようもございません」というような言葉を、青い薄様の紙に書いて、それを柳の枝に着けて、贈ってやったのだった。
  別れる前の時よりも、青柳の枝のように心が思い乱れる今朝です
女からの返事は、見苦しくない体裁のものであった。
  かつては思いもかけなかった私に、糸をはわせるように思いをかけて下さり、その糸が解けるように思いが打ち解けたと思っていましたら、あなたはまた他の人に心をみだしておられるのでしょう
とあるのを読んでおられるところへ、源中將と兵衞佐が童に小弓を持たせてあらわれた。

「昨夜はどこへお隠れになっていたのですか。内裏でお遊びがあって、お召の声がかかりましたが、見つけて差し上げることができませんでした」というので、中将は、「ここにずっとおったぞ、へんなことをいうやつだ」とお答えになる。そこで源中將が、桜の木が咲き乱れ、たいそう多く花の散るさまを見て、
  飽きることもなく散る花をみる折りはただひたすらに
と上の句を読んだので、兵衞佐が
  わが身もその花のように弱ってしまったことよ
と下の句をつなげたのであった。中将の君は、「それでは花も咲きがいがないだろう」といって、
  散る花を惜しんで散るのを止めても、君なくば誰に、この宿の桜を見せるかいがあろうか
と読んで、お互いに戯れあいながら、共に外にお出でになった。中将は、「昨夜見かけたあの場所を訪ねたいものだ」と思ったのだった。

夕方、中将は父君の御殿に参上なさって、暮れゆくほどの空に、霞がたいそう立ち込めて、花が見事に散り乱れる夕映えの様子を、簾を巻き上げてご覧になっていたが、そのお姿は、言わんかたなく光が満ちて、花の匂いでさえ圧倒されると思われたものだった。琵琶を黄鐘調にあわせて、たいそうのどやかに、趣き豊かにお弾きなさる手つきなど、絶世の美女でもかなわないと見えたものだ。そして、音楽の方面に心ある人々を召し出して、さまざまに調子を揃えてお遊びになったのだった。

光遠が、「中将殿ほどのお方を、どうして褒めない女がいるものですか。ところで、近衞の御門わたりに、上手に楽器を弾く人があります。その人は、何事にも奥ゆかしく見えますよ」と、仲間に向って言うのを聞いて、中将は、「それはどこのことだ。この桜が多く咲いている荒れた宿と言うのを、お前はどうして見たのか。私に話して聞かせろ」とおっしゃるので、光遠は、「いや、知っている者がそこにいますので、訪ねていったのです」と答えた。そこで中将は、「それなら私も見たぞ。もっと詳しく話せ」とおっしゃった。どうも光遠は、昨夜見た白装束の童と通じているようだ。光遠は更に、「そこの女主は、故源中納言の娘であられます。たいそう美しいお方でいらっしゃいます。その方の御伯父の大將が、自分の手元に迎えて内裏に奉ろうと申しているようです」と言うと、中将は、「それなら、その前に、自分が手に入れよう。さあ、その方法を思案せよ」と言うので、光遠は、「そうは思いますが、どうしたものでしょうか」と言いながら立ち上ったのだった。

(解説と鑑賞)

翌日起きた中将は、昨夜逢った女に後朝の便りを書いた後、遊び仲間の連中と語り合う。そうするうちにも、昨夜一目ぼれした姫君の事が気にかかる。

すると、遊び仲間のうちの光遠というものが、その姫君についての噂話をしたので、中将は更に詳しく訪ねたところ、その姫君は、故源中納言の娘であるが、叔父の大将が自分のもとに引き取ったうえで、内裏に差し上げようと考えているらしいことがわかる。

そこで中将は、姫が内裏に取られてしまう前に、自分が盗み取ってしまおうと思案する。そしてその手引きをするように光遠に命じる。

ここで出てくる光遠は、重要なキーパーソンだが、どのような人物なのか、具体的な言及がない。源中將と兵衞佐と呼ばれている人物の一人なのか、それとも全く別の人物なのか、文章からはよくわからない。


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