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仏教入門


仏教と日本人のかかわりを論じるにあたっては、仏教とはなにかについて、基礎的な知識をわきまえていなければならない。仏教は、西暦紀元前六世紀前後のインドに生きていたとされる釈迦が始めたもので、その後周辺のアジア諸国に伝わった。日本へは、中国・朝鮮を介して、起源六世紀ころ(欽明天皇の時代)に伝来した。中国由来の仏教を大乗仏教という。だから日本の仏教は大乗仏教である。

一説によると、釈迦が始めた仏教を原始仏教といい、それを小乗仏教が受け継ぎ、ついで小乗仏教を批判するかたちで大乗仏教が興隆したとされるが、事態はそんなに単純なものではない。小乗仏教と大乗仏教は、時期の相違ではなく、考え方の相違といってよい。その考え方の相違は、インド人と中国人の民族的な相違を反映したものだとする意見もあるが、これもそう単純にわりきれるものではない。ともかく、歴史的な事実として、小乗仏教の流れと大乗仏教の流れがあるということだ。

日本人は、大乗仏教を受容して、それに民族的な特性を加えながら、独自の仏教信仰を築き上げてきた。禅とか浄土真宗といった仏教の流れは、ほとんど日本独自の仏教思想といってよい。禅も浄土信仰も、もともとはインドで生まれたものだが、中国を経て日本に伝わるうちに、日本独自のニュアンスをもつようになったのである。

日本の仏教は、歴史的に俯瞰して、大きく三つの画期を指摘することができる。第一の時期は仏教受容の時代であり、これは奈良時代までの、南都仏教を中心とした流れに代表される。この時代の仏教は、朝廷を中心として、国家鎮護の役割をもたされ、したがって、庶民とはあまりかかわりを持たなかった。

第二は平安時代である。この時代に比叡山の延暦寺を中心とした天台宗と、高野山を中心とした真言密教が興隆した。この両者は、貴族層を中心としたもので、必ずしも庶民に浸透したわけではないが、それでも奈良時代までに比較して、比較にならないほどの広がりを見せた。とくに延暦寺の影響は顕著であり、そこから鎌倉仏教の大部分が生まれ出たのである。

第三の鎌倉時代は、仏教が庶民の間に広がったことで特徴づけられる。浄土宗、禅宗、日蓮宗など、今日鎌倉仏教といわれる諸派が交流し、広く庶民の心をつかんだ。ここに始めて、日本は民族として仏教を受容したといえる状況が生じた。その仏教のあり方は、かなり独自な性格をもっていた。鈴木大拙が「日本的霊性」と名付けたような、日本人独特の信仰のあり方をもつようになったのである。

その後仏教は、南都仏教から鎌倉仏教までのさまざまな宗派が同時に存在するという興味深い現象を呈しつづけた。古層の宗教と新しい宗教とが仲良く共存するというのは、世界的に見て、日本独自の珍しいことなのではないか。

ここでは、そんな仏教と日本人のかかわりについて考えるうえで、基本的なことがらを整理しておきたいと思う。そのうえで、仏教と日本人の関係についての各論に移っていきたい。


佐々木閑「大乗仏教」

高崎直道「唯識入門」

渡辺照宏「お経の話」

田上太秀「涅槃経を読む」

柳宗悦「南無阿弥陀仏」

柳宗悦「南阿阿弥陀仏」その二:浄土諸宗の比較


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