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古仏のまねび<道元>


角川書店刊仏教の思想シリーズ第11は「古仏のまねび<道元>」と題して、道元の生涯と思想をテーマにしている。担当は高崎直道と梅原猛。高崎はインド哲学が専門で、道元の専門家ではないが、だからこそ道元を仏教全体の大きな流れのうちに位置付けられる資格があると梅原は言っている。その道元の思想は「正法眼蔵」に集約されているが、これがまた世界一難解といってよいほどむつかしい書物だと梅原は言う。小生も同感で、今の自分の知力を以てしては、十分に理解することができないでいる。いつか読みこなせる日が来ることを願っているが、生きている間にその日が来ることを期待できるかどうか、甚だ心もとない。

もっとも、高崎に言わせれば、道元には体系だった思想はないということらしい。道元は仏教者であるから、釈迦の教えを忠実に守ったはずで、その釈迦の教えは、高崎によれば四諦に代表される。四諦とは、大乗・小乗通じての仏教の根本的な教えで、釈迦が悟りを開いたあと初めての説教の中で言及したものだ。苦集滅道を言う。苦とは、人生は苦であるという真理、集とは、苦の原因は煩悩であるという真理、滅とは、煩悩をなくし苦を滅した状態が悟りであるという真理、道とは悟りを得るために人は道を修すべきであるという真理である。この四つの真理(四諦)のうち、道元は、滅・道の二諦の理想だけ説いて、苦・集二諦の現実に触れていないと言って、高崎は道元を批判するのであるが、それはとりもなおさず、道元には修業への意欲はあるが、人性についての深い思索はないということを意味する。

たしかに、道元の始めた曹洞宗というのは、座禅の実践ばかりが派手に映って、その実践を支える思想的な背景はあまり知られていない。曹洞宗は一応仏教の一派、つまり宗教ということになっているが、仏教の他の宗派や仏教外の宗教と比較して、宗教らしいところが薄いように思われる。宗教というより、修業とか鍛錬といったほうが相応しい。座禅が目ざすのは無我の境地と言い、その無我の境地が悟りにつながると言われるが、悟りがどのような内実を持つのか。果たして宗教的な感情に満たされているのか、部外者からはなかなかわからないところがある。

そんなわけで、道元の始めた曹洞宗という仏教の一派が、仏教全体及び日本の仏教の歴史の中でどのような位置を占めているのか、この本はある程度明らかにしてくれる。高崎の批評にかかわらず、道元もまた立派な仏教者であり、かれの始めた日本の曹洞宗も、仏教の一つの典型を示すものだというのが、この本の一応の結論になっている。とはいっても、この本を読んで、道元の思想を十分に理解できるかと言えば、そこはあまり期待しないほうがいいかもしれない。

道元ほど、修業を重視した仏教者はいない。只管打坐という言葉があらわしているように、ひたすら座禅に打ち込むこと、それを生涯にわたって貫くことを求めている。それには思想的な背景がある。道元は大乗仏教の根本であるところの、衆生は誰でも仏になれるという思想を共有していたわけだが、それが天台本覚思想のように、努力しないでも成仏できるという考えには我慢がならなかった。人が仏になれるのは厳しい修業を通じてであって、その修業の瞬間ごとに成仏できるのだと考えた。したがって人は修業を怠る時には、すでに仏に見放されているのである。それゆえ人はつねに修業をしていなければならない。その修業とは只管打坐のことである。そういう考えから道元は、弟子に向ってひたすら座禅することを求めたのであった。

そのような姿勢を道元自身も自分の師匠である如浄から受け継いだ。その如浄のことを道元は古仏と言っている。仏教の根本は古仏によって面受されることで身につくものだというのが道元の考えである。経典を読んだからといって身につくものではない。あくまでも古仏に面受されて身につくものである。如浄もそのようにして面受されたのであるし、如浄の師も又同様に面受された。そのつながりは、禅祖達磨にまで遡り、更に釈迦にまで遡る。仏教の教えは釈迦による面受に始まり、達磨や如浄を経て道元に至る、一連のつながりによって伝えられてきた、というのが道元の考えである。したがって道元は、自分は面受の法統を通じて直接釈迦につながっていると考えていた。

面受は、師が弟子に伝えるということをあらわしているが、これを弟子の立場から言えば、師をまねる、まねぶ、ということになる。この本の表題にある「古仏のまねび」とは、そうした弟子による師の模倣をいうわけである。学習は模倣から始まると言われるが、宗教的な実践もその例外ではないということであろう。

道元には非情な厳しさがあり、それが道元に近づきがたい印象を与えているのだが、その厳しさはかれの生い立ちにも理由があると梅原らは言っている。道元の父は久我源氏の祖である源通親、母は松殿基房の娘だと言われている。基房の娘はかつて木曽義仲の妾であった。しかし義仲の没落により、まだ十代で寡婦となり、三十を過ぎて通親の妾にされた。その時の通親は時の権力者であり、娘は政略結婚の道具に使われたわけである。その父は道元が三歳の時に死に、母は八歳の時に死んだ。その母は、現世に深い恨みを抱いていたと言われる。その恨みが道元に乗り移って、道元の現世否定的な傾向を強めたということらしい。

いずれにしてもそうした道元の生い立ちが、かれの現世に対する否定的な見方と、貴族的な孤高さとを養ったと梅原らは見ているわけである。さもありそうなことではある。

なお、この本は、道元の有名な言葉「心身脱落」をめぐって興味あるやりとりを載せている。この言葉を道元は、如浄から受け取ったのだが、その受け取り方に間違いがあったのではないか、と高崎は言うのである。如浄が言ったのは「心塵脱落」であり、これだと心の塵を落とすという意味でわかりやすい。それを道元は「心身脱落」と聞き間違えたのではないか。心身脱落ということばで何をあらわしているのかよくわからない。もしも道元が聞き間違えたということであれば、そのわからない理由がよくわかると高崎は言うのであるが、それについて梅原は、たとえ誤解だとしても、心身脱落という言葉には、特有の思想内容が認められるので、あえて間違いだとことあげすることもないだろうと言う。

このやりとりは仏教界で話題となって、色々と付随的な論争を呼んだようだが、その結果わかったことは、如浄も心身脱落と言っていたのであって、その如浄の言葉を道元は素直に受け取ったということだった。心身脱落とは、身も心も現世から脱落(超越)するということらしい。



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