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日独憲法比較


日独両国の憲法を比較して、まず指摘しなければならないのは、改正の有無である。日本国憲法は、1947年の施行以来一度も改正されたことがない。一方ドイツの基本法は、1949年以来すでに50回以上改正されている。この相違は何を意味するのか。日本国憲法が安定しており、つまり国民大多数から支持されておるのに対して、ドイツの基本法は、不安定ということを意味するのか。かならずしもそうは言えない。日本国憲法は、自民党政権によって敵視され、国民はつねに改正へと誘導されて来た。ということは、政権党と国民多数との間で、憲法をめぐる一種の闘争のようなものがあることを念じさせる。それに対してドイツの基本法をめぐっては、日本のような対立はない。50回以上行われた改正を見ると、講和時になされた防衛権の明示、東西ドイツの統一に伴う必要な改正を除けば、おおむね技術的な細部にかかわるものがほとんどだった。というのもドイツの基本法は、日本の憲法と比較して、条文の数は二倍半もあり、極めて技術的な規定が多い。したがって、抽象度の高い日本の憲法に比較すると、改正の必要度が高いという事情がある。

ドイツの基本法が、日本の憲法の二倍半もの数の条文を持ち、きわめて詳細な技術的規定を多く含んでいるのは、連邦制を採用していることが主な理由である。ドイツは連邦制国家として、中央政府と各州との間で政治権力を分有しているのだが、この両者の間で争いが起らないように、憲法で詳細に規定しなければならないという事情がある。詳細かつ具体的に規定すればするほど、時代の変化に伴って改正する必要も強くなる。それがドイツの基本法を頻繁に改正させてきた理由である。しかしこれだけ改正の問題が生じても、ドイツ社会が深刻な対立に直面したというようなことはなかった。その点では、憲法改正が政治の焦点になるごとに、国民の間に深刻な対立が生まれて来た日本と大きな違いである。日本では、憲法改正問題は国をあげての大騒ぎをもたらすのである。

なぜ、そうなるのか。最大の理由は、憲法九条をめぐって、国民の間にコンセンサスが存在しないことであろう。自民党政権は、九条を改正して、普通の国並みの防衛権を憲法で定めることを最大の目的としている。それに対して国民の大多数は、自民党政権の主張に胡散臭いものを感じている。九条を改正することで、政治指導者(つまり自民党政権)に戦争へのフリーハンドを与えれば、またぞろ無責任な戦争を始めるのではないかと、疑っているのである。その疑いが、憲法改正にブレーキをかけている。そのため、九条以外の部分についても、改正しようということには、なかなかならない。そのため日本国憲法は、これまで一度も改正されたことがないのである。

憲法改正をめぐり、自民党政権が自衛権の明示と並んで拘っているのは、行き過ぎた民主主義と個人の権利の保障である。自民党政権が、日本国憲法を押し付け憲法だと言って攻撃するのは、憲法制定過程への批判のほか、これが日本人から自衛権を奪い、日本の国の形に似合わない、行き過ぎた民主主義とか個人の権利・自由をあまりにも過大評価していることへの反感がある。いまさら明治憲法への復帰は言い出しにくいが、少しでも民主主義の行き過ぎや個人の権利・自由の制限を実現したいと思っているようである。

実際日本国憲法は、世界史的に見ても、社会民主主義的な性格の強い、先進的な憲法である。統治における分権的な制度は脇へおいても、自由主義的な自由権の保障に加え、社会民主主義的な権利規定を多く含んでいる。憲法学で社会権と呼ばれるものがそれで、生存権の保障とか教育の権利の保障、さらに労働基本権の保障など、さまざまな権利規定を含んでいる。それに対してドイツ基本法は、保守的な自由主義の性格が強い。それは、統治機構においては、連邦制の採用とならんで、中央政府においても権力の集中を抑制する配慮がいきとどいており、ナチスの教訓から独裁的な権力が生まれないように、それを生み出したものとしての直接民主主義的制度、たとえば国民投票などを、なるべく排除しようとしている。だいたい、基本法の制定からして、国民投票ではなく、議会の代表によって決定されたのである。また、憲法改正手続きについても、日本国憲法が、議会の発案にもとづいて国民投票によって決定されるとしているのに対して、ドイツの場合には、両院それぞれの三分の二の賛成多数で決定されることになっている。大統領の選出も、国民の直接選挙によってではなく、議会の互選によるのである。

ドイツ基本法の自由主義的性格は、「戦う民主主義」あるいは「戦闘的民主主義」と呼ばれるようなものに現われている。これは憲法に、言葉として明文化されているわけではないが、ドイツ基本法の理念を特徴づけるものとして、憲法学の分野で提示されている概念である。その主な内容は、憲法を擁護する義務を全国民に課し、憲法秩序に反対する団体を禁止し、この憲法で定められた権利を「自由な民主主義的基本秩序を攻撃するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する」といったものである。これらが、ナチスの権力掌握への反省から生まれたものであることは、容易に見て取れるだろう。ドイツ基本法は、ナチスの登場を許した直接民主主義をなるべく制限する一方で、体制の破壊につながるような行為を、憲法によって厳しく禁止したのである。その辺は、言論の自由の名のもとに、体制へのチャレンジが認められている日本国憲法とは大きな違いである。日本国憲法では、公務員へ憲法順守義務を課す一方で、一般の国民に対しては、いかなる理由によっても、個人の自由と権利を大きく制限することはない。

こうしてみると、日独の憲法をそれぞれ簡単に特徴づければ、日本のそれが社会民主主義的性格の強いものであるのに対して、ドイツのそれは保守的な自由主義に導かれているということができよう。そうした相違が生まれた背景には、時代の変化があった。終戦直後には、反ファシズムの流れのなかで、社会民主主義的な考えかたが強い影響を振るっていた。日本国憲法草案を起草したのが、GHQ内のニューディーラーや左翼的な傾向の人びとだったことは、前にも触れたが、彼らはいずれも社会民主主義的な理想に燃えていた。そうした理想が、日本国憲法にストレートに反映されたという側面はある。そういう意味では、日本国憲法は、特殊な時代状況から生まれたアクロバット的な産物だったといえなくもない。

一方ドイツ基本法は、冷戦への変化という時代状況を強く反映していた。冷戦の進行に伴い、共産主義の脅威が現実なものになると、ドイツのリーダーたちも、またその後ろ盾であった占領国も、保守的にならざるを得なかった。そういう事情が基本法制定にも強く働いて、ドイツ基本法を、保守的な自由主義で基礎づけたわけである。



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