自民党はヤンキー政党か?
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安倍政権の発足という事態を踏まえて、今朝(12月27日)の朝日新聞が3本のインタヴュー記事を掲載していたが、そのうちの一本がえらく気になった。話しているのは精神科医の齋藤環さん、表題には「ヤンキー社会の拡大を映す」とある。このなかで齋藤さんはいきなり、「自民党はもはや保守政党ではなくヤンキー政党だと考えた方が、いろいろなことがクリアに見えてきます」と明言しているのだ。
ヤンキーといきなり聞いて、筆者にはその意味がよくわからない。「空疎に前向きな感性」とか、「気合主義」とか、「歴史的スパンでものを考えるのが苦手」とかいった言葉が出て来るので、どうもマイナスイメージのこもった言葉だとは見当がついたが、その実像がもう一つよくみえない。そこで、パソコンを開き、ウィキペディアに当たって見た。
すると、「ヤンキー(不良少年)」とわざわざカッコつき表題をつけているとおり、このヤンキーというのは、日本社会に現存する、特定のタイプの不良少年や不良少女を指す言葉だということがわかった。彼らはリーゼント頭とかだぶだぶのズボンと言う風に、人の目にたつことを好むが、それはとかく世の中から無用扱いされていることへの抵抗心のあらわれだというのである。なるほど、こうした知識を前提にしてこのインタヴューを読みなおすと、齋藤さんの云わんとしていることがよく見えてくる。
では自民党は何故、保守政党ではなくヤンキー政党になってしまったのか。そこで先ほどの「歴史的スパンで物事を考えるのが苦手」という言葉が意味を帯びてくる次第なのだ。ヤンキーは歴史的スパンで物事を考えるのが苦手で、当座の立て直しには強いけれども、長期的視野に立った発想はなかなかでてこない、と氏は断定するのだ。
真の保守主義と言うのは、歴史の彼方に目を配り、伝統を大事にすることだ。ところがヤンキーには歴史の彼方のことは思いも浮かばず、したがって彼らが伝統と称するものはフェイクとしての伝統で、せいぜい三世代前くらいにしか遡らないものだ。
過去ばかりではない。未来についても長期的展望に基づいて考えることができない。自民党が脱原発に消極的なのは、実は放射能が長期的に人体に及ぼす影響なんて考えたくないからじゃないか、となかなか手厳しいことをいっている。
安倍さんについてインタヴュアーは、「ヤンキーとは縁遠い気がします」という感想をもらしていたが、それはヤンキーのもつある種の迫力が、安倍さんには感じられないという意味で言ったようだ。これに対して齋藤さんは、「ヤンキーに憧れていたけど、ひ弱でなれなかった」としたうえで、「しかし心性はヤンキー的です」と答えている。
ともあれこのインタヴューのなかで齋藤さんは、自民党はもはや本物の保守政党ではなく、偽物の保守政党だということを言っているわけである。ヤンキーとはその偽物の保守主義を定義付ける言葉だ、そう氏はいっているのである。
こんなことをいったのだから、齋藤さんはヤンキーたちの(ネットを通じての)集中攻撃を受けるに違いない。ネット右翼と言われる連中の大部分は、こうしたヤンキーたちだと思われるからだ。
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