日本語と日本文化


日本政治の政策軸


大嶽秀夫氏の著作「日本型ポピュリズム」(中公新書)は、1990年代以降に現れたポピュリズム型政治家についての分析であり、小泉純一郎と田中真紀子に焦点を当てて、主に彼らの政治姿勢について考察を加えているのであるが、その前段として、戦後日本政治における政策軸というべきものをお浚いしている。筆者にはその部分が興味深く受け取れた。そこで、氏の分析を参考にしながら、戦後日本政治を貫いていた政策軸を、筆者なりに改めて整理してみようという気になった。

まず、政策軸について定義しておかねばならない。どこの国でも、政治を担うのは政党であり、複数の政党がそれぞれに政策を掲げて国民の信任とそれをもとにした政権の獲得を競い合っている。その場合に各政党の政策にとって理論的なベースとなるものが政策軸である。

政策軸には大きくわけて、内政にかかわる部分と外交にかかわる部分とがある。内政の最大課題は経済政策であり、外交の最大課題は国の安全保障である。戦後日本政治は、この二つの大きな政策軸を巡って、政党と疑似政党としての派閥が、それぞれに異なる政策軸を掲げ、政権の獲得を競い合ってきたと、単純化していうことができよう。

55年体制の担い手であった自民党と社会党を政策において区別したものは、安全保障をめぐる基本的な考え方の相違だった。自民党は基本的に対米協調路線を採用し、社会党は反米の立場から非武装中立を主張した。これが、米ソ冷戦を反映していたことは言うまでもない。自民党はアメリカの核の傘に身を寄せることで、ソ連からの脅威に備え、アメリカによる安全保障を前提にして、経済発展に邁進したわけである。一方社会党は、アメリカとの同盟がかえって戦争に巻き込まれる危険をもたらすのだと主張し、国民の間に残っていた強い反米感情に訴えて、非武装中立を主張したわけであろう。憲法9条を前提とし、しかもアメリカとの同盟をも拒絶するなら、選択肢は非武装中立しか残らないわけだ。

一方、経済政策の面では、自民党も社会党も大した差はなかったといってよい。社会党は基本的には大きな政府論を展開していたのだが、自民党もほうもそれについて大した異存はなかった。すさまじい勢いの高度成長が、大きな政府を可能にしたからである。

自民党内部の派閥についていえば、経済政策は似たり寄ったりだったといってよい。高度成長期においては、財政均衡を気にせずとも、強気の経済運営ができた。そうした中で、健全財政に比較的にこだわる派閥(池田派の流れ)と、積極財政を目指す派閥(佐藤派の流れ)との差異はあったが、そんなに深刻な相違にはならなかった。一方外交については、対米協調を旨としたハト派路線(池田派、佐藤派の流れ)と自主外交を重視する路線(福田派、中曽根派の流れ)が区別されたが、これも深刻な対立軸とはならなかった。

内政、外交双方にわたって政策軸の相違が明確になるのは、1980年代以降のことである。この時期、ソ連圏や中国においてすさまじい変革が進行し、冷戦の構図が過去のものになっていった。また、サッチャリズムやレーガノミックスと呼ばれるような、新自由主義的な経済政策が台頭してきた。それは、先進国の経済が成熟するとともに、グローバリズムの動きが強まってきたことを反映した動きだったということができる。

日本もこうした流れに沿ったかたちで、政策軸の対立が表面化してきた。中曽根政権は、そうした対立を顕在化させ、日本政治にとって、それまでとは異なる新たな政策セットを提示した政権だったと言える。自民党としては、それまでの保守本流と言われた路線にかわって、非主流的だった考え方が浮かび上がってきたわけである。それは内政においては小さな政府を志向し、外交においてはハト派からタカ派への転換であった。

もっとも中曽根自身は、日本を浮かぶ空母にするとはいいながら、アメリカからの自立を目指したわけではなく、抽象的な愛国心を内実にする中身の薄い、中途半端なタカ派路線だったといわねばならない。

1990年代初期における細川政権の成立が、55年体制を根底から揺るがした。これ以降日本政治は全く新しい時代に突入したといってよい。

まず社会党が消滅した。それを仕掛けたのは小沢一郎だと大嶽氏はいう。小澤は、自社対立の55年体制に替る新しい体制を作りたいと考えた。それは、二つの大きな保守政党がかわるがわる政権を交代するというアメリカ型の2大政党制を日本にも根付かせようというものだった。

小澤自身は、小さな政府と国際貢献を重視する外交を主張したという点で、従来の自民党における保守本流の考え方とは異なった政策軸を打ち出した。レーガン流の新自由主義とも親和性を持っている点で、アメリカの共和党のような政党を目指していたといってよい。

しかし、小沢は自民党に対抗できる政党を作る過程で、あまりにも考え方の異なった勢力を取り込み過ぎた。社会党の落ち武者といった連中から、菅のように市民運動から出発した連中、そして旧日本新党やさきがけの流れなど雑多な連中を集めて、最後には民主党と言う政党を作ったわけだが、これが一枚岩とはいえない、つまり近代的な政党の体をなしていないことが、ほかならぬ小沢自身が民主党から脱退するという形で示されたわけである。

一方自民党のほうは、森以降福田派の流れが政権を握り、しかも小泉のような政治家が現れたことで、従来の保守本流の政策軸に変化が起きた。一言でいえば、新自由主義への転換である。これは小沢が主張していたことを、何よりも小沢を憎み続けてきた自民党が取り入れたという皮肉な事態なわけだ。

こうしたわけで、現在の各政党の政策軸は、かなり混乱した状態で交差しあっている。

筆者などは、日本の政党はもうひと波乱したうえで再編されるべきだと考えている。その結果、比較的保守的な政党と比較的社会民主主義的な政党とが対峙するような構図が出現することがベターだと考えている。ここでいう保守的とは、健全財政とタカ派的な外交政策、社会民主主義的とは、大きな政府とハト派的な外交の組合わせをさしていう。

とにかく今の政党を見ていると腑に落ちないことばかりだ。自民党は健全財政を言ったかと思えば公共事業予算の復活を大合唱するし、民主党はマニフェストを放り投げて国民からうそつき呼ばわりされる始末だ。もっとすっきりして欲しい。そう願うのは筆者のみではあるまい。




  
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