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内山融「小泉政権」を読む


小泉政権の5年余りをどう評価するかについては、いまだ様々な議論がなされている。日本の政治史の上で非常にユニークな政権であったことは間違いなく、そのことで研究者の分析視点も様々だし、肯定・否定の評価軸も一様ではない。これを肯定的に見る人には、この政権が日本の統治構造を変えたという歴史的な功績に注目する者が多く、これを否定的に見る人には、その新自由主義的政策が日本を格差社会に追いやったという点を批判する者が多い、と一応は言えるようであるが、そんなに単純には割り切れない。結局功罪相半ばするという、曖昧な評価がまかり通っているというのが現状だろう。

内山融氏の研究「小泉政権」(中公新書)は、小泉政権の功罪とその歴史的な意義について、多角的な見地から評価しようとする試みである。そのことを通じて、小泉政権の何が日本の政治をプラスの方向に変え、何が日本にとってマイナスの効果をもたらしたかについて、立体的に明らかにしようというわけである。

氏の分析視点は、大きく二つに分けられる。ひとつは、小泉政権の統治のスタイルをめぐるものであり、もう一つはその新自由主義的な政策をめぐるものである。統治スタイルについて言えば、小泉政権はそれまでの官僚主導の統治のあり方を首相主導に変えていくことによって、日本の統治構造を抜本的に改革したと、その歴史的な意義を率直に評価する一方、政策については、外交を含めて、評価に堪えない部分が多いという見方をしている。

まず、小泉政権の統治スタイルについて。それを最も劇的な形で示したのは、2005年の郵政民営化選挙だ。この選挙で小泉は、郵政民営化に反対する者を抵抗勢力と決めつけ、その抵抗勢力を敵に仕立てたうえで、敵と戦う自分への支持を直接国民に訴えた。その手法は日本型ポピュリズムともいわれ、政治の劇場化とも評された。しかしそうした手法によって、小泉は自民党内の抵抗勢力を撲滅し、自分の信念を押し通すことができた。

郵政民営化のようなドラスティックな政策転換は、小泉でなければできなかったことだ。小泉以前の自民党の政治家たちは、鉄のトライアングルと称されるような既成勢力からなる微妙な権力バランスの上で動いていた。首相といえども、数ある利権共同体の利害を無視して政策を展開することなどありえなかった。郵政はそうした利権共同体の中でも最も強固なものであり、しかも自民党にとっては強力な集票基盤にもなっていた。それをつぶすことなど、従来型の政治家には考えられもしなかったことだ。その考えられないことを小泉は、強力な反対を抑えてやりとおした。何故そんなことが可能だったのか。

氏はそれをとりあえず小泉個人の強烈なリーダーシップに求める。小泉は従来の自民党の政治家と異なり、権力のバランスを重んじるよりは、自分の意向をトップダウンで遂行していく手法をとった。その過程で、反対する者を抵抗勢力として排除し、誰にも文句を言わせないようにしていった。そうしたリーダーシップを可能にしたのは、一つには選挙制度改革や行政改革と言った一連の制度改革が作り出した新たな権力空間の存在であり、もう一つには日本型ポピュリズムと称される小泉自身の独特の政治的パファーマンスだった、と氏はいう。

一連の政治改革がもたらしたものの中で最も重要な意義を持つのは、権力の集中だった、と氏はいう。小選挙区比例代表制の導入は、既存の派閥を弱体化させ、党首の地位を持ち上げる方向に作用した。小泉が党首の権力を活用して、自分の反対するものを公認からはずし、あまつさえ彼らに刺客をさしむけて落選させたことは、その象徴的なものだ。

行政改革は、首相の権限の拡大と、内閣府など首相を支えるスタッフの充実をもたらした。その結果、首相が各省を横断する形で政策軸を明確化することができるようになり、首相によるトップダウン型意思決定が可能になった。また内閣と党の関係では、内閣の方に実質的な権力が集中した。それによって、あらゆる政治的意思決定が、内閣を中心にして一元的になされる体制が可能になった。従来は、自民党組織による政策決定が内閣の政策決定を制約し、その舞台を巡って、族議員、官僚、業界団体の鉄のトライアングルが形成されていたわけだが、それを崩して、決定が内閣に一元化されることで、首相のリーダーシップも飛躍的に高まったのである。

こうして小泉は、制度改革によって強化された公式の権限を基盤とし、それにポピュリスト的な戦術を重ねることによって、国民からの強力な支持を集め、自らの権力基盤を盤石なものにしたというわけである。氏は、この二つの権力の源泉を小泉がどう活用したかについて、面白い視点を示している。小泉には強い首相と言う面と、パトスの首相と言う面とが共存しているというのである。強い首相とは、強化された権限を背景に強力なリーダーシップを発揮することであり、パトスの首相とは、国民に向かって呼びかけるときの小泉のスタイルのあり方をさしている。

「小泉の言語様式には、論理的な説明よりも、インパクトのあるフレーズによって感情に訴えかけるという特徴もあった。すなわち、ロゴス=理性・言葉よりも、パトス=感情・情念を重視した」と氏がいうように、それは有権者との関係において、ポピュリズム的行動様式の核となる態度だったと言えよう。

そうした小泉の情動的な行動様式に対しては、氏は厳しい見方を示している。民主党の岡田代表から、勤務実績がないのに厚生年金に加入していいたことに説明を求められた際に、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」とわけのわからぬことをうそぶいたというエピソードに触れ、小泉が言葉による理性的なやり取りを軽視している点を批判している。それに対して、大平正芳は、国民的な人気と言う点では小泉には及ばなかったが、常に正面から説明責任を果たそうとしたその真摯な態度は、到底小泉の及ぶところではないと評価している。

つぎに、小泉政権の政策の特徴について。一言でいえば、新自由主義ということになろう。氏もまたそういう理解をしている。ところで小泉がいつごろから新自由主義的な信念を抱くようになったか、氏はそのことには触れていないが、興味深いことだ。小泉が新自由主義路線の象徴としてとりあげた郵政民営化にしても、新自由主義的価値観にもとづいてその見解を引き出したのか、あるいは郵政民営化の考えが先にあって、それをうらづける理屈として新自由主義に飛びついたのか、いまひとつ明らかでないからだ。

ともあれ小泉は、竹中平蔵らこちこちの新自由主義者らを使って、いわゆる構造改革といわれるものを実施した。その中身と及ぼした効果については、リーマンショックを経験した今となっては、否定的な見方が強くなっているが、小泉が権力を行使していた時代には、これ以外に選択肢はないといわんばかりの状況が支配した。その結果、規制緩和と社会保障の見直しが進み、また労働市場の流動化が極端に進んだ結果、日本は深刻な格差社会に陥っていったわけである。

氏もまた、小泉政権が格差社会をもたらしたことについては、強い批判の視線を向けている。しかしいまひとつそこに迫力が感じられないのは、経済にかかわる分析には、政治学者として腰を引かざるを得ないという判断があるからなのだろう。しかし小泉政権を評価する際には、それまでの日本社会をひっくり返して、それを格差社会に作り直したことの功罪こそが問われねばならないと思う。

小泉はたびたび、「自民党をぶっ壊す」とうそぶいていたが、彼が壊したのは自民党などというちっぽけな器ではなく、日本と言う国のかたちだったといってもよい。




  
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