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麻生さん、それではいかんタイ


麻生首相と小沢一郎氏の党首討論が昨日行なわれた。首相側からの要請に、小沢氏が応えたものだ。だが討論を見た限りでは、首相のほうは守りの姿勢が目立ち、小沢氏に皮肉な牽制球を投げられて苦笑いをするなど、とても討論をリードしていたとはいえない。自分から呼びかけておいて、逃げの姿勢に徹するようでは、大方の嘲笑を買うだけだ。

一方小沢氏のほうも、口から出る言葉は目先の政局のことばかりで、この国をどう導いて行くのか、大局的な話はしなかった。この討論を見て失望を感じたのは、筆者だけではあるまい。

そもそも民主主義が政党政治の形をとる体制においては、党首間の討論は、その国の命運を語るもっとも大事な機会だ。とりわけ国全体が危機に直面しているような場合には、その危機をどう乗り越え、どんな方向に国民を導いていくべきかについて、深刻な議論が必要だ。今の日本はそうした状況にある。だからこそ、多くの国民がテレビの画面を通じて、この党首討論に真剣に見入ったのだ。

しかし二人の議論は、解散の時期をいつにしたらいいのかとか、特定法案の処理をどうしたらいいのかとか、技術的な問題の周辺を空回りした。これでは目先の政局にとらわれているといわれても仕方ない。

国民が本当に聞きたかったのはそんなことではあるまい。個別の閣僚の発言ならいざ知らず、一国の宰相と、最大野党の党首が論戦するのであるから、この国の未来について、しっかりしたヴィジョンを聞きただしたかったのだ。

それにしても、麻生さんの姿勢はお粗末というほかはない。自分から仕掛ける場面は殆ど無く、小沢氏からの質問を何とかやり過ごそうとする態度に終始した。それもあらかじめ用意した紙切れに目を落としながら、そつなく答えようとする態度が目立った。地方議会での首長の答弁だって、もっと堂々としたものはいくらでもある。

どうやら麻生さんは、度重なる失言で袋だたきにあってきたことが、いささか身にしみているのかもしれない。なにしろ党首会談といえば、政治家にとっては最高の晴れ舞台である。そこでもし失言でもしようものなら、ダメージはこれまでのケースの比ではない。だから先ず失言に気をつけよう。政策云々はその後の問題だ。そう考えたのかもしれない。

麻生さんの失言については、野党ならず識者の間でも評判が悪い。最近では身内の中からも品位のなさを指摘するものが現れるほどだ。女房役の官房長官まで、麻生さんの失言癖は死ななければ直らないだろうという旨の言葉を公の場で吐く始末だ。

かつて麻生内閣を桜鯛内閣と皮肉ったジャーナリストがいた。最近ではメッキ内閣だというものもある。ギラギラとしているだけで、中身は粗末という意味らしい。

麻生さん、組閣早々こんな言葉を浴びせ続けられるのはよくないですぞ。

やはり民意の試練を経ていないから、こんなことが絶えないのだろう。いっそ早期に解散して民意を問うたほうが、政権の基盤作りに妙薬として働くに違いない。

景気対策のための政策が優先だといって選挙を先送りし、今度はその政策そのものまで先送りしようとしている、国民の多くはこう見ている。そして麻生さんが何もかも先送りして恥じないのは、少しでも長く首相の座にしがみついていたいからだ、そう見ている人もいる。

麻生さん、それではいかんタイ。




  
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