日本語と日本文化


幸若舞「百合若大臣」(日本版「オデッセー」の物語)


太宰春台がいうとおり、幸若舞の曲数はさして多くはなかったと思われるが、それでも、今日五十曲ばかりが伝えられている。それらは、幸若舞の独創にかかる創作というのではなく、ほとんどは、平家物語をはじめとした口承文芸や各地の伝説に題材をとったものであり、説経や浄瑠璃と同じようなテーマを取り上げたものである。

しかし、それらの一々は、ほかの伝承芸能に比べれば、はるかに高い完成度を示している。これは、幸若の宗家が、テクストとして後世に残そうとするに当たって、この芸能の語り物としての特性を最大限に生かし、文学的な完成度にこだわった結果だとも考えられる。

これら幸若舞のテクストのうち、十数編が東洋文庫に収められているので、それらを読むことによって、この「舞」を称する独特な語り物の世界の一端に触れることができよう。

ここでは、幸若舞のなかでも傑作の部類といえる「百合若大臣」をとりあげ、その魅力の片鱗に迫りたいと思う。

この曲は、蒙古襲来という歴史上の大事件を背景に、蒙古に果敢に立ち向かった武将の運命を描いたものである。主人公の百合若は貴種の子として生まれ、勅命を賜って蒙古の軍勢を打ち破りながら、?臣の姦計にかかって無人島に放り置かれ、その身は無論、妻やその乳母たちにも辛酸をなめさすが、最後には大臣として復活し、?臣に復讐するという筋立てになっている。

もとになった物語は、百合若伝説として、中世日本の各地に流布していたほか、説経などにも取り上げられている。学者の考証によれば、それらは、八幡信仰と深い関連を有するものの如く、説経などはこれを、八幡の縁起物語として語っていたらしい。

幸若舞においても、八幡信仰とのつながりを感じさせる部分はあるが、総じていえば、信仰を説くことを離れて、純粋な文学作品としての色彩を強うしている。これがまた、幸若舞というものの、創作に徹する姿勢を強く印象付けてもいるのである。

物語は、主人公百合若の誕生と成長を語ることから始まる。説経のように神祇の縁起を語るという体裁はとらない。紹介のしかたも、「夏の半ばの若なれば、花にもよそへて育てよとて、百合若殿と申し、、、」といった具合である。

十七歳にして右大臣になった百合若は、折から日本に攻めてきた蒙古軍を迎え撃つべく、総大将に任命される。しかして3年に及ぶ戦いの後、蒙古軍を海上に破るが、戦いの疲れからさる無人島に上がって休養をとっている間に、後見役の別府兄弟によって、独り無人島に置き去りにされる。

「大臣は夢うち覚まし給ひて、誰かあると召さるれど、お返事申すものもなし、、、所はわづかの小島にて、草木もさらになかりけり、蒼天広う遠うして、月の出づべき山もなし、朝の日は海より出で、又、夕日の海に入る、露の身は頼みなや、夜更けて聞くも波の音、岩間の宿を頼めてや、起き伏す方も濡れまさる、まれにも言問ふものとては、波に流るる群鴎、汀の千鳥鳴くときは、なほまた友も恋ひしくて、いとど明け行く夜も長く、暮れゆく日影も遅かりけり、、、」

無人島に漂流する英雄の話は、世界中に伝わっている。古くはギリシャ神話のオデッセーの物語がそうだし、ロビンソン・クルーソーの物語もその翻案といえる。百合若大臣は日本版英雄漂流物語ともいえようか。

一方、大臣を置き去りにした別府兄弟は、功績を詐称して帝より筑紫の国を与えられる。そのうえ、大臣の御台所が美貌なのに懸想し、自分のものにしようとする。「もし背き給ふものならば、淵を尋ねて柴漬け申さばや」という悪逆振りである。

御台所は嘆き悲しみ、大臣の形見を尊き人たちに分け与えるうちにも、かつて大臣が飼っていた大鷹「緑丸」に餌を与えて放つ。すると緑丸は餌の飯を銜えて、大臣のいる無人島へと飛んで行き、物語に展開のきっかけをもたらすのである。

「あら、めずらしの緑丸や、やあ、大臣がこの島にありとは、何とて知りて来りたるぞ、げに、鳥類は必ず五通あるとは、是かとよ、さても、これなる飯は、御台所の御業かや、この飯を賜ばんより、など言伝の文はなきぞ、いかに、いかに」

大臣は草を紙のかわりにして、血で文字を書き、緑丸を御台所のもとへ帰す。緑丸のもたらした文を見た御台所は、夫がどこかでで生きているのを知り、次には、飯に加えて、筆、紙、硯を足に結わえ付けて緑丸を放つのであるが、緑丸は荷の重さに耐え切れず、死んだ姿で大臣のもとにたどり着く。

「さても、この鷹が、今この島に揺られ来て、再びものを思はする、必ず生を受くるもの、魂魄二つのたましひあり、魂は冥土に赴けば、魄は浮世にありとかや、我も命のつづまりて、今を限りのことなれば、連れていけや緑丸とて、この鷹にうちかかり、流涕こがれ給ひけり」

とかくするうち、釣人の乗る舟が無人島に漂着し、大臣はその船に乗って、本土に戻ることができる。あまりにも変わり果てた大臣の姿には、別府はじめ誰も気づくことがない。別府は、「是はけうがる生物かな、人かと見れば、人にてもなし、鬼かとみれば、鬼にてもなし、餓鬼とやらんはこれかとよ」とあざけり、大臣をあずかった門脇の翁は、「あら、むざうと、やせ衰へたる餓鬼や」と同情する始末。この辺は、地下から生き返った小栗判官のようでもある。

大臣は、じっと我慢して、時節の到来を待つ。別府は御台所のなびかぬのに腹を立て、淵に埋めよと門脇の翁に命令する。翁は、自分の娘を身代わりにして御台所の命を救うのである。

「いたはしや、大臣殿には、お顔にも、お足にも、さながら苔の生え給へば、苔丸と名づけて、矢取りの役にぞ指しにける」

別府から矢取りの役にされた百合若は、弓矢を手にとって時節の到来したるを感じたのであろう、終に自ら名乗り出て、別府に復讐をする。そのさまは、次のように描かれている。

「いかでか許し給ふべき、松浦党に仰せつけ、高手小手に縛め、かかりの松に結ひつけ、自身立ち出で給ひて、汝が舌の囀りにて、我に物を思はせつる、因果の程を見せんとて、口の内へ御手を入れ、舌をつかんで引き抜いで、かしこへかはと投げ捨て、首をば七日七夜に引き首こそせられける、上下万民これを見て、つらく当たり申したる者の、果てを見よやとて、憎まぬものはなかりけり」

理不尽な目にあったものが、復讐をするというテーマは、中世の日本の口承文学を強く彩っている。幸若の場合にも、復讐は重いテーマとなっているのであるが、この文にあるとおり、あまり陰惨さを感じさせないのは、この芸能のたどった特別な事情によるのかもしれない。

幸若舞は、信長、秀吉、家康の三代にわたって、武家の式楽としての地位を誇った。この時代には、能よりも高尚なものとされていたのである。そうした、時代の雰囲気が作品にも影響し、曲舞がもともと持っていた荒々しい民衆的なエネルギーを切り捨て、小奇麗な芸へと代わっていったのではないか。この作品に限らず、幸若舞のテクストの多くには、そんな風に思わせるところがある。


    


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