日本語と日本文化


能「泰山府君」:桜の命と道教の神


能「泰山府君」は、桜花爛漫の季節を舞台に、万物の生命を司るとされた道教の神泰山府君に、桜の命を永らえさせてもらおうという願いを歌い上げた曲である。これに天女が桜の枝を折るという趣向が付け加わり、話の筋に変化が生じている。後段では泰山府君が勇壮な舞働きを、天女が優雅な舞を舞い、小品ながら華やかで見ごたえのある作品である。

作者は世阿弥とされる。世阿弥がなぜわざわざ中国の神に題材をとったかについては議論がある。泰山府君はその名のとおり泰山の神であり、人の寿命を延ばしてくれるとの信仰が厚かった。その信仰が道教とともに日本にも伝わって、陰陽師の間などで信仰されたのではないか。現代の日本にあっては、道教も陰陽道も廃れてしまったが、世阿弥の時代にはまだ一定の影響を有していて、泰山府君は人間はじめ生き物の命を永らえさせてくれるとの観念が流通していたのかもしれない。

だから世阿弥は、桜をテーマに取り上げるにあたって、そのはかない命を少しでも永らえさせようとの趣向のうちに、泰山府君の利益を借りたとする見方も成り立つだろう。

世阿弥の死後、この曲はあまり取り上げられることがなくなり、ひとり金剛流のみが伝えてきた。それも長らく演ぜられることがなかったのを、近年になって再び取り上げられるようになった。こんなところから、金剛流のお家芸とされ、正月などめでたい節々に演ぜられる。観世流における吉野天人のようなものだろう。

この稿では、今年の正月NHKが放送した金剛永謹の舞台にしたがって、鑑賞してみたい。

舞台設定は桜町中納言の屋敷内。桜花爛漫の時節で、舞台中央にはその様子を現す桜の作り物が据えられている。この桜の命を少しでも引き伸ばそうと、中納言は泰山府君を招いて延命祈願をする。

舞台にはまず、ワキの中納言とワキツレが登場するが、名乗りはあげず、ワキがいきなり詞を述べる。(以下、テクストは「半魚文庫」を活用。)

ワキ詞「わが好ける心にあくがれて。青陽の春の朝には。花山に入つて日を暮らし。秋は龍田のもみぢ葉の。色に染み香にめでて。情を四方にめぐらせば。心に洩るゝ方もなし。然れども恨は花盛。三春だに経ずして。唯一七日の間なり。余りに名残惜しく候へば。泰山府君の祭を執り行ひ。花の命を延べばやと存じ候。
サシ「有難や治まる御代の習とて。何か望は荒磯海の。浜の真砂の数々に。事を尽すや栄花の家。
地「花の命をのばへんと。花の命をのばへんと。これも手向と夕露の。白木綿懸けて咲く花の影明らかに春の夜の。月の光も曇らじな。金銀珠玉色々の。花の祭をなしにけり花の祭をなしにけり。

そこへ、増女の面を被ったシテが登場する。みなりは普通の女であるが、実は天女の借りの姿だと、自分で名乗る。その天女が桜の花を見て、天上へ帰る土産に是非手折りたいものだという。

シテ一声「花におり立つ白雲の。嵐や空に。帰るらん。
サシ「天つ風雲の通路吹きとぢよ。乙女の姿しばしだに。とゞめかねたる春の夜の。色香妙なり花盛。よそめに見るさへ。面白や。
地「いざ桜われも散りなん一盛。われも散りなん一盛。誘ふ嵐も心して松に残る薄雪の。盛とも夕暮の。月も曇らぬ天の原。霞の衣来て見れば。妙なる花の。気色かな妙なる花の気色かな。
シテ詞「あら面白の花盛やな。一枝手折り天上へ帰らばやと思ひ候。宴やむで紅燭なほ余れり。花一枝を手折らんと。忍び/\に立ち寄れば。
ワキ「春宵一時値千金。花に清香月に影。見る目ひまなき花守の。心は空になりやせん。
シテ「折らばやの花一枝に人知れぬ。我が通路の関守は。宵宵ごとにうちも寝よ。
ワキ「寝られんものか下枕。花より外は夢もなし。
シテ「実に実に見れば木の本に。人を寄せじと花の垣。
ワキ「隔てぬ月の影ともに。
シテ「花の光の。
ワキ「照り添ひて。
地「中々木蔭はくらからねば。何と手折らん花心。月の夜桜の影。あさまなり恥かしや。
ロンギ地「実に有難や此春の。実に有難や此春の。花の祭の時過ぎば。今少しこそ松の風終には花の跡とはん。
シテ「今手折らずは一枝の。後の七日を松の風。雪になり行く花ならば跡とふとても由なし。
地「よしや吉野の山桜。こゝも千本の花の影。
シテ「月も折しも春の夜の。
地「霞の光。
シテ「花の色。
地「何か今宵の。思ひ出ならぬさりながら。あはれ一枝を天の羽袖に手折りて。月をもともに眺めばやの望は残れり此春の望残れり。

月明かりに照らされて人に姿を見られることを恐れた天女はなかなか枝を折ることができない。しかし月が東の空に沈んであたりが暗くなるのを幸い、ついに桜の枝を折ることに成功した天女は、うれしげに枝を抱えると天に昇っていく。

シテ詞「あまりに月のさやかにて。手折るべき便なければ。徒に更くる夜の間を待ちつるに。
地「うれしや月も入りたりや。うれしや月も入りたりや。梢は花に曇らねど。木の下闇に忍び寄り。さしも妙なる花の枝手折りて行くや乙女子が。天つ羽衣立ち重ね雲居遥に昇りけり。雲居遥かに昇りけり。

(中入)中入では間狂言が登場し、桜町中納言が桜の命の短いのを残念に思い、延命のために泰山府君に祈願したいきさつを口上する。

後シテは泰山府君、天神の面を被り、髪はボリュームのある黒髪である。

後シテ出端「そも/\これは。五道の冥官。泰山府君なり。
詞「我人間の定相を守り明闇二つを守護する所に。上古にも聞かざりし。花の命を延べん為我を祭る。唯色に染むひと花心に似たれども。よく/\思へば道理々々。煙霞跡を埋むでは花の暮を惜み。祚国まさに身を捨てゝ。後の春を待たず。
詞「かゝる例もある花を。手折れる者は何者ぞと通力を以てよく見るに。欲界色界無色界。化天夜魔天にてもなく。らくてん下天の天人がこのはな手折りつるか。
地「山河草木震動して。虚空に光り満ち満てり。
シテ「天上清しと見る所に。何ぞ偸盗の雲の上。
地「天つ乙女の羽衣の。花のかつらの春を待て。
シテ「待たじはや/\。
地「花ひとときの栄花の桜。
シテ「かざしの花のたま/\なるに。
地「花実の種も中空の。天つ御空は雲晴れて。らくてん下天天人忽ち現れたり。

泰山府君は桜の枝が折られていることに気づき、誰が犯人か、天上天下を探し回る。するとこともあろうに、天上の天女が犯人であることがわかる。

泰山府君は勇壮な舞を踊りながら、天女に下りてくるように促す。促された天女は先ほどの桜の枝を抱えながら現れ、天女の優雅な舞を舞う。

天女の舞「天女はふたゝび天降り。天女はふたゝび天降り。さしも心に懸けし花の。かつらもしぼむ涙の雨より散りくる花を慕ひ行けば。
シテ「天上にてこそ栄花の桜。
地「散れども枝に。のこりの雪の。消えせしものを花の齢。梵釈十王閻魔宮。五道の冥官泰山府君の力を種の継木の桜。あつぱれ奇特の花盛。

(働)自分の所業を反省した天女は桜の枝を元のところに戻す。枝は泰山府君の神力によって接木され、桜は元のように美しく咲くばかりか、二十一日もの長い間咲き続けるのである。

シテ「通力自在の遍満なれば。
地「通力自在の遍満なれば。花の命は七日なれどももとより鬼神に横道あらんや。花の梢に飛び翔つて。嵐を防ぎ雨を漏らさず四方に護る例を見せて。七日に限る桜の盛。三七日まで残りけり。

この曲では、前シテは天女、後シテは泰山府君である。後段の天女はシテツレが演じていた。見ているものには、その辺がわかりづらかったかもしれない。

普通、シテは前後を通じて同じ人物を演ずるのが原則である。この曲が異なったやり方をとったのは、主人公の泰山府君を重く見てのことだろう。

しかし、天女の舞いも見所の一つになっており、曲に一貫性を持たせるためにも、シテは前後を通じて天女に徹したほうがよかったかもしれない。


    


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