日本語と日本文化


小督:平家物語巻第六



(平家物語絵巻から 小督)

「小督」の章は、能の人気曲にもなっており、また黒田節の一節にも取り入れられているとおり、人々にとりわけ親しまれてきた部分だ。これだけでも独立した物語になるのであるが、平家物語の流れのなかでは、高倉天皇をめぐる一連の逸話の一つとして語られる。また、清盛の横暴を示す一例としての意義もある。

高倉天皇は清盛の次女徳子を中宮(建礼門院)として迎えたのであるが、恋心に富んでいたらしく、何人かの愛人を持っていた。その一人である葵の前という少女が死んだ際に、嘆くこと尋常でなかったので、心配した中宮が一人の女御を紹介した。その女御と言うのが小督であったわけだが、小督は清盛の婿である冷泉隆房の恋人だった。その女が、今度は自分のもう一人の婿である高倉天皇をたぶらかしたと感じた清盛は激怒した。その怒りを知った小督は、身の危険を感じて、嵯峨野の一角に身を潜めてしまった。

愛する女性に去られてしまった高倉天皇は、なんとかして探し出そうと、弾正少弼仲国というものに命じて捜索させる。この章の話の骨格は、身を隠した小督を、かすかな情報を手がかりに、仲国が捜し求めるというところにある。そのかすかな情報とは、小督が片折戸のある小家に隠れているということ、小督が天皇をしのんで琴を弾じている可能性が高いということだった。

かくて、八月半ばの月の明るい夜に、仲国は天皇から賜った馬に乗り、天皇の御書を携えて、嵯峨野を探し回るのである。

~かくて八月十日あまりになりにけり。さしもくまなき空なれど、主上は御涙にくもりつつ、月の光もおぼろにぞ御覧ぜられける。やや深更に及んで、「人やある、人やある」と召されけれ共、御答へ申すものもなし。弾正少弼仲国、其夜しも参つて、はるかに遠う候が、「仲国」と御答へ申したれば、「ちかう参れ。仰下さるべき事あり」。何事やらんとて、御前ちかう参じたれば、「なんぢもし小督が行方や知りたる」。仲国「いかでか知り参らせ候べき。ゆめゆめ知り参らせず候」。「まことやらん、小督は嵯峨のへんに、かた折戸とかやしたる内にありと申すもののあるぞとよ。あるじが名をば知らずとも、尋ねて参らせなんや」と仰せければ、「あるじが名を知り候はでは、争か尋ねまいらせ参らせ候べき」と申せば、「まことにも」とて、竜顔より御涙をながさせ給ふ。仲国つくづくと物を案ずるに、まことや、小督殿は琴弾き給ひしぞかし。此月のあかさに、君の御事思ひ出で参らせて、琴ひき給はぬ事はよもあらじ。御所にて弾き給ひしには、仲国笛の役に召されしかば、其琴の音はいづくなりとも聞き知らんずるものを。又嵯峨の在家いく程かあるべき。うち廻ッてたづ尋ねんに、などか聞出さざるべきと思ひければ、「さ候はば、あるじが名は知らず共、若しやと尋ね参らせて見候はん。ただし尋ねあひ参らせて候共、御書を給はらで申さむには、上の空にや思し召され候はんずらむ。御書を給はッて向かひ候はん」と申しければ、「まことにも」とて、御書を遊ばいて賜うだりけり。「竜の御馬に乗つ】てゆけとぞ仰せける。仲国竜の御馬給はッて、名月に鞭をあげ、そこともしらずあこがれ行く。

~牡鹿なく此山里と詠じけん、嵯峨のあたりの秋の比、さこそは哀にもおぼえけめ。片折戸したる屋を見つけては、「此内にやおはすらん」と、控へ控へ聞きけれ共、琴ひく所もなかりけり。御堂なンどへ参り給へることもやと、釈迦堂をはじめて、堂々見まはれ共小督殿に似たる女房だに見え給はず。「空しう帰り参りたらんは、中々参らざらんより悪しかるべし。是よりも何方へも迷ひゆかばや」と思へども、いづくか王地ならぬ、身を隠すべき宿もなし。いかがせんと思ひわづらう。「まことや、法輪は程近ければ、月の光に誘はれて、参り給へることもや」と、そなたに向ひてぞあゆませける。

~亀山のあたりちかく、松の一むらある方に、かすかに琴ぞ聞こえける。峯の嵐か、松風か、尋ぬる人のことの音か、おぼつかなくは思へども、駒をはやめて行く程に、片折戸したる内に、琴をぞ弾きすまされたる。控へて是をききければ、少しも紛ふべうもなき小督殿の爪音なり。楽は何ぞとききければ、夫を思うてこふとよむ想夫恋といふ楽なり。さればこそ、君の御事思ひ出で参らせて、楽こそおほけれ、此楽をひき給ひけるやさしさよ。ありがたうおぼえて、腰より横笛ぬき出し、ちッと鳴らいて、門をほとほととたたけば、やがて弾きやみ給ひぬ。高声に、「是は内裏より仲国が御使に参つて候。開けさせ給へ」とて、たたけ共たたけ共)とがむる人(ひと)もなかりけり。


仲国が小督を見つけたきっかけが、小督の弾いていた琴だったというのが話のミソである。しかもその曲の題名が想夫恋。夫を想って恋う、という意味である。この場合には、小督が高倉天皇を想って恋うというように取れるわけである。

~ややあッて、内より人の出づる音のしければ、嬉しう思ひて待つところに、錠をはづし、門を細目にあけ、幼気したる小女房、顔ばかりさし出いて、「門違へてぞ候ふらん。是には内裏より御使なンど給はるべき所にても候はず」と申せば、中々返事して、門閉てられ、錠さされては悪しかりなんと思ひて、押し開けてぞ入りにける。

~妻戸のきはの縁にゐて、「いかに、かやうの所には御渡り候やらん。君は御故に思し召ししづませ給ひて、御命もすでに危ふにこそ見えさせをはしまし候へ。ただ上の空に申すとや思し召され候はん。御書を給はッて参つて候」とて、御書取り出だいて奉る。ありつる女房とりついで、小督殿に参らせたり。あけて見給へば、まことに君の御書なりけり。やがて御返事かき、引結び、女房の装束一重ねそへて出されたり。仲国、女房の装束をば肩にうちかけ、申しけるは、「余の御使で候はば、御返事のうへは、とかう申すには候はねども、日ごろ内裏にて御琴遊ばつし時、仲国笛の役にめされ候し奉公をば、いかでか御忘れ候ふべき。ぢきの御返事を承はらで帰り参らん事こそ、よに口惜しう候へ」と申しければ、小督殿げにもとや思はれけん、身づから返事し給ひけり。

「それにも聞かせ給ひつらん、入道相国のあまりに恐ろしき事をのみ申すとききしかば、あさましさに、内裏をば逃げ出でて、此程はかかる住ひなれば、琴なンど弾く事もなかりつれ共、さてもあるべきならねば、あすより大原の奥に思ひ立つ事のさぶらへば、あるじの女房の、こよひばかりの名残を惜しうで、「今は夜もふけぬ。立聞く人もあらじ」なンど勧むれば、さぞな昔の名残もさすがゆかしくて、手なれし琴を弾く程に、やすうも聞き出だされけりな」とて、涙もせきあへ給はねば、仲国も袖をぞ濡しける。

~ややあッて、仲国涙を抑へて申しけるは、「あすより大原のおくに思し召し立つ事と候は、御さまなンどを変へさせ給ふべきにこそ。ゆめゆめあるべうも候はず。さて君の御歎をば、何とかし参らせ給ふべき。是ばし出し参らすな」とて、ともに召具したる馬部、吉上なンど留めをき、其屋を守護せさせ、竜の御馬に打ち乗つて、内裏へ帰り参りたれば、ほのぼのと明けにけり。「今は入御もなりぬらん、誰して申入るべき」とて、竜の御馬つながせ、ありつる女房の装束をば跳馬の障子に投げかけ、南殿の方へ参れば、主上はいまだ夜部の御座にぞ在ましける。「南に翔り北に嚮ふ、寒雲を秋の鴈に付け難し。東に出で西に流る、只瞻望を曉の月に寄す」と、うち詠めさせ給ふ所に、仲国つッとまいり参りたり。小督殿の御返事をぞ参らせたる。君なのめならず御感なッて、「なんぢがて夜さり具して参れと仰せければ、入道相国の返りきき給はんところは恐ろしけれ共、これ又倫言なれば、雑色・牛・車きよげに沙汰して、嵯峨へ行き向ひ、参るまじきよし様々にの給へども、さまざまにこしらへて、車にとり乗せ奉り、内裏へ参りたりければ、幽なる所に忍ばせて、夜な夜な召されける程に、姫宮一所出来させ給ひけり。此姫宮と申すは、坊門の女院の御事なり。

~入道相国、何としてか漏れ聞いたりけん、「小督が失せたりといふ事、あとかたなき空事なりけり」とて、小督殿を捕へつつ、尼になしてぞ放つたる。小督殿出家はもとよりの望なりけれ共、心ならず尼になされて、年廿三、濃き墨染にやつれはてて、嵯峨の辺にぞ住まれける。うたてかりし事共なり。か様の事共に御悩はつかせ給ひて、遂に御かくれありけるとぞきこえし。


小督は高倉天皇によってかくまわれた上で逢瀬を重ね、ついには娘まで誕生するのだが、やがて清盛に追及されて、尼にされてしまう。小督にとってはもとより本懐だったが、愛する女性を再び失った天皇の嘆きは深く、ついには死んでしまうのである。




  
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