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物怪の沙汰:平家物語巻第五



(平家物語絵巻より 物怪)

福原に遷都した後、平家の人々の夢見が悪くなり、奇怪なことどもが続いた。なかでも清盛の身辺には、不可解なことが続いて起きた。だがさすがは豪胆な清盛、怪物変化に取り付かれても少しも騒がず、かえって睨み返して退散させるほどである。平家物語巻第五「物怪の沙汰」の章は、そんな清盛の豪胆ぶりについて語る。


~福原へ都をうつされて後、平家の人々夢見も悪しう、つねは心騒ぎのみして、変化の物どもおほかりけり。或夜入道の臥し給へるところに、ひと間にはばかる程の物の面いできて、のぞき奉る。入道相国ちッとも騒がず、ちやうどにらまへてをはしければ、ただ消えにきえうせぬ。岡の御所と申すはあたらしう造られたれば、しかるべき大木もなかりけるに、或夜おほ木の倒るる音して、人ならば二卅人が声して、どッと笑ふことありけり。これはいかさまにも天狗の所為といふ沙汰にて、蟇目の当番と名付けて、よる百人ひる五十人の番衆をそろへて、ひきめを射させらるるに、天狗のある方へ向いて射たる時は音もせず。ない方へむいて射たる時は、はッと笑ひなンどしけり。

~又あるあした、入道相国帳台よりいでて、妻戸を押しひらき、坪のうちを見給へば、死人のしやれかうべどもが、いくらといふ数もしらず庭にみちみちて、上になりした下になり、ころびあひころびのき、端なるは中へまろびいり中なるは端へいづ。夥しうがらめきあひければ、入道相国「人やある、人やある」と召されけれども、折節人も参らず。かくしておほくの髑髏どもがひとつにかたまりあひ、坪のうちにはばかる程になッて、たかさは十四五丈もあるらんとおぼゆる山のごとくになりにけり。

~かのひとつの大がしらに、生きたる人のまなこの様に大のまなこどもが千万いできて、入道相国をちやうどにらまへて、瞬きもせず。入道すこしも騒がず、はたとにらまへてしばらく立たれたり。かの大がしらあまりにつよくにらまれたてまつり霜露なンどの日にあたッて消ゆるやうに、跡かたもなくなりにけり。


続いて、青侍の見た夢に、政権が平家から源氏に移ることを暗示する神々の会議のさまや、清盛が厳島神社から授かり常に枕元においておいた小長刀が消えてしまう話などが語られる。「物怪」とは、そうした怪異なことがらをさして言う。



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