日本語と日本文化


女院死去:平家物語灌頂の巻


灌頂の巻最終章は、後白河法皇が去った後、改めて平家一門の滅亡が思いやられると確認した上で、建礼門院の最後について語る。その最後は、女院が一本の糸で阿弥陀如来像の手とつながり、西のほうを向きながら念仏を唱えるうちに、静かに息を引き取ったというものだった。時に「西に紫雲たなびき、異香室にみち、音楽空にきこゆ」とあるのは、女院が成仏できたことを語っているのであろう。

~さる程に寂光院の鐘の声、けふも暮れぬとうち知られ、夕陽西にかたむけば、御名残惜しうはおぼしけれども、御涙をおさへて還御ならせ給ひけり。女院は今更いにしへを思し召し出させ給ひて、忍びあへぬ御涙に、袖)のしがらみせきあへさせ給はず。はるかに御覧じ送らせ給ひて、還御もやうやうのびさせ給ひければ、御本尊に向ひ奉り、「先帝聖霊、一門亡魂、成等正覚、頓証菩提」と泣々いのらせ給ひけり。むかしは東に向はせ給ひて、「伊勢大神宮、正八幡大菩薩、天子宝算、千秋万歳」と申させ給ひしに、今はひきかへて西に向ひ、手を
あはせ、「過去聖霊、一仏浄土へ」といのらせ給ふこそ悲しけれ。

~御寢所の障子にかうぞ遊ばされける。
  このごろはいつならひてかわがこころ大宮人のこひしかるらむ
  いにしへも夢になりにし事なれば柴のあみ戸も久しからじな
御幸の御供に候はれける徳大寺左大臣実定公、御庵室の柱にかきつけられけるとかや。
  いにしへは月にたとへし君なれどそのひかりなきみ山辺のさと
こしかた行末の事共思し召しつづけて、御涙にむせばせ給ふ折しも、山郭公音信ければ、女院
  いざさらばなみだくらべむ郭公われもうき世にねをのみぞなく

~抑壇浦にていきながらとられし人々は、大路をわたして、かうべをはねられ、妻子にはなれて、遠流せらる。池の大納言の外は一人も命をいけられず、都に置かれず。されども四十余人の女房達の御事、沙汰にも及ばざりしかば、親類に従ひ、所縁についてぞおはしける。上は玉の簾の内までも、風しづかなる家もなく、下は柴の枢のもとまでも、塵納まれる宿もなし。枕をならべし妹背も、雲ゐのよそにぞなりはつる。やしなひたてし親子も、ゆきがたしらず別れけり。忍ぶ思ひはつきせねども、歎ながらさてこそすごされけれ。是はただ入道相国、一天四海を掌ににぎッて、上は一人をも恐れず、下は万民をも顧ず、死罪流刑、思ふさまに行ひ、世をも人をも憚かられざりしがいたす所なり。父祖の罪業は子孫に報ふといふ事疑なしとぞ見えたりける。

~かくて年月をすごさせ給ふ程に、女院御心地例ならずわたらせ給ひしかば、中尊の御手の五色の糸をひかへつつ、「南無西方極楽世界教主弥陀如来、かならず引摂し給へ」とて、御念仏ありしかば、大納言佐の局・阿波内侍、左右に寄つて、いまをかぎりのかなしさに、声も惜しまずなき叫ぶ。御念仏の声やうやう弱らせましましければ、西に紫雲たなびき、異香室に満ち、音楽空にきこゆ。かぎりある御事なれば、建久二年きさらぎの中旬に、一期遂におはらせ給ひぬ。きさいの宮の御位よりかた時もはなれ参らせずして候ひなれ給ひしかば、御臨終の御時、別路にまよひしもやるかたなくぞおぼえける。此女房達は昔の草のゆかりもかれはてて、よるかたもなき身なれ共、折々の御仏事営み給ふぞ哀れなる。遂に彼人々は、竜女が正覚の跡をおひ、韋提希夫人の如くに、みな往生の素懐をとげけるとぞ聞えし。


かくして建礼門院の成仏は、女院一人の運命にとどまらず、平家一門の運命に一条の光を当てているように聞こえてくる。昔の人々はこの話を通じて、諸行無常・輪廻転生という仏教的な真理を感じ取ったに違いない。




  
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