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猫間:平家物語巻第八


関東から帰京した康貞が、法王に関東の様子を報告したところ、法皇はじめ公家たちは、頼朝の堂々たる風格に感心する一方、それに対比して木曽義仲の無骨振りが笑いの種になるのであった。そこで、義仲の無骨ぶりの例がいくつか紹介される。

たとえば、猫間中納言を動物の猫扱いするなどの無礼な態度、また、牛車の乗り方も知らず、車の中で転倒したり、乗り降りの決まりごとを無視したりといったことが皮肉たっぷりに語られる。


~泰定都へのぼり院参して、御坪の内にして、関東のやうつぶさに奏聞しければ、法皇も御感ありけり。公卿殿上人も皆ゑつぼにいり給へり。兵衛佐はかうこそゆゆしくおはしけるに、木曾の左馬頭、都の守護してありけるが、たちゐの振舞の無骨さ、物いふ詞つづきのかたくななることかぎりなし。ことはりかな、二歳より信濃国木曾といふ山里に、三十まですみなれたりしかば、争かしるべき。

~或時猫間中納言光高卿といふ人、木曾にの給ひあはすべきことあッておはしたりけり。郎等ども「猫間殿の見参にいり申すべき事ありとて、いらせ給ひて候」と申しければ、木曾大に笑つて、「猫は人にげんざうするか」。「是は猫間の中納言殿と申す公卿でわたらせ給ふ。御宿所の名とおぼえ候」と申しければ、木曾とて対面す。猶も猫間殿とはえいはで、「猫殿のまれまれおはいたるに、物よそへ」とぞの給ひける。中納言是をきいて、「ただいまあるべうもなし」との給へば、「いかが、食時におはいたるに、さてはあるべき」。何もあたらしき物を無塩といふと心えて、「ここに無塩のひらたけあり、とうとう」といそがす。祢のゐの小野太陪膳(はいぜん)す。田舎合子のきはめて大に、くぼかりけるに、飯うづだかくよそひ、御菜三種して、ひらたけの汁で参らせたり。木曾がまへにもおなじ体にて据ゑたりけり。木曾箸とッて食す。猫間殿は、合子のいぶせさにめさざりければ、「それは義仲が精進合子ぞ」。中納言めさでもさすがあしかるべければ、箸とッてめすよししけり。木曾是を見て、「猫殿は小食におはしけるや。聞ゆる猫おろしし給ひたり。かい給へ」とぞせめたりける。中納言かやうの事に興さめて、のたまひあはすべきことも一言もいださず、軈ていそぎ帰られけり。

~木曾(きそ)は、官加階(かかい)したるものの、直垂で出仕せん事あるべうもなかりけりとて、はじめて布衣とり、装束烏帽子ぎはより指貫のすそまで、まことにかたくななり。されども車にこがみのんぬ。鎧とッてき、矢かき負ひ、弓もッて、馬にのッたるには似もにずわろかりけり。牛車は八島の大臣殿の牛車也牛飼もそなりけり。世にしたがふ習ひなれば、とらはれてつかはれけれ共、あまりの目ざましさに、据ゑ飼うたる牛の逸物なるが、門いづる時、ひとずはへあてたらうに、なじかはよかるべき、飛でいづるに、木曾、車のうちにてのけに倒れぬ。蝶のはねをひろげたるやうに、左右の袖をひろげて、おきんおきんとすれども、なじかはおきらるべき。木曾牛飼とはえいはで、「やれ子牛こでい、やれこうしこでい」といひければ、車をやれといふと心えて、五六町こそあがかせたれ。今井の四郎兼平鞭あぶみをあはせて、追つ付いて、「いかに御車をばかうはつかまつるぞ」と叱りければ、「御牛の鼻がこはう候」とぞのべたりける。牛飼仲直りせんとや思ひけん、「それに候手がたにとりつかせ給へ」と申しければ、木曾手がたにむずととり付いて、「あッぱれ支度や、是は牛こでいがはからひか、殿のやうか」とぞ問うたりける。

~さて院御所に参り付いて、車かけはづさせ、うしろより降りむとしければ、京者の雑色に使はれけるが、「車には、めされ候時こそうしろよりめされ候へ。降りさせ給ふには、まへよりこそ降りさせ給へ」と申しけれども、「いかで車であらむがらに、素通りをばすべき」とて、遂にうしろより降りてンげり。其外おかしきこと共おほかりけれども、おそれて是を申さず。


義仲がこうまで無骨なのは、二歳のときから三十になるまで木曽の山の中で育ったためだと、その田舎者ぶりを笑い飛ばしているわけである。



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