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利仁の將軍、若き時京より敦賀へ五位を將て行く語:今昔物語集巻二六第十七


今は昔、利仁將軍という人があった。若い頃は、某という名の関白に仕えていた。越前の國の某の有仁と云う金持ちの聟であったので、いつもは彼の國に住んでいた。
 
関白の屋敷で正月に大宴会が行われた際、その頃はまだ、宴会の終った後、残り物を乞食どもに与えてやる風習がなかったので、家来の侍たちが残り物を食っていた。そこに、長年仕えていた五位の侍がいて、残り物の芋粥をすすりながら、舌打ちをし、「腹一ぱい食ってみたいものじゃ」といった。

これを聞いた利仁は「五位殿、いままで芋粥をたらふく召されたことがないのですか」と問いかけた。五位がありませんと答えたので、利仁はぜひ召し上がっていただきたいというと、五位は大いに喜んだのだった。

その後、四五目ばかりたって、屋敷に住みこんでいる五位のところに利仁がやってきて、「大夫殿ご一緒しませんか。東山のあたりにお湯をわかして用意してありますぞ。」と誘いをかけた。五位は「それはうれしい、今夜は体中がかゆくて眠れないところでした。だが乗り物がありません。」と答えた。利仁が「馬を用意してあります。」というと、五位は「それはうれしい。」といって、薄い綿衣を二枚と、裾の破れた指貫、よれた狩衣を身につけ、袴もはかずに出発した。

五位は、鼻が高かったが、その先が赤らみ、孔のところが濡れているように見えるのは、ろくろく鼻もかまないからだろうと思われた。狩衣の後ろのほうが、帯に締められてゆがんでいるのがおかしかったが、五位を前に立て、ともに馬に乗って出かけた。川原に沿って進んでいったが、五位には童のお供もないのにたいして、利仁には調度掛けが一人、舎人男が一人つき従った。

川原を過ぎて粟田口にかかる頃、五位はどこですかと聞いたが、利仁はもうすぐですよといって、山科も過ぎた。五位は「近いといいながら、もう山科も過ぎましたよ」といったが、利仁はもうすぐですといいながら、関山も過ぎて、三井寺の知り合いの僧のところに立ち寄った。

五位は、ここに湯がわかしてあるのかな、それにしても随分遠いところまで来たものだと思っていると、主の僧は「よくぞおいでなさった」といいながら、いろいろ準備をしている。だが風呂のありそうな様子はない。そこで「風呂はどこですか」と聞いたところ、利仁は「実は敦賀までおいでいただくつもりなのです。」といった。

五位は「あなたは人の悪い方だ、京でそう聞いていたら、下男を連れてきましたのに、そんなに遠いところまでいくのは心細いではありませんか。」とこぼすと、利仁はあざ笑って、「わたしがついておれば千人力です。」といったが、まさにその通りに思われた。二人は急いで食事をすますと、急いで出発した。利仁は用心のために胡録を背負った。

道中三津の浜で、狐が一匹現れた。利仁はそれを見て「よい使いが来た」といって、狐を捕らえようとすると、狐は必死に逃れようとするが、そうはいかぬ、利仁は馬の腹のほうに身をかがめると、狐の後ろ足を持って引き上げた。乗っていた馬はそう利口ではなかったが、首尾よく狐を追い詰めたからである。

五位が後から追いつくと、利仁は狐をぶら下げていわく、「これ狐、今夜のうちに我が家に駆けつけて、こういえ、客を連れて帰るから、明日の巳の時(午前十時頃)に、高島のあたりまで馬を二匹用意して迎えに参れとな。必ずいうのだぞ、お前は変化の術が使えるから、今日中にいけるはずだ。」
こういって狐を放つと、五位は「あてにならぬ使いじゃ」といい、利仁は「みていて御覧なさい、きっといきますから」といいあううち、狐は見る見る走り去っていった。

その夜は道端に野宿した。次の朝早く起きて進んでいくと、十時頃、二三十町(二三㌔)先から人の来る気配がした。何者だろうと怪しがると、利仁がいうには、「昨日の狐が家について、報告したのです、それで家のものどもが迎えに来たのです。」
五位は変ったことだと不思議に思ったが、そうするうちにも、下男たちが近づいてきて、馬から下りると、「それみよ、やはりお出でになった。」といい騒いだ。利仁が馬の所在を尋ねると、二匹連れてきましたと返事をし、食べ物を差し出したので、二人はそれを食ったのだった。

そのとき、先ほどの年かさの家来が、「昨夜、変った事態が起こりました。」といった。利仁が何事かと聞くに、家来の曰く、
「昨夜戌の時(午後八時頃)ばかりに、奥方様が俄かに胸が痛むご様子なので、どうしたことかと思いましたところ、奥方様みずから仰せになるには、わたしは狐ですが、折り入ってお話することがあります、今日のお昼ごろ、三津の浜で殿様にお会いしたので、いったんは逃げましたが、つかまってしまったところ、殿様は、こうおっしゃられました、今日中に我が家にいって、わしは客をお連れして帰るところだから、明日の巳の時に、馬を二匹連れて、高島あたりまで迎えに参れ、もし今日中にいわなければ、痛い目にあわせるぞと。それ故早く男どもを迎えにやってください、でないとわたしがひどい目に合わされます。こういって恐れた様子なので、たやすいことですといって、男どもに用意をさせたところ、奥方様は正気になられましたので、その後一番鳥とともに起きて、参った次第です。」

これを聞いた利仁が五位に目配せをすると、五位はあやしいことだと思ったが、用意してきた食べ物を食い、家路を急ぐうちに、黄昏の頃家に着いた。それを看た家人達は、やはり狐のいったことは本当だったと、大声で話し合ったのだった。

五位が馬から下りて、家の樣子を見るに、たいそう賑やかだ。もとから着ていた薄綿の衣二枚の上に利仁の宿直物を借りて重ね着したが、寒さが厳しく感じられる、長櫃に火をおこし、畳を厚く重ねた上に菓子や食べ物を並べ、道中さぞ寒かったことでしょう、といって、練色の厚い綿衣を三枚もかぶせてくれた。五位の満足は限りないものだった。

食事をして一段落した頃、舅の有仁が出てきて、「これは急なお帰りでしたな、それに使いのものがきちがいじみていて、奥方は気分が悪くなるし、とんだ騒ぎでした。」というと、利仁は微笑んで、「狐めを試してやろうと思っていいつけたところが、本当にやってのけたというわけです。」といって笑った。

舅も笑って、「それは面白いことであった、ところでお供の方とは、ここにおられるこの人のことですか。」と訪ねるので、利仁は、「そうです。芋粥を腹いっぱいたべたことがないと申されるので、食べさせてあげようと思って、お連れした次第です。」というと、舅は、「別に高価なものでもないのに、食べ飽きたことがないとは」といって戯れた。五位も、「東山に風呂が沸いているとだまされて、ここまできてしまったのです。」といい戯れる間に、夜も更けたので、舅は自分のところへ戻っていった。

五位も自分の臥所に入ろうとしたが、そこには綿を四五寸ほど重ねた直垂が用意されてあった。五位は、自分の薄衣を脱ぎ捨てて、借り物の衣の上にこの直垂を重ねて着ると、ぽかぽかと暖かく、汗をかくほどであった。

そこに誰かがそばに寄ってくる気配がした。誰かと問えば女の声で、「おみ足をさすってあげなさいと命じられて参りました。」という。その気配がかわいいので、五位は女を抱いて寝たのであった。

そのうち戸外で男の声がして、「このあたりの下人ども、よく聞け、明日の朝卯の時(午前六時頃)に、切口三寸、長さ五尺の芋を一本づつ持って参れ。」というのが聞こえた。五位は「変ったことをいうものだ。」と思いながら、寝たのであった。

明け方になると、庭に筵を敷く音が聞こえた。「どうするつもりだろう」と思いながら、蔀を上げてみると、長い筵が四五枚敷かれてある。何のためかと不思議に思ううち、下男たちが相次いでやってきて、口三四寸、長さ五六尺ばかりの芋をひとつづつ置いていった。

巳の時までには、芋の山が屋根の高さほどになった。昨夜聞こえた声は、周辺の下人に芋を持参するよう命令するために、人が丘の上から叫んでいた声だったのだ。その声が及んだ範囲だけでもこれほど多くの下人がいたわけだから、それより遠いところにどれだけ多くの下人が住んでいるか、見当もつかない。

なおも見ていると、五斗入りの釜を五六個もってきて、それを俄かにうちたてた杭の間に並べて吊るした。何のためかとなおも見ていると、白い袷を着たかわいい娘たちが、桶に水を入れて運んできては、この釜に注いでいる。ところがこの水と見えたものは、粥を煮るためのだし汁なのであった。

ついで若い男たちが10人ほどやってきて、袂から手を出しては、刀で芋をなで斬りにして釜の中に入れている。ははあ、芋を煮ているのだなと、五位はピンときた。そう思うと、すっかり食欲がなくなってしまった。

サラサラと煮立ったところで、「芋粥ができました。」という声がし、殿が「参らせよ」と命じると、銀の食器に盛った芋粥を三四杯持ってきたが、五位は一杯も食いきれないうちに、「腹いっぱい」といったので、皆大笑いをした。下男たちは「客人のおかげで芋粥をお相伴」といって、罵り騒いだのだった。

そのうち、向かいの家の檐から狐が覘いているのが見えた。利仁がこれを見つけ、「見てみろ、昨日の狐がやってきたぞ。あれにも芋粥を食わせてやれ。」といったので、狐は芋粥を食うと、いづかたともなく去っていった。

五位は一月ばかり滞在したが、その間楽しいことばかりだった。京へ帰るときには、お土産に多くの物をもらった、また綾・絹・綿などを沢山の皮子につめて贈られた。最初の晩に着て寝た衣直も、無論のこと貰った。また鞍を置いた馬や、牛までもらって、京へと帰っていった。

眞に同じところに長くつとめて同僚から信頼されたものは、このようなことがらにも出会うことが出来る、とそう伝えられている通りだ。


この物語は芥川の有名な短編小説「芋粥」のもとになったものだ。芥川の小説では、芋粥が煮られる場面を中心に、五位の心の動きが克明に語られているが、この物語は、宮仕えの同僚である利仁と五位との交流を、面白おかしく描いている。

五位は人並み以上の官位をもらっているが、貧しくて芋粥もろくろく食うことができぬ。一方利仁の方は、位は低いが金持ちの婿となって羽振りのいい生活をしている。そのコントラストを浮かび上がらせながら、人間の生きざまを面白おかしく描いている。



今は昔、利仁將軍と云ふ人有りけり。若かりける時は、□と申しける。其の時の一の人の御許に、格勤になん候ひける。越前の國に□の有仁と云ひける勢徳の者の聟にてなん有りければ、常に彼の國にぞ住みける。

 而る間、其の主の殿に、正月に大饗行はれけるに、當初は、大饗はてぬれば、取食と云ふ者をば追ひて入れずして、大饗の下しをば、其の殿の侍共なん食ひける。それに、其の殿に年來に成りて所得たる五位の侍有りけり。其の大饗の下し、侍共の食ひける中に、此の五位、其の座にて芋粥をすすりて、舌打をして、「哀れ、いかで芋粥に飽かん」と云ひければ、利仁此れを聞きて、「大夫殿、未だ芋粥に飽かせ給はぬか」と云へば、五位、「未だ飽き侍らず」と答ふ。利仁、「いで飲み飽かせ奉らばや」と云へば、五位、「いかに喜しう侍らん」と云ひて止みぬ。

 其の後、四五目ばかりありて、此の五位は殿の内に曹司住みにて有りければ、利仁來たりて、五位に云はく、「いざさせ給へ、大夫殿。東山の邊に湯涌かして候ふ所に」と。五位、「いと嬉しく侍る事かな。今夜、身の痒がりて、え寢入り侍らざりつるに。但し、乘物こそ侍らね」といへば、利仁、「ここに馬は候ふ」と云へば、五位、「あな嬉し」と云ひて、薄綿の衣二つばかりに、青鈍の指貫の裾破れたるに、同じ色の狩衣の肩少し落ちたるを着て、下の袴も着ず、鼻高なる者の、鼻先は赤みて、穴の辺いたくぬればみたるは、洟をいとも巾はぬなめりと見ゆ。狩衣の後は帯に引きゆがめられたるを、引きもつくろはず、ゆがみながらあれば、可咲しけれども、五位を前に立てて、共に馬に乘りて、川原ざまに打出でて行く。五位の共には、賤しの小童だに無し。利仁が共にも、調度がけ一人、舎人男一人ぞ有りける。

 さて、川原打過ぎて、粟田口に懸かるに、五位、「いづこぞ」ととへば、利仁、「只ここなり」とて、山科も過ぎぬ。五位、「近き所とて、山科も過ぎぬるは」と云へば、利仁、「只あしこばかなり」とて、關山も過ぎて、三井寺に知りたりける僧の許に行き着きぬ。五位、「さはここに湯涌かしたりけるか」とて、そこをだに「物狂はしく遠かりける」と思ふに、房主の僧、「思ひ懸けず」と云ひて、經營す。然れども、湯ありげも無し。五位、「いづら、湯は」と云へば、利仁、「實には敦賀へ將て奉るなり」と云へば、五位、「いと物狂はしかりける人かな。京にて此く宣はましかば、下人なども具すべかりける者を、無下に人も無くて、さる遠道をば、いかで行かんとするぞ。怖し氣に」と云へば、利仁あざわらひて、「己れ一人が侍るは千人と思せ」と云ふぞ理なるや。かくて物など食ひつれば、急ぎ出でぬ。利仁そこにてぞ、胡録取りて負ひける。

 さて行く程に、三津の浜に狐一つ走り出でたり。利仁これを見て、「よき使出で來にたり」と云ひて、狐を押し懸くれば、狐、身を棄てて逃ぐと云へども、只責めに責められて、え逃げ遁れざるを、利仁、馬の腹に落ち下がりて、狐の尻の足を取りて引き上げつ。乘りたる馬、いと賢しと見えねども、いみじき一物にて有りければ、幾ばくも延ばさず。五位、狐を捕へたる所に馳せ着きたれば、利仁、狐を提げて云はく、「汝狐、今夜の内に利仁が敦賀の家に罷りて云はん樣は、『俄かに客人具し奉りて下るなり。明日の巳の時に高島の邊に、男共、迎へに馬二疋に鞍置きて詣で來たるべし』と。若し此れを云はずは、汝狐、只試みよ。狐は變化有る者なれば、必ず今日の内に行き着きて云へ」とて放てば、五位、「荒涼の御使かな」と云へば、利仁、「今御覧ぜよ。罷らではえ有らじ」と云ふに合はせて、狐、實に見返る見返る前に走り行くと見る程に失せぬ。

 さて、其の夜は道に留まりぬ。朝に疾く打出でて行く程に、實に巳の時ばかりに、二三十町ばかり凝りて來る者有り。何にか有らんと見るに、利仁、「昨日の狐の罷り着きて、告げ侍りにけり。男共詣でにたり」と云へば、五位、「不定の事かな」と云ふ程に、只近に近く成りて、はらはらと下るるままに云はく、「これ見よ。實におはしましたりけり」と云へば、利仁頬ゑみて、「何事ぞ」と問へば、大人しき郎等進み來たるに、「馬は有りや」と問へば、「二疋候ふ」とて、食物など調へて持來たれば、其の邊に下り居て食ふ。

 其の時に、ありつる大人しき郎等の云はく、「夜前、希有の事こそ候ひしか」と。利仁、「何事ぞ」と問へば、郎等の云はく、「夜前戌の時ばかりに、御前の俄かに胸を切りて病ませ給ひしかば、いかなる事にかと思ひ候ひし程に、御自ら仰せらるる樣、『己は狐なり。別の事にも候はず。此の晝、三津の浜にて、殿の俄かに京より下らせ給ひけるに會ひ奉りたりつれば、逃げ候ひつれども、え逃げ得で、捕へられ奉りたりつるに、仰せらるる樣、汝、今日の内に我が家に行き着きて、云はむ樣は、客人具し奉りてなん俄かに下るを、明日の巳の時に馬二疋に鞍置きて、男ども高島の邊に參り合へ、と云へ。若し今日の内に行き着きて云はずは、辛き目見せんずるぞ、と仰せられつるなり。男ども速かに出で立ちて參れ。遅く參りては、我れ勘當蒙りなむ』とて、怖ぢ騒がせ給ひつれば、『事にも候はぬ事なり』とて、男どもに召し仰せ候ひつれば、立ちどころに例の樣に成らせ給ひて、其の後、鳥と共に參りつるなり」と。利仁、此れを聞きて頬ゑみて五位に見合はすれば、五位、「奇異し」と思ひたり。物など食ひはてて、急ぎ立ちて行く程に、暗々にぞ、家に行き着きたる。「此れ見よ、實なりけり」とて、家の内騒ぎののしる。

五位、馬より下りて、家の樣を見るに、にぎははしき事、物に似ず。本着たりし衣二つが上に、利仁が宿直物を着たれども、身の内し透きたりければ、いみじく寒氣なるに、長櫃に火多くおこして畳厚く敷きたるに、菓子・食物など儲けたる樣微妙なり。「道の程寒くおはしますらん」とて、練色の衣の綿厚きを三つ引き重ねて打ち覆ひたれば、樂しと云へば愚かなりや。

 食物喰ひなどして靜まりて後、舅の有仁出で來て、「こはいかに、俄かには下らせ給ひて、御使の樣物狂はしき。上俄かに病み給ふ、いと不便の事なり」といへば、利仁打咲みて、「試みむと思ひ給へて、申したりつる事を、實に詣で來たりて、告げ候ひけるにこそ」と云へば、舅も咲みて、「希有の事なり」とて、「そもそも具し奉らせ給ひたなる人とは、此のおはします殿の御事か」と問へば、利仁、「さに候ふ。芋粥に未だ飽かずと仰せらるれば、飽かせ奉らんとて、將て奉りたるなり」と云へば、舅、「安き物にも飽かせ給はざりけるかな」とて戯るれば、五位、「東山に湯涌きたりとて、人を謀り出でて、此く宣ふなり」など云へば、戯れて、夜少し更けぬれば、舅も返り入りぬ。

 五位も寢所と思しき所に入りて寢むとするに、そこに綿四五寸ばかりある直垂あり。本の薄きはむづかしく、亦何の有るにや、痒き所も出で來にたれば、皆脱ぎ棄てて、練色の衣三つが上に此の直垂を引き着て、臥したる心地、未だ習はぬに、汗水にて臥したるに、傍に人の入る氣色有り。「誰そ」と問へば、女音にて、「御足參れ、と候へば、參り候ひつる」と云ふ氣はひにくからねば、掻き寄せて、風の入る所に臥せたり。

 而る間、「物高く云ふ音は何ぞ」と聞けば、男の叫びて云ふ樣、「此の邊の下人承はれ。明旦の卯の時に、切口三寸、長さ五尺の芋、各一筋づつ持て參れ」と云ふなりけり。「あさましくも云ふかな」と聞きて、寢入りぬ。未だ暁に聞けば、庭に莚敷く音す。「何わざするにか有らむ」と聞くに、夜暁けて蔀上げたるに見れば、長莚をぞ四五枚敷きたる。「何の料にか有らむ」と思ふ程に、下衆男の、木の樣なる物を一筋打ち置きて去りぬ。其の後、打続き持て來つつ置くを見れば、實に口三四寸ばかりの芋の、長さ五六尺ばかりなるを持て來たりて置く。巳の時まで置きければ、居たる屋ばかりに置き積みつ。夜前叫びしは、早う其の邊に有る下人の限りに物云ひ聞かする、人呼の岳とて有る塚の上にして云ふなりけり。只、其の声の及ぶ限りの下人共の持ち來たるだに、さばかり多かり。いかに况や、去りたる從者どもの多さ、思ひ遣るべし。「あさまし」と見居たる程に、五斛納の釜ども五つ六つ程掻き持て來て、俄かに杭どもを打ちて、据ゑ渡しつ。「何の料ぞ」と見る程に、白き布の襖と云ふ物を着て、中帯して、若やかにきたなげ無き下衆女どもの、白く新しき桶に水を入れて持て來たりて、此の釜どもに入る。「何ぞの湯涌かすぞ」と見れば、此の水と見るは味煎なりけり。亦、若き男共十餘人ばかり出で來たりて、袂より手を出だして、薄き刀の長やかなるを以て、此の芋を削りつつ撫切に切る。早う芋粥を煮るなりけり。見るに、食ふべき心地せず、返りては疎ましくなりぬ。さらさらと煮返して、「芋粥出で來にたり」と云へば、「參らせよ」とて、大きなる土器して、銀の提の斗納ばかりなる三つ四つばかりに汲み入れて持て來たりたるに、一盛だにえ食はで、「飽きにたり」と云へば、いみじくわらひて集り居て、「客人の御徳に芋粥食ふ」など云ひ嘲り合へり。

而る間、向ひなる屋の檐に、狐のさしのぞき居たるを、利仁見付けて、「御覧ぜよ。昨日の狐の見參するを」とて、「あれに物食はせよ」と云へば、食はするを、打ち食ひて去りにけり。

かくて五位、一月ばかり有るに、萬樂しき事限り無し。さて上りけるに、けおさめの裝束あまた下り調へて渡しけり。亦、綾・絹・綿など、皮子あまたに入れて取らせたりけり。前の衣直などはさらなり。亦よき馬に鞍置きて、牛など加へて取らせければ、皆得まうけて上りにけり。實に、所に付きて年來になりて免されたる者は、かかる事なむおのづから有りけるとなむ、語り傳へたるとや。


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