日本語と日本文化


時平の大臣、國經大納言の妻を取る語(今昔物語集を読む)


今は昔、本院の左大臣と申す人がいらした。その名を時平とおっしゃった。照宣公と申した關白の御子である。本院といふ所にお住みになり、年は僅に三十ばかり、見目麗しく、立ち居振る舞いは優雅であった。それ故延喜の天皇はこの大臣を高く評価なさっていらした。
延喜の天皇が世の中を治められていた頃、この大臣は、型破りの装束を事の外派手に着て参内したことがあった。天皇はそれを御覧じて、機嫌を悪くなされ、すぐに職事を召して仰せになられたには、「近頃は奢侈を厳しく諫めているのに、第一の大臣たるものがその制を破って、自ら派手な格好をするのは許しがたい、すぐ退出するよう大臣に申し伝えよ」

職事がかしこまって綸言を大臣に伝えると、大臣は恐れ入って、急いで退出された。先掃いをさせることもないほどの慌てようだったので、前駈共は大いに怪しんだ。その後一月ばかり門を閉じて謹慎され、人が訪ねてくると、「勅勘が重いので」といって、会うこともしなかった。しばらくして、天皇に召されて参内したのであったが、これはもともと天皇と口裏を合わせた行為だということであった。そうすることで、人々に反省を迫ろうとなされたのである。

この大臣は異常なほど好色であった。ときに大臣の伯父に國經の大納言という人がいらして、その奥方に在原の□の娘という方がおられた。大納言は80歳にもなるのに奥方はまだ二十歳をすぎたばかりの若さ、しかも美しい方であったので、老人に添っているのは残念なことに思われた。

好色な大臣は、伯父の奥方が美人であると聞き是非会いたいと思ったが、なかなかその機会がなかった。ところがその頃、兵衞佐平定文という人がいた。身分はいやしからず、みなから平中と呼ばれていたが、大臣同様好色で、人妻、娘、宮仕を問わず、あらゆる女性を我が物にしていた。

その平中はつねづね大臣の家に出入りしていた。そこで大臣はこの好色な男が大納言の奥方も我が物にしたのかどうか、確かめたいと思った。

ある冬の月夜、平中とよろずがたりをするついでに、大臣は平中に尋ねてみた。「自分のいうことをまともに聞いてほしいが、近頃出会った女の中では誰が一番よかったかの」
「それならばいいますが、藤大納言の奥方こそ最上等の女でした」
「なぜそう思ったのじゃ」
「大納言に仕えているものに知り合いがおりまして、そのものから奥方が年寄りに寄り添ってわびしい思いをしていると聞きましたので、そのことに同情する旨を伝えてもらったところ、奥方から苦しからずとの返事が来ましたので、しのんで会いに行った次第です、しかし打ち解けるようなことはございませんでした」
そこで大臣は「もったいないことをしたな」といって笑ったのであった。

大臣は是が非でもこの女をものにしたいと、思いが重なっていった。そこで大納言は伯父でもあり、ことに触れて訪ねては、大納言をおだてたのであった。大納言のほうでは、地位の高い甥にちやほやされて、まんざらな気持ちでもなかったが、大臣の本心が自分の妻を横取りすることであったのとは気づかなかった。

そのうち正月になった。いままでそんなことはなかったのに、大臣は、今年は三が日のうちに伺いますと大納言に知らせてきた。大臣はこれを聞いて大いに喜び、家を磨き、もてなしの用意をして待っていると、三日になって、上達部・殿上人少々引き具してやってきた。大納言は大いに喜んで、迎えたのであった。

黄昏時だったので、さっそく杯を参らすうちに日も暮れた。大臣は歌など歌いながら遊んでいらしたが、とにかくこの大臣は、姿かたちは無論、歌もうまかったので、誰でもほめないものはいない。大納言の奥方も、そばの簾から近々と大臣をみて、惚れ惚れとしたのであった。

いったいどんな女性がこの大臣に愛されているのだろうか、それに比べれば自分は年とって古くさい男に寄り添っている、それを思うと不幸な身だと思わないではいられない。ところがそんな大臣が、時折自分の方に流し目を送ってくる、これはどういうことなのでしょうと、奥方は恥ずかしくもなるのであった。

そのうち夜も更けて、皆たいそう酔った。酔いにまかせて、腰紐を解いて踊り騒ぐ始末。だがそろそろ帰る時間が来た。大納言は大臣に向かって「たいそうお酔いになられましたな」と呼びかけ、車を用意するように雑色に命じた。すると大臣は、「ちょっと待っていただきたい、いたく酔ってしまったので、しばらくここで休み、酔いが醒めたら帰ることにしましょう。」といった。他の上達部達も「それがよいでしょう」といい、車を橋隠のもとに待機させ、馬二匹と箏を贈り物に用意した。

大臣が大納言に向かっていうには、「酔ったついでに申すが、折角家禮の爲に来たのであるから、もしうれしいと思うのであれば、特別な引き出物を戴きたいものじゃ」

こういわれて大納言は、「自分は伯父として大納言の身であるが、第一の大臣に来てもらったのはうれしいことじゃ、ところで簾の内にいる妻のことが気にかかってしようがなかったが、思えばわしの持ち物のうちでもっとも優れたものといえば、ほかならぬこの女じゃ」と思うのだった。

そこで大納言は、酔いに狂った心のまま、大臣に向かっていった、「この女こそわたしの最もすばらしい持ち物です、これほどの女を妻にしているものは、都中他にはありますまい、この女を引き出物に差し上げましょう。」

そういって簾の中から北の方を引き寄せて大臣にさしあげると、大臣は「これはすばらしい」といって、女を受け取ったので、大納言は立ち退いたのであった。そして、「大臣は久しい間、この女とお楽しみになられるであろう、」といったので、何のことかと興味に駆られてわざわざ見に来るものもあった。

そのうち大臣は、「もうよいから、車を用意せよ」といった。車はすぐに用意され、大勢人が寄って来て、出発の準備をした。大納言が車の簾を持ち上げると、大臣は北の方を抱き上げて車に乗せ、その後に自分も乗り込んだ。それを見ていた大納言は、詮方もなく、ただ「わしのことを忘れるなよ」と北の方にいったのだった。大臣たちが行ってしまった後、大納言は内に入って装束を脱ぎ床に臥した。酔いで目が回り、そのまま寝入ってしまった。

明け方酔いから醒めると、昨夜のことが夢のように思われたので、「もしかしたら空事」かと思って、そばにいた女房に確かめると、やはり現実に起きた出来事なのであった。

「大臣が来たことがうれしくて、我ながら狂っていたとしか思えない、それにしても大臣もひどい人だ、こんなことをするなんて」こう大納言は思うのだったが、もはや後の祭りだった。いまさらながら北の方が恋しくなったが、なんともいたし方がない。

大納言はこのことを、自分が自発的に行ったことのようにみせかけた。だが、その実、妬ましく、悔しく、恋しくて、しょうがないのであった。


今昔物語集本朝世俗部は巻二十二から始まる。この巻は大織冠こと藤原鎌足から始まる藤原氏の歴史を物語っている。これに先立つ巻二十一が、もともと天皇家の歴史を書こうとして断念されたらしいことを考え合わせると、日本の世俗の歴史の嚆矢をなす者として、やはり藤原氏が最も相応しいと、この物語集の作者は思ったのであろう。

今昔物語集が書かれたのは平安末期、藤原氏の威光はまだ衰えてはいなかった。そんな中で、藤原氏の歴代の人物を描きながら、そこに時代の移り変わりを見ようとしたのが、本朝世俗部の発端となるこの巻だ。

鎌足から始めて時平に至るまでの藤原氏の氏の長者といわれる人々を物語っている。いずれも伝説上の人々だ。そんななかで最後に描かれた時平は、延喜の世、醍醐天皇時代の宰相であるが、日本史の中では、悪役として有名な人物だ。

というのも、あの菅原道真を迫害して大宰府に流したりなど、悪逆の限りを尽くしたということにされているからだ、その悪業がたたって道真の怨霊に取りつかれ、自分自身がひどい目にあったばかりか、その害が都におよび、無垢の民にまで迷惑をかけたということになっている。

亡霊の恨み、つまり怨霊が疫病の源だとする日本古来の信仰には、時平の悪事が大いにかかわっている。彼は、日本の歴史の上で、もとも早い時期に現れた本格的な悪人なのだ

そんな時平であるから、民衆の受けも悪く、噂話にはろくなものがない。中でも、時平は部類のスケベ人間で、すこしでも色気のある女を見るや、友人の妻であろうが、だれそれの恋人であろうが、ことごとく自分のものにせずにはやまないという話が流布していたらしい。

今昔物語集の中にある、この逸話も、美しい女とあれば、たとえ叔父の思い人であろうと、手に入れずにはおかなかったという、時平のスケベぶりを強調した話である。


今は昔、本院の左大臣と申す人御しけり。御名をば時平とぞ申しける。照宣公と申しける關白の御子なり。本院と云ふ所になむ住み給ひける。年は僅に三十許にして、形美麗に、有樣微妙き事限無し。然れば延喜の天皇、此の大臣を極じき者にぞ思食したりける。

而る間、天皇世間を拈め御しましける時に、此の大臣内に參り給ひたりけるに、制を破りたる裝束を事の外に微妙くして參り給ひたりけるを、天皇小櫛より御覧じて、御氣色糸惡しく成らせ給ひて、忽ちに職事を召して仰せ給ひける樣、「近來世間に過差の制密しき比、左の大臣の一の大臣と云ふながら、美麗の裝束事の外にて參りたる、便無き事なり。速かに罷出づべき由、慥かに仰せよ」と仰せ給ひければ、綸言を奉はる職事は極めて恐り思ひけれども、篩ふ篩ふ、「然々の仰候ふ」と大臣に申しければ、大臣極めて驚き畏まりて、急ぎ出で給ひにけり。随身・雜色など御前に參りければ、制して前も追はしめ給はでぞ出で給ひける。前駈共も此の事を知らずして恠しび思ひけり。其の後一月許本院の御門を閉ぢて、簾の外にも出で給はずして、人參りければ、「勅勘の重ければ」とてぞ會ひ給はざりける。後に程經て、召されてぞ參り給ひける。此れは早う天皇と吉く□合はせて、他人を吉く誡めむが爲に構へさせ給へる事なりけり。

此の大臣は、色めき給へるなむ少し片輪に見え給ひける。其の時に、此の大臣の御伯父にて、國經の大納言と云ふ人有りけり。其の大納言の御妻に在原の□と云ふ人の娘有りけり。大納言は年八十に及びて、北の方は僅に二十に餘る程にて、形端正にして色めきたる人にてなむ有りければ、老いたる人に具したるを頗る心行かぬ事にぞ思ひたりける。甥の大臣色めきたる人にて、伯父の大納言の北の方美麗なる由を聞き給ひて、見ま欲しき心御しけれども、力及ばで過ぐし給ひけるに、其の比の□者にて、兵衞佐平定文と云ふ人有りけり。御子の孫にて賤しからぬ人なり。字をば平中とぞ云ひける。其の比の色好にて、人の妻・娘・宮仕人、見ぬは少くなむ有りける。

其の平中、此の大臣の御許に常に參りければ、大臣、「若し此の伯父の大納言の妻をば、此の人や見たらむ」と思ひ給ひて、冬の月の明かりける夜、平中參りたりけるに、大臣萬の物語などし給ひける程に、夜も深更けにけり。可咲しき事共語りける次に、大臣平中に宣はく、「我れが申さむ事實に思はれば、努隠さずして宣へ。近來女の微妙きは誰れか有る」と。平中が云はく、「御前にて申すは傍痛き事には候へども、『我れを實に思はば隠さず』と仰せらるれば申し候ふなり。藤大納言の北の方こそ、實に世に似ず微妙き女は御すれ」と。大臣の宣はく、「其れは何で見られしぞ」。平中が云はく、「其こに候ひし人を知りて候ひしが、申し候ひしなり。『年老いたる人に副ひたるを極じく侘しき事になむ思ひたる』と聞き候ひしかば、破無く構へて云はせて候ひしに、『 からず』となむ思ひたる由を聞き候ひて、意はず忍びて見て候ひしなり。打解けて見る事も候はざりき」と。大臣、「糸惡しき態をも爲られけるかな」とぞなむ、咲ひ給ひける。

然て、心の内に「何で此の人を見む」と思ふ心深く成りにければ、其れより後は此の大納言を、伯父におはすれば、事に觸れて畏まり給ひければ、大納言は有難く忝き事になむ思ひ給ひける。妻取り給はむと爲るをば知らずして、大臣、心の内には可咲しくなむ思ひ給ひける。

此くて正月に成りぬ。前々は然らぬに、大臣、「三日の間に一日參らむ」と大納言の許に云ひ遣り給ひければ、大納言此れを聞きてより家を造りみがき、いみじき御儲をなむ營みけるに、正月の三日に成りて、大臣然るべき上達部・殿上人少々引き具して、大納言の家におはしぬ。大納言物に當りて喜び給ふ事限りなし。御主など儲けたる程、げにことはりと見ゆ。

申の時打下る程に渡り給へれば、御坏など度々參る程に、日も暮れぬ。歌詠ひ遊び給ふに、おもしろくめでたし。其の中にも左の大臣の御形より始め、歌詠ひ給へる有樣世に似ずめでたければ、萬の人目を付けて讃め奉るに、此の大納言の北の方は、大臣の居給へるそばの簾より近くて見るに、大臣の御形・音・氣はひ、薫の香より始めて世に似ずめでたきを見るに、我が身の宿世心疎く思え、「何なる人此かる人に副ひて有るらむ。我れは年老いて旧くさき人に副ひたるが事に觸れて六づかしく」思ゆるに、いよいよ此の大臣を見奉るに、心置所なく侘しく思え、大臣詠ひ遊び給ひても、常に此の簾の方を尻目に見遣り給ふ眼見などの、恥かし氣なる事言はむ方なし。簾の内さへわり無し。大臣のほほゑみて見遣せ給ふも、何に思ひ給ふにか有らむと恥かし。

而る間、夜も漸くふけて皆人痛く酔ひにたり。然れば、皆紐解き袒ぎて、舞ひ戯るる事限り無し。此くて既に返り給ひなむとするに、大納言、大臣に申し給はく、「痛く酔はせ給ひにためり。御車を此こに差し寄せて奉れ」と。大臣宣はく、「糸便無き事なり。何でか然る事は候はむ。痛く酔ひなむ、此の殿に候ひて、酔醒めてこそは罷り出でめ」など有るに、他の上達部達も、「極めて吉き事なり」とて、御車を橋隠の本に只寄せに寄する程に、曳出物にいみじ馬二疋を引きたり。御送物に箏など取り出でたり。

大臣、大納言に宣ふ樣、「此かる酔の次に申す、便無き事なれども、家禮の爲に此く參りたるに、げに喜しと思しめさば、心殊ならむ曳出物を給へ」と。大納言極めて酔ひたる内にも、「我れは伯父なれども大納言の身なるに、一の大臣の來給ひつる事をいみじく喜しく」思ひけるに、此く宣へば、我が身置所無くて、大臣の尻目に懸けて簾の内を常に見遣り給ふを煩はしと思ひて、「此かる者持たりけりと見せ奉らむ」と思ひて、酔ひ狂ひたる心に、「我れは此の副ひたる人をこそはいみじとは思へ。いみじき大臣におはしますとも、此くばかりの者をば、否や持ち給はざらむ。翁の許には此かる者こそ候へ。此れを曳出物に奉る」と云ひて、屏風を押し畳みて、簾より手を指し入れて、北の方の袖を取りて引き寄せて、「此こに候ふ」と云ひければ、大臣、「實に參りたる甲斐有りて、今こそ喜しく候へ」と宣ひて、大臣寄りて引かへて居給ひぬれば、大納言は立ちのきぬ。「他の上達部・殿上人は今は出で給ひね。大臣は世も久しく出で給はじ」と手掻けば、各目を食はせて、或いは出でぬ、或いは立ち隠れて、「何なる事か有る」とて、「見む」とて有る人も有り。

大臣は、「痛く酔ひたり。今は然は車寄せよ。術なし」と宣ひて、車は庭に引き入れたれば、人多く寄りて指し寄せつ。大納言寄りて車の簾持上げつ。大臣此の北の方を掻抱きて車に打入れて、次きて乘り給ひぬ。其の時に大納言術なくて、「耶々嫗共、我れをな忘れそ」とぞ云ひける。大臣は車遣り出ださせて返り給ひぬ。大納言は内に入りて、裝束解きて臥しぬ。いみじく酔ひにければ、目轉き心地惡しくて、物も思えで寢入りにけり。

暁方に酔醒めて、夢の樣に此の事共思えければ、「若し虚言にや有らむ」と思えて、傍なる女房に、「北の方は」と問へば、女房共有りし事共を語るを聞くに、極めて奇異し。「喜しとは思ひながら、物に狂ひけるにこそ有りけれ。酔心とは言ひながら、此かる態爲る人や有りける」、鳴呼にも有り、亦堪へ難くも思ゆ。取り返すべき樣もなければ、女の幸の爲るなりけりと思ふにも、亦我れ老いたりと思ひたりし氣色の見えしも妬く、悔しく、悲しく、戀しく、人目には我が心としたる事の樣に思はせて、心の内にはわり無く戀しくなむ思ひける。


    

  
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