日本語と日本文化


南方熊楠の男色談義


南方熊楠は何人かの文通相手をもっていて、それぞれ特定のテーマを巡り手紙で議論のやり取りをしていた。熊楠の残した学問的業績の少なからぬ部分は、こうした文通の中で展開されたものである。

熊楠は同性愛について非常な関心を抱いていたが、このテーマに関する文通相手となったのが岩田準一である。熊楠は昭和6年頃に、雑誌「犯罪科学」の中に連載されていた岩田の「本朝男色考」を読んで、岩田に直接手紙を書き、同性愛について文通を開始したのだった。

同性愛についての熊楠の関心は多岐にわたっている。熊楠はそれを単なる肛門性交の趣味に矮小化せず、精神的な意義についても深い考察を加えている。同性愛は、肉体と精神が混然と溶け合った、すぐれて人間的な行為だと考えたのである。決して倒錯的な行為ではないと。

ここでは、岩田との間で交わしたやりとりのうち、肉体的な行為としての男色について熊楠が展開した談義を紹介したい。

男色関係における受け身の立場の者を「かげま」とか「かげろう」とよぶことがあるが、これらの言葉がどういう因縁でできたかについて、岩田が或る手紙中で熊楠に尋ねた。熊楠はこれに答えて、男色を業とする者の話や、男色の仕方、また衛生上留意すべき点などについて、実に丁寧な説明をしている。それを読んでいると、つい口元がほころびる程面白いのである。

まず「かげま」ということばであるが、これは「陰間野郎」という言葉がもとで、そこから派生した言葉であろうと熊楠は推論する。「かげろう」も「陰間野郎」の短縮した形に違いない。そこでこの「陰間野郎」であるが、これは高野山の坊主仲間から生まれた言葉である。高野山では弘法大師の昔から男色が盛んであったが、その男色を行う空間を「陰間」といい、そこで目上の坊主に尻を差し出す者が「陰間野郎」と呼ばれた、というのである。(関東では「おかま」と言う言葉があるが、これも「かげま」から転化した形かもしれない)

「陰間」とは厠に隣接して設けられた小さな控えの部屋で、そこで男色行為が行われた。男色が終わると、掘られた方は厠で尻の穴の手当てをしなければならない。そのまま放っておくと必ず痔になる

ここから転じて、安全快適に男色する極意が紹介される。まず潤滑剤としての「ねりぎ」がとりあげられる。黄蜀葵(とろろ)といって葵の類の草だが、その根っこを水でもむと粘り気が出る。そのねばりを澱粉と混ぜて乾かしたものを、唾液で戻せば甚だしくねばる、それを肛門に塗れば痛みを伴わずに男色ができるというわけである。ねりぎのかわりに「のりうつぎ」という草を用いても良し。それらがない場合には「ふのり」で代用するのもよかろう。

また腐食鈍感剤とか起痒剤とかいうものを用いることもある。腐食鈍感剤とは硫酸銅を紙線にひねり込めて肛門に入れ、直腸裏膜の感覚を鈍感にするもの。起痒剤とは山椒の粉などを肛門に塗り込めて痒みを起こさせるものである。こうすることで男色の感覚が数段優れたものになる。これらを合わせて棒薬というのは、紙を棒のようにして、それに薬を塗って肛門に入れることからきている。

いよいよ陰間における床入りの場面がなまなましく描かれる。「さて床入り前には雪隠に行き、穴につわをぬり内までよくぬらし、さて出でて手を洗い、きる物をふるいて雪隠の移り香せぬようにし、口中をうがいし、懐中の海羅丸を取り出しよくかみしたし、念者に見せぬように肛門にも兄分の一物にも塗るべし。さて床の内にて向かい合いて臥し、兄分の顔を捉えて口を吸い、その後帯解きて後向きになりたる時、右の丸薬をもちいるなり」となかなか艶めかしい説明が続くのである。

さて、「陰間」という言葉は西鶴も使っている。「西鶴二代男」に「人は蔭の間をたしなむべきなり」といって、この場合は、人が多く立ち入らぬ陰室という意味合いで使っている。その西鶴には「男色大鏡」など男色をテーマにした著作が多いが、この男のいうことには出鱈目も多いと熊楠は批判している。たとえば、「男色大鏡」の始めの所に、「大門の中将と業平とちぎりしこと」といって、大門の中将と言う実在の人物がいたかのようにいっているが、大門というのは文殊尻のことで、決して実在の人物の名前などではない。

薩摩には「弘法大師一巻之書」というものが伝わっておるが、それは日本衆道開山弘法大師より伝授したもので、男色の極意についてこまごまと記されている。それを筆写して進ぜようと熊楠は或る手紙の最後で書いて、それを筆写するのであるが、その中で、よき稚児の見分け方というものが紹介されているのが面白い。

一、 子の口細きが宜しく候、口広きはことのほか大尻にて御座候こと伝あり
一、 色の少し赤きが宜しく、血なき尻は糞出で申し候
一、 出糞尻とかねて知りたらば、いかにも静かに腰を遣い、急に押しこむべからず、

いやはや、とんだ説教談義を聞かされたものである。




  
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