日本語と日本文化


婦女を姣童に代用せしこと:南方熊楠の鶏姦談義


アナルセックスつまり肛門性交のことを鶏姦というが、それは背後から交合する姿が鶏の交尾を連想させるからであろう。だがあえて鶏姦と言う場合にはもうひとつニュアンスが加わるようである。男同士の肛門性交にはこの言葉はあまり使われず、男女間の肛門性交に使われる場合が多いようなのである。南方熊楠はそのことに注目して、男女間の肛門性交について深い分析を加えた。それが「婦女(おんな)を姣童(わかしゅ)に代用せしこと」と題した小文である。

女にはそれ専用の穴があるのに、何故別の穴を用いるのか。南方熊楠はまず、この疑問から出発する。そして、フランスなど西洋諸国で鶏姦が盛んなのは、男色を好む男が、適当な相手を得ることが出来ず、女を男のかわりにするからだ、という事情をあげて、それならば日本にもその例はあると続ける。

上杉景勝は男色家で女を近づけなかった。それでは後継ぎが生まれないと憂慮した家臣の直江兼続が、京都で16歳の美妓を買い、これを小姓に作り替えて景勝に薦めた。喜んだ景勝はこれと同衾して、一子を設けさせた。しかしその女なるを知ると、以後遠ざけてこれを避けた。女は定勝を生んだ後、世をはかなんで自殺した、という話である。

これは女を男に代用した例である、と熊楠はいう。この例では、景勝は女の本来の穴を用いたようであるが、それは景勝がうかつだったからであろう。女を男の代用にした話は沢山あるが、そのほとんどは、男が女の後門を攻めている、つまり鶏姦をしているのである。

戦国大名が小姓を男色相手にした例はたくさんある。信長も森蘭丸を男色相手としてどんなところへも連れ歩いた。ところが大名の中には不心得なものもあって、女に男装をさせて小姓にしたてたものもあった。女を戦場に連れ歩くのは兵士の士気にかかわる故、男装させて小姓に見せかけ、その実、鶏姦ならぬ本物のセックスを楽しんだのである。

ところが徳川時代に入り世の中が平和になると、小姓の需要は減った代わりに、郭のなかに若衆女郎というものが現れ、流行るようになった。これは女が奴風に男装したもので、「西鶴一代女」にも出てくるが、衆道好きをおびき寄せるための方便だったらしい。

寺の中では古来僧侶同士の同性愛が延々となされてきたが、たまには、女子の頭を丸めさせ、若い僧に見立てて女人禁制の空間に置くことも行われたらしい。

中国には男が子どもを産んだ話があるそうだが、これなどは、実際には男装した女が子どもを産んだのを、間違えて男が子を産んだと受け取られたのであろう。

この小論の「付言」のなかで熊楠は巴御前に言及している。巴御前は男装して義仲に従っていたことが知られているが、これも小姓の形をかりて女を戦場に連れ歩いた例のひとつである。




  
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