日本語と日本文化


巨樹の翁の話:南方熊楠の世界


南方熊楠の小論「巨樹の翁の話」は、巨樹にまつわる伝説や不思議譚を世界中から集めて比較したものである。まずは熊楠の地元紀州に伝わる伝説の一つとして、次のような話が紹介される。谷の奥に齢数千年の巨大な欅があって、これをやむを得ず伐ることになったが、九人かかって切っても一日では切りきれぬ。そこで翌日行ってみると、木の切口が塞がって、木はもとのようになっている。不思議だと思って夜中に様子をうかがっていると、坊主がやってきて木の切屑をもとに戻して木を継ぎ合わせているのがみえた。そこで、木を切ったあとに切屑を焼き払ったところ、さすがの坊主も致し方が無く、木はついに倒された、という話である。

熊楠は同じような話は日本各地のみならず世界中にある、と話を発展させていく。中国には、樹木の霊がその木を伐り終わるべき名案を人に漏れ聞かれて自滅するという話があるし、南太平洋のトンガ島には、木の根っこを切っても切っても継ぎ合わさってなかなか切れなかったところ、樹精ヴォテレの秘密を知ったものが、その弱点を突いたところ木が倒れたという話がある。こうした話に共通しているのは、樹木の聖霊が苦痛の余り血を流したり、また切ったものに復讐するという点だ。先の紀州の伝説でも、結局切ることができた者どもは、坊主によって殺されている。樹木はそう簡単には切られないし、切ったものには相応の祟りがあるということをいいたいのであろう。

以上は巨樹の霊力にかかわる伝説と言えるが、そのほかに木の巨大さそのものを強調する伝説もある。日本では今昔物語集の最末尾にそのような話が載っている。「近江国栗太郡に大なる柞の樹生ひたりけり、その囲五百尋なり、さればその木の高さ枝を差したるほどを思ひやるべし。その影朝には丹波国に差し、夕には伊勢国に差す云々」このため百姓が耕作ができぬと言って天皇に訴えたところ、天皇この木を切り倒し、その結果田畑は豊穣になったというもので、同じような伝説は他にも多く散見するところだ。

フィンランドにも、巨大な槲の木が天地を覆って光を遮っていたために、一寸法師が海中から現れ知恵を尽くしてこの木を切り倒したところ、農作ができるようになったと言い伝えている。また古代のカルデア人は、宇宙に大樹あって天を頂とし地を足とすと信じ、インドのカーシア人は、人が死ぬと大樹をよじ登って昇天すると信じている、という。

大樹伝説もこうなると、伝説と言うより信仰と言うのに近いと熊楠は言う。古代には今では信じられないくらい巨大な樹木が多く存在し、古代人はそうした樹木と向かい合って暮らしていた。その当時の思い出のようなものが、巨樹に対する信仰心として上述のような伝説を生み出したのではないかというわけである。

樹木信仰は樹木を聖なるものとみなす心性をもたらす。その良い例が仏説に現れる聖なる樹木である。「諸仏皆大樹下に成道説法する。勾留孫仏は屍利沙樹、倶那含牟尼仏は烏暫婆羅門樹、迦葉仏は尼倶律樹、釈迦牟尼仏は菩提樹、弥勒仏は龍華樹だ」というわけである。

これらの仏は皆、大樹の陰日熱雨露を避け安座黙然して悟りを開いたのであったが、大木と言うものは古代にあっては、木材や薪炭の用途はもとよりその陰までも人間にとって必要な役割を果たしていた。されば木材を伐ることには相当の罪悪感が働いたものとみえ、それが大樹を巡る様々な伝説となったのであろう。故に大樹の伝説は、地球上至る所にあって不思議ではない、そう熊楠は考えるわけである。

「おいおい人間も増え、生活上の必要から家を建て、田畑を開くに大木が必要となり、または邪魔になるよりこれを伐らねばならぬ場合に及んで、旧想を守る者は樹神が祟りをなすを畏るるところから、巨樹の翁の譚などができたのだ」

大樹はこの世に存在したり、この世とあの世とを結んでいたりするばかりでなく、あの世にも生えているとも夢想されていた。観無量寿仏経には阿弥陀浄土の記述があるが、そこには高さ八千由旬の大木が林立し、おのおのが七宝花葉具せざるなしという。ここにやって来れた幸いな人々はまず、これを観じて七重行樹の思いをなすのだという。

過去の地質世紀はある意味で地上の天国と言えるかもしれないが、そこにも種々巨大な樹木があったことは化石からわかるというらしい。今の地質世紀に入ってからはそのように巨大な樹木は育たなくなり、それに加えて人間が樹木を切り倒すから、大木の存在する余地が狭まってきた。そういって熊楠は、むやみやたらと大木を伐りたがる当時の風潮に厳しい批判の目を向けているわけなのである。

この論が熊楠の神社合祀反対の思想とつながっていることは容易に見て取れるだろう。




  
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