日本語と日本文化


抱擁家族:小島信夫の逆説的世界


小島信夫の小説に出てくる人物たちは、適度にスムーズな人間関係を築くのが苦手で、反発しあったり、すれ違ったりしながら、不器用に生きているのだが、その不器用さの中にも、それなりに人間性を感じさせるものがある。彼の前期の代表作とされる「抱擁家族」は、そんな不器用な人たちからなる家族を描いた作品である。家族といえば、もっとも親密な人間関係の場であるにかかわらず、この作品に出てくる人々は、なにか互いにしっくりいかないものを感じている。家族とはそれぞれに抱擁しあうことのできる人間関係のはずなのに、この小説の中に出てくる家族は、素直に抱擁しあえない。題名の「抱擁家族」とはだから、ひとつの大きな逆説なのである。

この小説は、夫婦と二人の子どもからなる四人家族を描いており、妻の死を境にして、前後ふたつの部分に大きくわけることができる。前半は夫と妻の夫婦関係が中心となり、後半は父と子どもたちの父子関係が中心となる。どちらの関係も、すれ違いと反発の繰り返しなのである。しかもこの人たちは、すれ違いと反発というマイナーな関係を、自分たちだけで受け止めることが出来ない。第三者が間に入らないと、彼らは互いにコミュニケーションできないのである。そこにこの家族の不幸の根源がある。

前半で媒介役を務める第三者はアメリカ人の青年である。この青年との間で、妻が性的な関係を結んでいるということを、夫は家政婦の女(みちよ)から聞かされる。夫は自分が馬鹿にされているように感じるが、かといって嫉妬に苦しむわけでもない。妻の方でも、自分がしている事の意味を十分に理解しているとも思えない。第一、彼らの不倫が本当に起こったことなのかどうか、よく考えると、それもあやふやなのだ。アメリカ人の青年はまだ20代前半の若者で、若さがみなぎっているのに対して、妻はもう50を過ぎた初老の女だ。そんな老いた女と、若い、しかもアメリカ人の青年と、果してまともな男女の関係が成立するのか。考えれば考える程あやふやになる。夫も妻も、自分の置かれている状況が、よくわかっていないのだ。

その辺のところは、短編小説「馬」を思い起こさせる。「馬」の中では、夫は妻が馬と不倫をしているのではないかとの妄想に駆られる。人間の女が馬と不倫をするはずはないから、この妄想は誰の目にも見抜きやすい。しかし、日本人の初老の女がアメリカ人の若い男と不倫を犯すというのは、ありえないことではない。そこでこの妄想は、もしも本当の妄想だとしても、はた目にはこんがらがって見える。

この小説の中では、妻は気晴らしに新しい家を建てて引っ越したいと言い出す。その辺も「馬」を思い出させる。「馬」の中では、小説の始まった時点で新しい家の普請が行なわれているのに、この小説では進行の途中で家を建てようとする話の持ち上がるところが違う。ともあれ、家づくりはこの小説を彩る重要なサブプロットになっている。そしてその家の完成する頃に、妻には乳がんが見つかって、その治療の甲斐もなく、死んでしまうというわけなのである。その、死の直前に妻が言った言葉が夫には引っかかる。彼女が愛したジョージ(アメリカ人の名前)とは、実はあなただったというのである。

妻の言った言葉の意味はいったいどういうことか。それがわかれば、この小説がわかったことになるのかもしれない。

後半は、一家の主婦に先立たれて取り残された父子の物語である。前半では、妻と夫の間にジョージという第三者が介在したのとパラレルに、後半では、父親と子どもたちとの間に様々な人間が入り込んでくる。父親が呼び寄せた学者仲間とか、息子が呼び込んだ友達とかである。父子はこうした第三者に媒介されずには、まともに向き合うことが出来ないといった風情なのだ。

後半におけるもっとも重要なサブプロットは父親が再婚相手を求める話である。父親の再婚には、娘のほうは賛成ではない。息子の方は、単なる主婦としての位置づけなら許せるという。一家の主婦がいないことで、子どもたちに余計な負担が生じているのが、この息子には我慢ならないのだ。だから主婦はいてほしいのだが、それは自分たちの新しい母親としてではない。あくまでも主婦だから、いわば家政婦の延長のような位置づけだ。

そこここで出会った色々な女に色目を使ったあげく、父親は37歳の未婚の女と見合いをすることになる。最初の見合いには娘も伴う。しかし相手の女はなかなかいい返事をしない。小姑の存在が鬱陶しいのと、男の態度にも不安があるといった様子なのだ。そのうち、父親はどうでもよくなって、なんでもよいからとにかく自分の妻になれと命令するような言い方をする。この男には、相手に対する目配りなど、さらさら心にないのだ。

こんな訳で、男はなかなか再婚できないでいる。そのうち、以前このうちの家政婦をしていて、いまは手伝いのために来てくれているみちよという女が、真夜中にパジャマ姿で男のベッドにやって来る。その気配に気づいた男は、自分の部屋に帰ってくれといって追い返すのだが、その一方で、この女を自分のベッドにいれた方がよかったかとも思い直す。

子どもたちとの関係はいよいようまくいかず、まず息子が去って行き、次いで娘も家出をする。そこでこの小説は終わっているのだが、これは、この家族がついに抱擁しあえないで、ばらばらに空中分解してしまったことを暗示しているのだろう。

とにかく、救いに乏しい話だといわねばならない。ところがこの救いのない話を村上春樹は気に入ったようで、七~八回も読んだという。筋の面白さとともに、文章の運び方も気に入ったようだ。


    

  
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