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母を恋ふる記:谷崎潤一郎の母親像


谷崎潤一郎の母関は美しかったらしい。浮世絵にもなったというから、相当の美人だったに違いない。関には姉妹が二人あって、彼女らもまた浮世絵になるほど美しかったらしいが、潤一郎の母関は群を抜いて美しかった。少なくとも息子の潤一郎はそう思い込んでいたようである。

そんな母親の美しい姿を、夢のように歌い上げたのが、短編小説「母を恋ふる記」だ。この小説の中の、潤一郎と思われる小さな男の子は、母親を恋い求めて歩き続ける。そうしてその男の子の前に現れた女は、雪のように白い肌をもった美しい女であった、いや美しくあらねばならなかった。なぜなら男の子である潤一郎は、夢の中で美しい母親を恋い求めていたからだ。

この小説を谷崎が書く二年ほど前に、母親の関が死んだ。母親が生きていた頃、谷崎は「神童」や「異端者の悲しみ」といった自伝風の作品の中で、自分の母親像に触れないわけではなかった。そこで谷崎が書いた母親像は、生活力のない、気の弱い女であった。息子にとっては、心やさしい母親として描かれてはいたが、しかし、美しい女としては描かれていなかった。

谷崎はこの作品の中で、自分の母親を、心優しいばかりか、美しい女として描いた。そうすることで、母親に対して抱いていた自分の気持ちに、ひとつの区切りとしての形を与えたかったのかもしれない。それは男の子なら誰もが抱く母親像の典型と言えないでもないが、それにとどまらない余剰のようなものもある。その余剰の部分が谷崎だけの母親体験に根差したものであることは、間違いないところだろう。

この小説は、夢物語という体裁をとっているが、最初からそのことが明示されているわけではない。というのもこの小説は、主人公の男の子による一人称の語りという体裁をとっているからだ。語りと言うのも当らないかもしれない。語りは語りかけられる相手を予想しているが、この小説の中の少年は別に誰かに対して語りかけているわけではない。ただ自分に向かって呟いているに過ぎないのだ。

少年は自分の目に映る眺めを、自分に向かって確認するようにつぶやくのである。少年は松並木の間の細い道をどこまでも歩いていく。左手には海があり、右手には沼があるようだ。少年は左手から海の音を聞き、右手には沼に映った月影を見ながら、どこまでも前へと歩いていく。少年は母親の姿を追い求めているのだ。

やがて家灯りが見え、その家の中で一人の女が台所仕事をしているのが見える。少年はその女が自分の母親に違いないと早とちりする。しかし女は少年の母親などではなかった。少年はその女に空腹を訴えるが、女は邪険にも少年を追い払う。

少年はなおも、その細い道を歩き続ける。すると月明かりの中に一人の女が浮かび上がる。女は三味線を弾きながら新内節を歌う。肌は月明かりを受けて雪のように白く、三味線の立てる響きが「天ぷら食いたい、天ぷら食いたい」と聞こえる。無意識ながら少年の空腹がそうさせるのかもしれない。

少年はこの女が自分の母親だとは、最初のうちはわからない。だから小母さんと呼びかける。その小母さんが目に涙を浮かべて泣いているように見える。するとその女は「これは月の涙だよ。お月様が泣いていて、その涙が私の頬の上に落ちるのだよ」といって、自分が泣いているということを認めようとしない。

しかし、その女が泣いていることは間違いないことなのだった。少年がそのことを問い詰めると、女も自分が泣いていることを認め、「お前は何が悲しいとお云いなのかい? こんな月夜に斯うして外を歩いて居れば、誰でも悲しくなるじゃないか。お前だって心の中ではきっと悲しいに違いない」と少年にいう。

こう言われた少年は、自分も悲しいと言って、女とともに泣く。すると女は、「おお、よく泣いておくれだねえ。お前が泣いておくれだと、私は一層悲しくなる。悲しくって悲しくってたまらなくなる。だけど私は悲しいのが好きなのだから、いっそ泣けるだけ泣かしておくれよ」といって泣き続けるのである。

少年はその女が自分の母親であることがなかなかわからない。かえって、自分の姉さんのように思えるなどと、甘えごとをいう。それに対して女は初めて、自分がお前の母親なんだと明らかにする。

「ああ、お母さん、お母さんでしたか。私は先からお母さんを探していたんです」
「おお、潤一や、やっとお母さんがわかったかい。わかってくれたかい」
母は喜びに震える声でこう云った。そうして私をしっかりと抱きしめたまま立ちすくんだ。私も一生懸命に抱きついて離れなかった。母の懐には甘い乳房の匂が暖かく籠っていた」

最後に谷崎は、これが自分の見た夢であったことを読者に打ち明け、次のように言うのだ。

「私はふと目を覚ました。夢の中で本当に泣いていたものと見えて、私の枕には涙が湿っていた。自分は今年34歳になる。そうして母は一昨年の夏以来此の世の人ではなくなっている。~この考えが浮かんだ時、更に新しい涙がぽたりと枕の上に落ちた」

母親との関係を、それも思慕に満ちたあり方を小説の中で取り上げる作家はあまりいない。谷崎のこの作品は、そうした点で二重に珍しい。一つは、母親を永遠の女性として理想化するという点、もうひとつは、そんな母親に執着する自分をあからさまに描いている点、この二つである。



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