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夏目漱石「道草」を読む


夏目漱石の小説「道草」は、漱石の自伝的色彩の強い小説だという評が定着している。それにしても暗い、というのが読者一般の印象ではなかろうか。漱石自身の半生が暗かったからこんな暗い話になったのか、それとも意識的にこんな暗い話を書こうとしたのであって、自分自身の自伝的要素はそれに色を添えたに過ぎないのか、どちらにしても暗い話である。

漱石の半生は、たしかに余り明るいとは言えない。生まれてすぐに里子に出されたりして、親から愛されたという形跡はないようだし、一歳の時に養子に出された先とは、不幸な関係に陥った。養父母が離婚した後、漱石は養母とともに実家に戻ったが、その後養子縁組を正式に解消しないままに、成人になった。成人になった後も、養父母との腐れ縁は続いていたようで、漱石は養父に金を無心され続けたという。道草に描かれた世界は、そんな自分と養父母との不幸な関係を、そのまま描き出したと思われるのである。

漱石の化身と思しき小説の主人公健三は、世の中と角を突き合わせるようにして生きている。彼は自分の妻子とさえ尋常な関係を結べない。小説の中で、三女が生まれるシーンが出て来るが、健三はその我が子に対しても、父親らしい感情を持つことがない。妻との間では年がら年中感情の齟齬が生じている。その原因を健三は自分自身に求めることをせず、ただひたすら妻の強情のせいにしている。ひとりよがりで、自分勝手な性分なのだ。

そんな性分になってしまったわけは、彼が生まれ育ってきた過去にある、というのが、この小説のテーマのように見える。その過去は、健三にとっては両義的な感情に満ちたものであった。健三を養子として引き取った男女は、将来養子に面倒を見てもらうという打算があった一方、彼らなりの仕方で健三を愛しもした。産みの親から愛されたことのない健三にとってみれば、彼らの愛が親の愛そのものであったわけだ。だが、その愛にはねじくれたところがあった。だから、額面通りに受け取るわけにはいかないが、かといって、全面的に否定できるわけのものでもない。それを全面的に否定するというのは、自分の存在そのものを否定することに他ならないわけだから。

だから、健三が成人した後で、まず養父だった男が、ついで養母だった女が金の無心にやってくる、そうした事態に直面して、健三は両義的な感情に苛まれるのだ。理屈や形式の上では、健三にはもはや養父母だった男女を養わねばならない理由はない。だが健三の感情が、彼らを放り出すことを許さない。なんとかかんとか工夫をつけて、彼らに金を与え続けるのだ。

この小説には、養父母だった男女の外にも健三に金をせびる人々が出てくる。まず、姉だ。この姉は夫からろくすっぽ金を貰っていないと見えて、自分の小遣銭くらいは弟の健三に依存している。姉が弟に小遣をせびるというのは、今の感覚からすれば奇異にうつるが、明治の頃までは当たり前だったのだろう。家族の中で、羽振りの良い者が困った者の面倒を見るのは当然のこととされていたようなのだ。

また、妻の父までが、婿の健三に金をせびりに来る。この父親は、高級官僚だったということになっており、官僚時代には羽振りのよい生活をしていたのだが、退職後急速に落ちぶれて、毎日の暮しにもさしつかえるようになった。そこで、恥を忍んで婿に金を借りに来る。この父親の無心は、小説の中では一度きりになっているが、その金で父親の窮状が抜本的に解決するわけではないので、いつまた借りに来られないとも限らない。

この父親は、漱石の妻鏡子の父をモデルにしたのであろうというのが、大方の見方である。鏡子の父中根重一は貴族院書記官長を勤めた人間で、官僚としては出世したほうだが、世間知には疎かったのかもしれない。彼を描く漱石の筆致には無残なところがある。

こんなわけで、健三の周辺には、彼の懐をあてにしている人間が大勢いる。健三はそれを迷惑なことと思いながらも、ドライに切り捨てるわけでもない。小説の終り近くで、これが最後だといって養父だった男の無心を容れる場面があるが、健三本人はそれが本当の最後になるだろうとは思っていない。彼らが生きている限り、全く縁を切るなどと言うことはできない相談だ、と割り切っている。この割り切りがどこから来るのか、それを考えれば、昔の日本人の生き方の一端が深く理解できるかもしれない。

ともあれこの小説は、健三の懐をあてにする人たちと健三との腐れ縁ともいえる関係を延々と書きつづっていく。小説らしい筋立は無いに等しい。しかも、書かれていることがあまりにも特殊な人間関係なので、現代の読者にはピンとこないところが多いに違いない。ましてや、外国人の読者に訴えかけるところは乏しいのではないか。



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