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夏目漱石の「坑夫」を読む


「坑夫」は「吾輩は猫である」に始まる夏目漱石の遊戯的な作品の系列の最後に位置するものである。この作品の後に「三四郎」を書き、そこで試みた小説の手法を深化させていくことで、漱石独自の深みのある文学を確立していくわけであるが、この作品「坑夫」」には、三四郎以降の展開を予想させるようなものは殆ど感じられない。その意味で、前期の遊戯的な作品の系列の最後に位置するものだと言ったわけである。

遊戯的なと言うには、二重の意味合いがこもっている。ひとつは読者サービスということだ。これは新聞社の雇われ作家になった漱石にとっては、いかにして読者を喜ばせるかという問題意識から出ている。幸い漱石には、「猫」や「草枕」で、読者を大いに喜ばせたという自負があった。だから、その延長上で小説を書いていれば、失敗する恐れは少なかったわけだ。それは遊びの要素に富んだもので、その遊びの精神が読者を捉えたのだと言える。

もうひとつは、漱石のその遊びの精神が、日本伝統の俳諧の精神に裏打ちされているということだ。俳諧とは本来、諧謔を通じて人を喜ばせることを言う。諧謔であるから、批判の精神も当然含んでいるが、初期の漱石の場合には、批判精神を表に立てることはない。まじめなことがらを茶化すことで笑いを誘うというような要素が強い。これは、漱石が俳諧と並んで落語を好んでいたこととも関係があるだろう。

ともかく、この「坑夫」という小説にも、深刻なテーマを扱っている割合には、深刻なところは少しもない。それは主人公である語り手が19歳の少年だということにも理由があろう。19歳の少年を主人公にし、しかもそれが語る一人称の小説という体裁をとっていることからして、深刻になりようがない。なりようがあることといえば、それは恋愛をめぐる深刻な事情くらいしか考えられないが、この小説では恋愛を正面から取り上げているわけでもない。主人公が、若くして世をはかなみ、この世からドロップアウトしようと決心するに際して、女性との関わりがあったことが暗示されているのだが、かといって、その恋愛が重要な意義をもっているわけでもない。こんなわけで、この小説は深刻さとは最も縁遠い世界を描いたものなのである。

筋書きを簡単にいうと次のとおりである。19歳の少年が、生きているのが嫌になり、死ぬつもりで家出をする。その事情というのには二人の女性がからんでいるようだが、それがなぜ彼を死ぬ気にさせたのか、どうもよくわからない。わかるのは、この少年がどうやら短慮から家出をしたということだけだ。少年は、金持の御曹司のくせに、一文無しに近いような状態で家を出た。このことからも彼の短慮ぶりがわかろうというものだ。

少年は東京の家を出たあと、板橋街道というから、要するに中山道を北へ向かって歩いて行く。どうせ死ぬ気でいるから、何処を歩いて何処へ向かうのか、心積もりはない。どうでもよいのだ。死ぬきっかけさえあれば、そこで死ぬ気でいる。ところが、思いがけないことが起こって、少年は死ぬことを中断し、「坑夫」になることを決心する。なぜ坑夫なのか。そこに必然性などというものはない。偶然の行きがかりでそうなってしまっただけの話だ。この少年は、中山道を歩いているうちに中年の男と出会い、その男から坑夫の働き口を進められて、深い思慮もなく、坑夫になるように流されていくのだ。

その働き口のある鉱山というのは、どうやら足尾銅山らしい。少年は周旋屋の男に連れられて前橋まで歩いて行き、そこから電車に乗ってある駅で降り、さらにそこから徒歩で山越えをして鉱山にたどり着くということになっているが、その電車というのは、両毛線のようである。下りた駅と言うのは桐生か、そのひとつ手前の駅らしい。足尾銅山方面には、現在では桐生から私鉄が伸びているが、この小説の時代にはそんなものはまだできていない。だから彼らは山越えの道を歩いて銅山に向かったわけだ。

徒歩で銅山に向かう途中、周旋屋は別に二人の少年に声をかけて、一緒に連れて行くことにする。この二人の少年があまりにもあっさりと周旋屋の手に落ちてしまうのを、当の少年は複雑な目で見る。自分もあまり面倒をかけずに周旋屋の言うことを聞く羽目になったが、この二人はもっと簡単に周旋屋の言うままになった。というのは、彼らが乞食も同然で、住む家も食うものもなく、その日その日を生きていくのに精一杯だからだ。鉱山といえども、寝床と飯にありつけるところなら、どこでもよいのだ。そんな二人の様子を少年は軽蔑の眼差しで見ている。自分はこいつらとは違うんだ、というエリート意識が、この少年の眼差しを傲慢なものにするのだ。

少年の傲慢な眼差しは、鉱山の労働者たちにも向けられる。彼らを一目見た時から少年は、彼らを獰猛な獣のようなものだと軽蔑し、こんな連中と一緒にされるのはまっぴらだと思う。そのあたりの場面をちょっと引用しておくと、「この塊の部分が、申し合わせたように、こっちを向いた。その顔が~実はその顔で全く萎縮してしまった。というのはその顔がただの顔じゃない。ただの人間の顔じゃない、純然たる坑夫の顔であった。そういうより別に形容しようがない・・・まあ一口でいうと獰猛だ」といった具合である。

だが、少年はそう思っただけで、無論口には出さない。もし口に出したとしたら、袋叩きの目にあっただろう。いくら無分別の少年でも、それくらいのことは心得ているわけである。

結局少年は、同行していた二人の少年と離れ離れになり、とある飯場に放り込まれる。ここへ来る前は、この二人と一緒なら幾分は心強いかもしれないと期待していたのだが、周旋屋はそんなことはお構いない。三人をそれぞれ別の飯場に紹介するつもりなのだ。飯場の親方は少年を見て、こんなところで働こうなどと馬鹿なことは考えずに家に帰れと忠告するが、意地になった少年は反発して是非ここで働かせてくれと言う。どうせ死ぬ気でいるのだから、どんなところにいて、どんなことをしていようが、大した意味はないのだ。

しかし、飯場の中はあまりにもひどい状態だった。まず、飯。これが飯と言うよりも泥と言った方がいいほどひどい代物だった。こんなものを、ここにいる連中は喰っているが、よくもそんなものが食えるものだ。それはこいつらが獣だからだろうと、少年はここでも同僚たちを軽蔑する。もっと我慢が出来ないのは、南京虫だった。布団の中にいるこの虫に体中を刺されて寝ることができない。そこで少年は布団から飛び出して、柱に凭れて転寝をするのだ。

少年は先輩に連れられて坑内の視察に出かける。この先輩と言うのが性悪な男で、少年をたびたび恐ろしい目に会わせた挙句、坑内に置き去りにして消えてしまう。少年は途方にくれるが、そこで思わぬ男と出会う。この男は安さんと言って、少年の身の上ばなしを聞いたうえで、いろいろアドバイスをしてくれる。ここにはまともなことも考えられない獣のような連中しかいないと思っていた少年にとって、安さんの登場は晴天の霹靂になった。彼と出会ったおかげで、少年はもう一度生き直そうとする決心をするのである。

こんな訳で、これは一人の少年が、いったんは自殺しようと決意したが、立派な先輩の導きによって、自殺するのをやめ、社会人として生きて行こうと決意するところを描いている。それはこの少年の自立の過程を描いたということでもあるから、その点は一種の教養小説の体裁をとっているともいえる。しかし、少年の成長ぶりを描くという意気込みよりも、少年の目を通して下層社会のえげつなさを面白おかしく描くことに比重が偏っており、その点ではやはり、遊戯文学の域を脱していないといえよう。

この小説における漱石の文体は、「草枕」同様かなり理屈がかっている。理屈っぽいというのは、小説にとっては致命的な欠陥になるから、本格的な小説を書こうとすれば、克服しなくてはならない。実際漱石は、「三四郎」以降、文体の徹底的な練り直しということに力を注いでいったわけである。

なおこの作品で漱石は、鉱山労働者の実態をかなりリアルに描き出している。相当な取材をおこなったはずだ。少年の目を通して描くという制約はあるが、日本社会の吹き溜まりとしての鉱山の実態が生々しく描かれてくる。そこで働いている人間は、並みの日本人から二等も三等も劣っている。それは彼らが、貧農や末端労働者の家に生まれ、ろくな教育も受けられないまま世間に放り出された結果だ。実際主人公の少年が知り合った二人の少年も、宿無しで食うものにも事欠く存在として描かれている。そんな人間にとっては、日々を生きることだけが関心の的であり、鉱山でもどこでも。生きてさえいられれば、のたれ死ぬよりはましなのである。

鉱山の労働は過酷で、一万人からいる労働者のうち、毎日何人もが事故や病気で死んでいる。この世の地獄と言ってよい。そんなテーマを描くわけだから、おのずから社会的な広がりを含んでいるはずなのだが、漱石には鉱山労働を社会問題として捉えようとする視点はない。



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