日本語と日本文化


第26師団の戦い:大岡昇平「レイテ戦記」


第26師団は、満蒙に配置されていた独立混成第11旅団を再編して作られた。独立歩兵第11連隊、同12連隊、同13連隊を中核とし、およそ13,000人の兵力を擁していた。師団長は山県中将、山県有朋の一族である。戦いぶりに臆病なところがあるというので、死地に追いやられたのだろうと大岡は推測している。「大本営は敗北を知った軍人を内地へは帰らせないのであった」というわけである。

レイテ島には、第12連隊の二個大隊(第2大隊を欠く)いわゆる今掘部隊が11月1日にオルモックへ上陸し、残存部隊は11月9日から11日にかけて同地に上陸した。満蒙からルソンへの輸送途中に13連隊の第2大隊が海没し、第11連隊の二個大隊がそのままルソンにとどまるなど、一部がレイテ島まで到着していない。そんなこともあってか、レイテへの上陸兵力や戦士した兵士数の把握に多少の混乱がある。エピローグに付された内訳表には、投入兵力13700、生還者620とあるが、本文(第十五)では、師団からの生還者は300人で、うちレイテ島からは23人に過ぎないとしている。

第1師団がリモン峠で死闘を繰り広げているのに対して、26師団にはブラウエン飛行場の奪回という任務が割り振られた。これは、海軍と一体となって、空からの攻撃と地上の攻撃とでブラウエン飛行場を奪回し、米軍の制空権を制約しようという発想から出たもので、海軍側は天空作戦、陸軍側は和号作戦と称していた。一見して意味のある作戦に見えなくもないが、当時ブラウエン飛行場は米軍にとって戦略的な価値を持たず、かりに奪回に成功しても殆ど意味を持たなかったばかりか、現実的には奪回に失敗し、兵力を無駄に消耗する結果に終わった。その辺を踏まえて大岡は、軍首脳部の判断の甘さを批判している。

こんな事情があって、26師団の戦いぶりは評判が悪い。ブラウエンを目指したものの、ほとんど何らの戦果も上げられないまま引き換えして来た、役立たずの部隊だという汚名を着せられたのである。そうした偏見に満ちた例を大岡はあげている。14方面軍のある参謀が、35軍を視察した際の印象記である。「密林の山中にこもって飢餓に瀕している泉兵団(26師団)の兵たちは、いずれも眼ばかり白く凄みをおびて、骨と皮ばかりである。まるでどの顔も、生きながらの屍である。地獄絵図のような凄惨な形相である。その上丸腰で、武器を持っていないために、全く戦意を喪失していた・・・作戦主任参謀の如きは、すっかり自棄の態で、『こんなことで戦争ができるかい』と喚きながら、朝からウイスキーをあけて眠りこけている有様である」

26師団は、オルモック上陸の際に、米機の空襲を受けて、武器弾薬をほとんど揚陸することができず、いわば裸の状態で上陸した。そんなわけだから、戦争をしたいと思っても、まともな戦いの出来る道理がなかったわけである。だがそれは彼等の責任ばかりだとはいえない。大岡はそう言って26師団の兵士たちに同情する。

そんな26師団の兵士たちも、ただ手をこまねいたばかりではない。彼等が勇敢さを発揮して戦った例を大岡はいくつかあげている。そのひとつは、ダムラーンの戦いである。ダムラーンはオルモックの南方20キロほどの地点にある。そこで26師団のおよそ二個大隊が米軍の二個大隊と激突した。米軍はオルモック攻略の一環として、アブヨグ・バイバイ間を横断し、西海岸沿いに南側からオルモックに迫ろうとして北上していた。そこへ26師団が立ちはだかったのであった。26師団は裸の状態だと言ったが、このダムラーンの戦いにおいては、武器弾薬の補給を十分に受けていた。それで米軍と互角以上に戦うことができたのである。26師団は、満蒙で歴戦練磨の部隊であるから、武器弾薬が十分であれば、強力な部隊でありえたのだと大岡は言って、ここでも軍首脳の責任のほうを重く見ている。

もうひとつは、オルモックに米軍が上陸し、後退する日本軍を追って北上した際に、その前に立ちはだかって、日本軍の退路を確保した戦いである。この戦いを、26師団の兵士たちが、ブロックハウスを要塞として行ったことから、大岡はこれをブロックハウスの戦いと呼んでいる。ブロックハウスに立てこもった兵士たちは、数日にわたって持ちこたえ、35軍司令部外日本軍の後方退却を援護した。その結果、ブロックハウスに立てこもった兵は全滅した。

35軍の全軍に転進命令が出たとき、26師団の主力は脊梁山地の北方に、また今掘部隊はオルモック街道周辺にいた。山県師団長以下の本体は、カンギポットを目指して西進したが、その途中オルモック街道を横切ろうとして米軍の機銃掃射を受け、師団長以下参謀のほとんどが戦死した。なんとか生き残った師団の兵士たちは、カンギポットに集まって大隊ごとに自治自活をしていたが、彼らのうち最後まで生き残って日本に生還したものは、ごくわずかでしかない。




  
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