日本語と日本文化


「伊沢蘭軒」に見る鴎外の歴史意識


鴎外の長大な史伝体小説「伊沢蘭軒」は、主人公たる伊沢蘭軒二十一歳の歳、寛政九年(1797)に始まり、孫の棠軒が没する明治八年(1875)で終っている。そのカバーする時代は、蘭軒一族の三代にわたる八十年間である。

徳川時代の後期から維新をへて明治へと移り変わるこの八十年間は、日本の歴史の中でも類希な時代であった。鴎外はその時代の歴史的意味を、蘭軒一家八十年間の営みの中に読み取り、そこに自らの歴史意識を反映させようとした。

この小説の前半部分が描き出している時代は、ほぼ文化文政期と重なっている。この時代は長い徳川幕藩体制の中にあっても、日本の国力が最も充実した時代であった。華やかな庶民文化が花開いたとともに、質の高い文芸活動も展開した。日本文化の歴史においても、最も幸福な時代の一つであったといえる。

だがそれは、鎖国政策によって海外から隔絶され、日本という狭い島の中で花開いた、脆弱な文化でもあった。日本人は時折長崎を通じて海外の事情に触れることもあったが、それは彼らの好奇心を満たすにとどまり、決して視野を広げて海外へ雄飛しようとする動きにはつながらなかった。この時代の日本人はいわば、壺中の天を仰ぎつつ生きていたのである。

それでも壺の中の宇宙を生きていた当人たちにとっては、この時代は生きやすい時代であったといえる。そんな大らかな時代背景が、伸びやかに世の中を包んで、独自の文化を花開かせたのだろう。伊沢蘭軒を中心にして展開する世界は、そうした静かな雰囲気が隅々まで広がる世界であった。

蘭軒は文政十二年(1829)に五十三歳で死んだ。前後して太田南畝、亀田鵬斎、菅茶山、頼山陽ら蘭軒の友人知人にして時代をリードした文人たちが相次いで死んでいる。そして彼らの死とともに化政時代というひとつの時代もまた終焉をとげた。この時代に引き続く天保時代は、今日の平成時代が昭和の後半の時代にとってそうであるように、暗い色彩に彩られた時代になったのである。

天保時代は、水野忠邦の改革がかえって人々の生活を破壊する方向に働き、あまつさえ鳥居耀蔵のような化物が暗躍して、暗澹たる時代であった。大塩平八郎がそんな世の中を改めようとして立ち上がったのは、時代の窮迫がもたらした必然だったともいえる。

そんな世にあって、蘭軒の子孫たちはある意味で幸福な生活を続けることができた。蘭軒の子榛軒は福山藩主阿部正寧の侍医となり、その養子棠軒は正寧を継いで、新たな福山藩主阿部正弘の侍医となった。二人とも蘭軒より出世したのである。

阿部正弘は天保十四年(1843)に老中となり、安政四年(1857)に没するまでその職にあって、黒船来航以来の幕末の日本の政局を担った人物である。その正弘について鴎外は、ささやかな逸話を紹介している。それは正弘が藩主となって始めての正月を迎えた祝辞の席上、藩士たちに向かって次のように挨拶したというものである。

「先例は藩主出でて席に就き、前列の重臣等の面を見渡し、<めでとう>と一声呼ぶのであった。しかるに正弘は眦を放って末班まで見渡し、<いづれもめでとう>と呼んだ。新たに添加せられたのは、ただ<いづれも>の一語のみであった。しかし事事先例に遵ふ当時にあっては、この一語はよく藩士をして驚き且喜ばしめたさうである。想ふに榛軒も亦この挨拶を受けた一人であらう。」

鴎外が幕末の気概ある政治家阿部正弘のことについて記するに、この一事を以てするにとどめたのは、そこに新しい時代の到来を淡々と受け止めて奔走した正弘の気概のようなものを読み取ったからなのかもしれない。

時代が天保から、弘化、嘉永、安政と進むにつれ、日本は次第に激しい流れに巻き込まれていく。それに応じて蘭軒の子孫たちをはじめ時代を生きる人々の身辺も慌しい空気に包まれていく。それは日本の歴史上、最大級の激動に見舞われた時代であったのだから、当然のことといえる。

従来の支配的な歴史観から言えば、幕末から明治維新へと至るこの時代は、日本の国の方向を目指して、さまざまな勢力が相争った時代であり、やがてその中から天皇を中心にした新しい権力体制が萌芽してくる時代であった。正統の歴史観が扱うのは、この権力闘争を担った諸勢力であり、どの勢力がその後の日本の国づくりの方向に最も貢献したかというものであった。

だが鴎外はそうした流れを正面だって取り上げていない。鴎外が熱意を以て追求しているのは、時代の流れに押し流されながら、日々の生活を淡々と生き続ける人々の生き方である。

だがその生き方の中にも、いやおうなしに時代の影が覆いかぶさってくる。個人の生き方も畢竟は世界全体の流れの中でしかありえない。かといって、個人の意味が全体の中に埋没してしまうわけでもない。全体と個人との、この微妙な相互関係を、鴎外は心憎く描き続けるのである。

後半のハイライトは、棠軒が十六歳の若い藩主阿部正方に従って長州征伐に赴く場面と、戊辰戦争に際して官軍に就き函館まで転戦する場面である。読者はここまで読み進んで、前半におけるあののんびりとした時代の雰囲気とあまりにも異なる様相に直面する。

小堀桂一郎はこの辺のところについて、次のように書いている。

「斯く読み進んできて、読者は伊沢家三代が百年かかって閲した世の移り変わりの相を、数時の間に圧縮してこの紙上に経験するわけである。・・・一身にして二生、いや三生を経た、といったような、その時間の流れの実感こそが、歴史の書の与えてくれる経験の最も本質的なものなのではあるまいか。我々が「伊沢蘭軒」一巻から受け取る最も本質的なものとは、一言にしていえば、徳川時代後期百年間の歴史そのものであるといえないであろうか。」

たしかに、日本の文学史上、壮大な歴史意識にもとづいて描かれた作品は、鴎外の「伊沢蘭軒」を以て嚆矢とすることができる。しかもそれは、教科書が教えるような、支配者の立場に立った権力の正当化のための歴史観ではない。そこにあるのは、時代の流れをそのままに受け止めつつ、その中で生きた個人に即しながら、時代全体と個人との間に横たわっているものを抉り出そうとする努力だったということができる。

こんな考えを抱くに至った筆者は、鴎外のこの作品を、トーマス・マンの「ブッデン・ブローグ家の人びと」や「魔の山」と比較したい誘惑に駆られたことがある。マンもまた、時代の意味を個人の生き方に即して考えつつ、時代全体と個人との間にある隙間を抉り出そうとした。この隙間を明らかにすることを通じて、トーマス・マンは、人は何故勇敢に生きることもできれば、また時代の流れの中に埋没してしまうこともあるのか、その必然性を追及したのである。


    


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