日本語と日本文化


寝惚先生文集:大田南畝の処女作


明和四年(1767)、大田南畝は若干18歳にして処女作を世に問うた。題して寝惚先生文集、狂詩狂文の類を集めたもので、わずか38篇を収めた小冊子に過ぎなかったが、たちまち世間の評判を呼び、南畝は一夜にして江戸文芸の花形になった。

狂詩というのは、漢詩を下敷きにして、それをパロディに仕立てたものである。だから原詩を知っていないと、その心が伝わらない。ところが南畝の生きていた時代は、漢詩とりわけ唐詩が流行っていて、多少とも教養を備えた人物は、唐詩選を座右の書にしていたくらいであった。そうした人々を相手にして、南畝は新たなパロディの文学を提供したのである。

パロディであるから、そこには諧謔や風刺が盛り込まれている。読者はそれを原詩と比較しながら読むことによって、言葉のずれから生まれるおかしさや、意味の逸脱の先にある強烈な風刺を感じ取って喜んだものだろう。

ここにその一例を紹介しておこう。「貧貪」行と題する狂詩である。

  為貧為貪奈世何    貧すれば貪する 世を奈何
  食也不食吾口過    食ふや食はずの吾が口過
  君不聞地獄沙汰金次第 君聞かずや 地獄の沙汰も金次第
  于稼追付貧乏多    稼(かせ)ぐに追ひ付く貧乏多し

下敷きになっているのは、杜甫の有名な詩「貧交行」である。原詩は人間関係が疎遠になって、清らかな交わりが見られなくなったことを嘆いているのだが、これは、人間の世の中ががさつになって、何でも金次第になっている風潮を風刺している。

原詩が描いている世界を少し横にずらすことによって、同時代人が生きている世界を面白おかしく描き出そうとするものだ。

日本の文芸の世界では従来、こうしたパロディ精神が主流を占めることは決してなかった。中世の戦乱時代に流行った落首などには、そうした精神が伺われるが、それはあくまでも民衆の怨念がストレートに権力者に向けられたもの。パロディというより、ブラックユーモアに近いものだったといえる。

だからパロディの精神を文芸の表に持ちだした南畝の試みは、非常に目新しいものとして受け取られたのである。

だがこの作品を含めて、南畝のパロディ精神には、やや軽いところがある。世の中を正面から料理しようとするような気概はあまり伝わらず、自分の近辺の不合理や自分自身の身の上のなさけなさを、ちょっぴりひねってみせているに過ぎない。

次の「寝惚先生伝」と題する狂文は、南畝自身の身の上について語ったものだ。ここにも、斜に構えて現実を笑い飛ばそうとするような、世の中に対する消極的な姿勢がうかがわれる。

寝惚先生伝
先生は毛唐人なり、其の先邯鄲の魯生、妄想に王と為りし苗裔にして、毛唐人たること実正なり、故に寝惚先生と号す、昔昔玄宗皇帝現を楊貴妃に抜かし、天下筋夢中となる、嘆じて曰く、夢に為れ、夢に為れ、是に白河夜船に乗り、此の野馬台に反側す、爾来京の夢、大坂の夢を看ること久し、先生に至りて始めて花の御江戸に居眠る、先生の母、夢にて妄想し乃ち身(はら)めること有り、先生は朝寝坊にして宵迷なり、未だ嘗て子に臥し寅に起きたること有らず、其の寝惚けるに当って、即ち唐人の寝言を良くす、殊に荘子の夢に蝶々と為りて松葉に止まることを愛す、且つ大飯を食ふて臥って牛と為らんと欲す、若し夫れ一富士二鷹三茄子、皆人の宝船を藉いて初夢を看る所以なり、然れども先生は之を夢みんことを欲せず、先生の夢は唯だ妄想と二重夢となり、
賛に曰く、寝て果報を待たず、醒めて即ち粟飯を食ふ、食ふて糞して、寝て興きて、唐人の寝言、陳奮翰々たり、先生、寝惚けたか、夢か現か幻か、

自分を毛唐人といっているのは、漢学の世界に夢遊していることを謙遜しているのであるが、何故謙遜する必要があるのか、そこまではいっていない。ただ寝坊助の身として唐人の寝言をしゃべっているのだと、いいわけをしているだけである。だが読むものにとっては、漢籍の知識にいちいち引き合わせながら、そこに言葉の遊戯を楽しむことができたのだろう。こういう南畝の文章は、当時の知識人たちに熱狂的に迎えられたのである。

だが狂詩といい、狂文といい、これを楽しむためには、ある程度の教養が前提になる。原詩を知らないでは、パロディも威力を発揮しないからだ。

南畝がやがて狂歌の世界へと進んでいくのは、自分のパロディ精神を広く享受してもらうためには、町人も含めて、教養の劣った人々にも理解可能なものでなければならないと考えたためである。


    

  
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